不覚の仇討ち

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それから、三年が経った。 本願成就の守り札を知人に何枚も持たされたが、意味のない物だ、と途中の神社で引き取ってもらった。 何故なら、市川は馬杉には勝てぬ。天と地がひっくり返ったって、無理だ。 そんなことは本人が一番解っていたのだけれど、哀しいかな、市川が仇討ちをしたくない、という本心を切り出せなかったのは、切り出せば恐らく「腰抜け」「卑怯者」「それでも武士か」そのような罵倒を受け、自分が生まれた土地で自由に生きて行く事が叶わぬようになるだけだということを重々承知していたからである。 三年の年月は、酷くこたえた。 なにせ、目的があってないようなものだ。 どこにいるかも解らぬ男をあてもなく探すという、馬鹿の所業を強いられている。 金は贅沢せねばなんとか数年は持ちこたえられる蓄えはあったが、なにせ先行き不透明な旅路だ。いつ終わるか解らぬ、終わらないまま死ぬかも知れぬ。 おかげで市川の髪は白い物が所々に混じるようになってしまった。あてのない旅であるから極力金を使わぬように努めた。夜になれば朽ちかけた小屋や、何が潜んでいるか解らぬ山寺の軒先で震えて、寝た。 所持金の減りを人一倍気にするのは、金勘定するのが家業であったからだ。 勘定方の癖なのか解らぬが、金の減りが早いと胃がきりきりするようになる。そこで、恥を忍んで手ぬぐいで頬かむりをし、武家風の髷(まげ)を隠して町人に交じり細かな雑用で小金を稼いだ。月代(さかやき)も定期的に剃らねばちくちくと短い毛が生えてくる。それなので、思い切って総髪にした。月代を剃るのは仇を討った後、国に帰ってからでよい。 とにかく、あてのない旅だった。生きる為だけの、旅だったと言っても良い。 が、一方で馬杉の名前だけはよく聞いた。 本人には出会わぬが、噂だけは耳にした。 「最近道場破りで恐ろしく強い男がいてねエ。馬杉雪之丞とか言う美丈夫だったそうだぜ。それがどうも、あちらこちらで暴れているらしい」 だとか 「どうも武州のな、岩城という博徒一家にえらく強い浪人が居ついたそうだ。一日のお足が一分銀一枚だと。顔も役者のようだが、名前もそうときた。馬杉雪之丞とか言う男でね。どうも、兇状持ちだそうだ」 「それは豪儀なことだね、そんなに強いのかいその浪人は」 「強いなんてもんじゃないそうだ。それと言うのはな、浪人が気に食わない一家の若衆が、「斬れるもんなら切ってみろい、大根のようにごろん、と腕でも首でも切ってみやがれ、このなまくら刀がたな」とこう挑発したそうだがね。その浪人はふう、と息をつくか、つかぬか。それくらいの間でなにやら、やったようだ」 「なにやら、とは」 「見ていた連中も解らんそうだ。風がぶあ……と起き。止んだときには浪人は元の位置にいた。それだが若衆は……」 「腕を斬られたか、それとも首か」 「いいや、胴だそうだ」 「胴」 「腹の臍の辺りを一刀両断、だと。ああなんまんだぶなんまんだぶ」 そんな話を飯屋や宿場で聞いた。
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