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まず、市川の寝所で我が子と女房が無残に袈裟切りに叩き切られていた。惨たらしく見えるのは、かめの苦悶の表情のせいか。それともせんの幼い顔の中にある、開き切った瞳のせいか。
血だまりの中で女房と娘が死んでいた。
自然とごくり、と唾を呑んだ。
(なんだ、これは)
現実なのか、と言い出しそうになってから、他の家人の姿を見ていないことに初めて気が付いた。下男一人、下女一人、それから父と継母と。
妹の千鶴だ。
「おおい、おおい……」
震える声を振り絞りながら、誰も応えることのない寂しい屋敷を練り歩き市川が発見したのは、台所の土間で真っ向唐竹割に叩き割られている下男と下女、厠で喉を突かれて死んでいる継母と、離れの客間で首をはねられた父と、腹を縦に裂かれた千鶴の死体であった。
その頃になると、もう何も見えなくなる。だのに、見えている。よく解らない。尻餅をついて呆けていたくなる自分を叱咤しながら市川は町奉行のいる御番所へ駆けこんだ。
本来こういった事あらば、唯一生き残ったお主が一番疑わしいのだが。
と、御取調べを受けた時に役人が言った。
「お主がこれだけの事が出来る手練れだとは到底思えぬのでな」
「これだけの……?」
「嗚呼。人が人を殺すのは案外苦労の多い事だ。なのに下手人は軽々とやってのけている。それにな、このような狭い屋敷の中で人を殺すのに慣れていると見える。太刀使わず、すべて脇差で仕留めておる。それに……」
「それに?」
「まるで、試し切りをするかのような、太刀筋なのだ。俺はお主がそのような、剣狂いとはどうにも思えぬのでな……」
剣狂い。
そう聞いた時に、馬杉の顔が瞬時に脳裏に閃いた。
震える声で役人に告げる。
「恐れながら……某の妹の亭主はどうなりましたでしょうか?」
「亭主?」
役人は怪訝な顔をした。
「はい……我が妹千鶴は馬杉道場の若先生の妻でして……」
「なんだと」
役人の顔色が変わった。そして、わな、と口元を震わせた。
「剣狂い、か」
自分で呟いた言葉を反芻する。
役人と市川が目線を交わした。お互いに、それが何を意味をしているかを理解していると解った。
剣狂い。それは【剣鬼】と評される男には似合いの言葉だった。
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