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 九機のレッドアローズは、綺麗な三角形を組みながら赤い機体を青空に輝かせ、観客の視界に現れた。  高度三千フィート、およそ千メートルだ。  僚機と二メートルの距離を保ちながら、時速六百キロ近いスピードで上空を通過し、九本の赤い煙をたなびかせると、九機が突然扇型に四方に離散した。  ビクセンブレイクという技に、観客がどっと湧く。  離散した各機は旋回すると、再び三角形にフォーメーションを組み、僚機とすれすれの間隔を保ちながら、背面飛行や横回転(ロール)を織り交ぜ、地上の数万の目を釘付けにした。  次はいよいよ、F36との競演だ。  レッドアローズのキャプテンは、頭の中でシュミレーションを繰り返す。  まず、三角形のフォーメーションで直進するレッドアローズの後方から、百メートル上空を飛ぶF36が迫る。  F36は加速しながら直進し、F36がレッドアローズの三角形の頂点に達したタイミングで、レッドアローズが扇形に離散する。  地上からは、レッドアローズがF36に打ち砕かれたように見える、ド派手な演技だ。  レッドアローズの三百メートル上空を飛ぶキース・ジョンソンは、観客を湧かせるレッドアローズを追い越すと、そのまま大きな円を描き、レッドアローズの遥か後方につけた。  高度はレッドアローズの百メートル上空で、まだ観客の視界には入っていない。  一旦離散したレッドアローズも大きく横旋回しながら、再びピタリと三角形を組み編隊で直進する。  キースはF36を、レッドアローズの真後ろに位置付け、微妙な速度調整で一定の距離を保ちながら、飛行を続けた。  ホテル屋上のアーロンに、東側上空から迫る赤い三角形が見えた。 (いよいよF36の登場だ)  アーロンは興奮をおさえきれず、ぐいっと身を乗り出した。  レッドアローズの先頭を飛ぶキャプテンから、キースのインカムに声が響く。 「ハリケーン・キース、ゴー!」  キースがインパネに手を伸ばし、アフターバーナーに点火する。  燃焼室とタービンを通過し、十分に酸素を残した高温の排気に燃料が噴射され、F36の出力が一気に五十パーセント上昇する。  キースの身体がビタッとシートに張り付く。  そのとき、ガガガガ、という異音がし、キースの背中が嫌な振動を感じた。  この振動は、厚い大気を裂いて急上昇するときに摩擦で起きる現象だが、今の状態では通常起こらない。  機体内部では、エンジンの全ての制御を行うデジタル式電子制御器FADEC(ファデック)YF-36が、書き換えられたプログラム通りに出力異常を起こしていた。  このYF-36は、argusが、四菱重工航空宇宙システム製作所に侵入し、書き換えたものだった。  F36の異常検知装置はこのエラーを検知せず、ヘッドアップディスプレイには機体の挙動とは異なる正常なデータが表示されている。  キースはレバーやブレーキを操作するも、すでに機体はアンコントロールの状態にあった。  エンジンの出力が上がり続け、異常音と不規則な振動が激しくなる。  左翼のエンジンが発煙しバチバチッと火花が飛び散る。  F36がレッドアローズの編隊に追いつこうとしたその時、左翼のエンジンが、ボン! と爆発し、左翼が遥か後方に吹っ飛んだ。  F36はガクンと大きく左にローリングし、みるみる高度を下げ、とぐるぐると横回転をしながら、レッドアローズの編隊目掛けて突っ込んで行く。 「キース!」 「ヘイ、キース!」  キャプテンと管制塔が、F36のインカムに呼びかける。  身体の許容範囲を超える急減圧と横回転で失神したキースには聴こえない。 「ブレイク!」  レッドアローズは、間一髪ビクセンブレイクで四方に離散し、コンマ数秒後に、F36が猛スピードで、その軌跡に突っ込んだ。  F36は黒煙を噴き上げながら地上に向け落下を続ける。  数万人の観客は突如パニックになり、F36と反対方向に一斉に逃げ惑う。  群衆が将棋倒しになり、潰された人々の悲鳴が上がる。  会場は一転して恐怖の阿鼻叫喚に包まれた。  その悲鳴を無視するように燃料に引火したF36は、ドーン! と轟音を発すると、落下しながら機体が砕け散り、無数の破片が散弾銃の弾丸のように観客を直撃した。  ホテルの屋上で呆然と見ていたアーロンも、はっと我に返り必死の形相で屋上の入口に走った。  焦って足がもつれたところに、ヒュンヒュンヒュンと風を切り裂き飛んで来た、二メートルほどのアルミ板が、その背中をざっくりと斬り裂いた。  一瞬で昏倒し絶命したアーロンのポケットから、サファイアブルーの婚約指輪のケースが転がり落ちた。  アーロンの身体から溢れ出る真っ赤な血が、光沢のあるサテンの生地を、赤紫色に染め上げた。
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