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「それはそれで、楽しいんだろうけどね……」
ぼんやりと呟いた声は、誰もいない夏の庭に吸い込まれていく。
夏季休暇。皆が帰省しているなか、貧乏留学生の杏は、寮に残っている。
それは毎年のことで、私服で学内をぶらついていても咎められることはない。今日もお気に入りの白いワンピースだ。
時折見回りにやってくる教師に挨拶もする。
耳に届いた足音もてっきりそれだと思ったため、その姿に驚いた。
「……なんで?」
「何故もなにもないだろう。ここはファントム寮の庭だ。むしろキミがここにいる方が問題だろうキョウ」
現れたのはトーマスだった。太陽の下、眩しそうに瞳を細めてこちらを見ていて、そのまなざしに囚われる。
「今年も帰国しないんだな」
「最上級生になるもの、今更だわ。トムこそ、帰らないの?」
「新学期の準備がある」
「大変ね、級長兼寮長さまは」
ぎゅっと口許が結ばれた。それは不機嫌なのではなく、緊張と照れからくるものだと今は知っている。
その幸せを噛みしめていたから、返答に窮した。
「卒業後はどうするんだ」
「……それ、は」
いつもなら明るく誤魔化せただろうそれは、今だけは無理だ。顔が歪む。
笑え。笑え。遠山杏。
「帰国する。モラトリアムはおしまいね。女が単身で暮らしていくには難しいってわかったの。私の居場所はここにはない。どこにもないの。だから――」
帰る。
その言葉は、トーマスの胸に吸い込まれた。
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