不覚の仇討ち

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「孕んだのよ。それも嬉しそうに俺に言った。「ややが出来ました」と。そしてまだ臨月でもないのに、里帰りすると言う。おかしなことだ、と思ったがそれのカラクリもまた、畜生どもが俺が道場へ行ったと見ればすぐにまぐわいながら、嬉々として語ってくれたのよ」 ーーーおとさん、あたしは実家へ帰りますから、うまく事を運んでくださいませ ーーー勿論だとも、可愛い千鶴や。お前が留守の間に雪之丞の奴めに酒でも飲ませて水桶に顔を沈めて……息の根を…… ーーーしっ、声が大きいです、おとさん、うまくやっておくれ。私とあなたが本当の夫婦(めおと)になれますように…… 「あいつらはな、俺を殺そうとしていたのだよ」 美しい幽鬼のような男は市川にまっすぐに目線を合わせて呟いた。市川はそんな……と言ったが。「じゃあ、何故私の家族、父も殺したのだ」と問いただした。すると少し眉を潜めながら「運が悪かった」とだけ言った。 「運が悪かった」 「なんだって」 「もっと言えば俺が悪かったのだ。千鶴が里帰りに行った後、父に俺は詰め寄った。「二人の企みを俺は知っているぞ」そう言った俺に問答無用で父は真剣で斬りかかってきた。「お前が死ねば、済む話だ」と。そう言った。俺もたまらずに剣を抜いたが、殺す気にはなれなかった。「おやめください」といった。だが、止めなかった。そればかりか、俺に「お前など、育てねばよかった、出来損ない」と言ったのだ。それで、気が付けば俺は親父を真剣の切っ先で突いていた。血が、俺の顔にびしゃりとかかった。生暖かった。それで、夢中になって腹を裂いた。武士が腹を切るのは、本来一文字では足りぬ。十文字に腹を裂き、割り、己の腹は黒くない、どうぞごらんあれ、と内臓を引きずり出してから喉元掻っ捌くのが儀礼だと言う。俺はその通りにしてやった。生きたまま、腸(はらわた)引きずり出して存分に、じっくりと、臓腑が黒くないか、見てやった。切り刻んでもみた。それだが、チットモ黒くなかった。だが、あいつらの心もちは真っ黒だった。そして俺の心も、真っ黒になった。……血を、浴びたくなった。千鶴を同じような目に合わせたくなった。それで千鶴の実家へ行った。それからの俺は、まるで人食い鬼のようだった。本物の鬼との違いは人を殺めた後に肉を喰らわぬことだけだ。人を殺したくて殺したくてたまらなくなった。自分がどれだけ人を殺せるか、試したくなった。……そういう、訳なのよ。だが……そういった事をしてきたからなのか。俺はこの通り、死に体の有様だ。悔いはない、ないが。出来る事なら、一年。四季を感じて死にたくなった。ゆっくりと考える間もなく、俺は人を殺してきたのでな……。悔いたいと己の死の間際に思ったのだ。金なら、使いきれぬ程持っている。ふふ……。人殺しをして得た金だが、俺が死ねばあんたにくれてやる。俺の首と一緒に持って帰るがいい。それが俺なりのせめてもの償いだ。どうだ、義兄様。受けてくれるか」 馬杉はそう言って、口をつぐみ。乞うような目で市川を見つめた。
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