10人が本棚に入れています
本棚に追加
思考が追いつかない。これはなんだろう。
ただわかるのは、自分の心臓がとんでもなく暴れまわっていることだけだ。
いや、これは彼の心音なのだろうか。ふたつの鼓動が重なっている。
「おまえの居場所はここにあるだろう」
低く甘やかな声が耳朶を打った。
背中にまわされた男の腕が、崩れ落ちそうになる杏の身体をしっかりと支えている。
泣きそうになった。
「……トム」
こぼれた声はかすれていて、こみあげる涙を根性で押しとどめる。
「キミはいつだって先に進む。俺が行くと言ったのに、キミのほうがやって来た。かと思えば帰るだって? 勝手すぎるだろう」
「え?」
父親に連れられて訪れた東の国。そこで出会った黒髪の少女は、幼いトーマスの心を奪った。もっと一緒にいたいと泣く少年を、父は抱きしめた。
「トムも、覚えてたの?」
「心外だな。約束しただろう。大人になったら迎えに行くって」
「お生憎様。私は、思い立ったが吉日、鳴くまで待てないホトトギスなのよ」
「鳥? 自由なキミらしい形容だ」
「私が鳥ならあなたは大樹ね。この庭みたいな」
木漏れ日を見上げながら杏が言うと、トーマスは残念そうな顔で、「どうして今はクリスマスじゃないんだろうな」と呟く。
だから杏は答えた。
「きっと庭のどこかにヤドリギはあると思うし、夏にクリスマスを迎える国もあるわ」
微笑んだトーマスの顔が降りてきて、杏はそっと瞳を閉じた。
今度こそ唇に受けたキスは、未来を誓う新しい約束。
困難はたくさんあるだろう。
だけどきっと、トムがいてくれさえすれば、そこは住めば都となるのだ。
最初のコメントを投稿しよう!