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 隆はその後も、ハッキングの証跡を揃えるため、四菱重工名古屋の情報システム部門と連携し、深掘分析を進めていた。  第一の目的はファームウエアが書き換えられた証拠を揃え、四菱重工の汚名を晴らすことだ。  しかし、例えハッキングを証明出来たとしても、主犯がargusだと証明することは出来ない。  サイバー犯罪ほど攻撃者有利で、且つ完全犯罪が可能な方法は、他に類を見ない。  ホールディングスの田中奈々からランチの誘いがあり、隆はスカイラウンジに足を向けた。 「すみません横尾さん、お忙しいなか」  ランチのパスタをつつく田中は、どこか元気が無い。 「田中さん、なにかあった?」 「これ、見てください」  田中が隆にスマートフォンを手渡す。  海外のニュースサイトが表示されている。 「これは?」 「イギリスのタブロイド紙のサイトで、F36の爆発事故の特集ページです」  そこには、事故の原因究明の記事と共に、エアショーの観覧客が撮影した、事故当日の写真が多数掲載されていた。  黒煙を吹きながら落下するF36や、落下物で外壁や窓が破壊されたホテルの写真など、生々しい臨場感のある写真ばかりだ。 「横尾さん。その下の写真、見てください」 「うん……」  隆が画面をスクロールすると、逃げ惑う群衆を俯瞰で撮影した写真があった。  皆、恐怖が貼りついた形相で、散り散りに逃げる姿に、現場の恐怖が伝わってくる。 「うん、なんて言っていいのか……」 「その、右上のあたり……そこをズームしてください」  隆は二本の指で画面を拡大し、顔を近づける。 「ん? 田中さん、これ……」 「はい……」  拡大した辺りに、逃げ惑う群衆とは反対方向を向き、コートのポケットに手を入れ、真っ直ぐに空を見上げる男が写っている。 「これは………」 「棚橋部長に、見えませんか……」  数百人が写っている写真のため、拡大しても画質が粗くなるだけで、それ以上の確認は無理だった。  ただ、逃げ惑う人々の中、一人だけ落ち着いた様子で空を見上げる男は、まるで、事故を予見していたようにも見える。 「横尾さん、どう思いますか?」 「うーん……シルエットと言うか、佇まいは、棚橋部長に似てるとしか……。棚橋部長ファンの田中さんは、どう思う?」 「はい……わたしも、横尾さんと同じです。似てるなぁって……。退職した後、航空ショーを観に行ってたんですかね?」  田中も何か引っかかっている様子だったが、それ以上のことは口にしなかった。 職場に戻った隆は、課長の岡田に確認した。 「課長、棚橋部長って、いつ頃中途入社してきたんですか?」 「なに急に? たしか、去年の三月だったと思うけど」 隆はあらためて、四菱重工名古屋の通信ログを確認した。 (去年の四月二十七日……棚橋部長が入社して、およそ二か月後から、名古屋のパソコンが不正な通信を始めている。もしも、棚橋部長がargusだったとしたら……)  隆は、棚橋をargusに当てはめて経緯を振り返った。  ハッと気づいた。  四菱重工名古屋の不正通信の件を、白金のカフェで棚橋に相談した日の夕方、突然argusを名乗る若者が警察に出頭した。  その結果、警察の捜査は収束し、四菱自動車もハッキングが証明されたことで安堵し、原因究明の手を緩めた。  そしてその翌朝、自分は新道組に拉致されて、殺されそうになった。  しかも、棚橋は、クレイオスの時は解析のヒントを丁寧に教えてくれたが、名古屋の不正通信については、後で連絡すると答えたきり、その後は連絡がなかった。  クレイオスの時は、自分をクレイオスに集中させるめにヒントを与えたと考えれば説明がつく。  そして、あの時点で名古屋の不正通信の件を知っていたのは、岡田課長と名古屋の情シス、それと、棚橋だけだ。  さらに、さっきのファンボローの会場の写真。  argusである棚橋が、自分の仕事の完遂を見届けるために、現地に足を運んだと考えれば、すべて説明がつく。  そして、F36を落札したのは米国のレイセオンインダストリーズだ。  岡田によると、棚橋はアメリカでMBAを取得している。  もし、アメリカで棚橋とレイセオンに接点が有ったとすれば。  そして、棚橋は、レイセオンが四菱HDに送り込んだ、産業スパイだったと考えれば、全てつじつまが合う。  そういえば、八重洲で棚橋と飲んだ時に、白人のビジネスマンが棚橋に話しかけていた。  本人は人違いだと否定していたが、アメリカ時代の顔見知りだった可能性はある。  隆は自分の推理に、しばらく呆然とした。  しかし、棚橋がargusだと証明する術は、何もなかった。  翌日の夜十時過ぎ、残業で遅くなった隆は豊洲駅から自宅のマンションに向かっていた。  高層マンションが林立し、住民が多い豊洲だが、夜は不思議と人影がまばらだ。ひっそりとした寂しい雰囲気に包まれる。  隆が川沿いの通りを歩いていると、背後から「キューン」とモーターの様な音が近づいて来た。  ドキッとして振り返る。  石畳みの上を遠くから、ライトを光らせたラジコンカーが、ガタガタと近付いてきて、隆の前に来るやキュッとUターンし足元で止まった。  ラジコンカーのフロントガラスとボディの隙間に、名刺サイズのカードが刺さっている。  隆は警戒し周りを一瞥すると、膝を折りカードを手に取った。  カードにはこう綴ってあった。 『Good job!argus 』  隆は慌てて周囲を見回した。  人の気配は無く、高層マンションの灯りが煌々と、冷たい光を放っていた。  argusはギリシャ神話に出てくる”百の眼を持つ巨人 ”のことだ。  argusが何処から、自分を監視しているかも知れない。  隆は身を硬くして(しばら)くそのまま、その場に立ち(すく)んだ。
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