3 『藍色心中』

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3 『藍色心中』

 渚さんが、くすっと笑って言った。 「このまま、車ごと海に飛び込んだら面白いことになりますね」 「ええ? 物騒なこと言うね。そんなことをしたら二人とも死んじゃうよ」 「そうです。二人とも死んじゃうんです。  そして、車が引き上げられて警察が来て現場検証をするんです。  車の中には、男女が二人発見される。  すぐにマスコミが取材に来て、若い男女二人海に飛び込んだというので『心中事件』として新聞に書きたてる。  でも、二人の接点は何もない。だって、ただのヒッチハイクなんですものね。  でも、事件性を感じた一人の刑事が二人の関係を追い始めるんです」 「渚ちゃん創造力豊かだね。小説でも書いたらきっと面白いものができるよ」 「そうですか。わたし推理小説が大好きなんです。青い空、紺碧の海。そして、謎の心中事件、題して『藍色心中(あいいろしんじゅう)』ってどうですか? 」 「え? どうですかって言われてもなあ。うん。いいんじゃない」  渚さんは、気分が晴れて楽しんでいるようだけど、たしかにここで事故など起こして、二人が死んだら洒落にならないよなあ。明日の新聞に『会社員と高校生心中か? 』なんてやばいよな。特にこの沿線は事故が多いし。気を付けよう。  いくらこちらが気を付けていても、災厄は向こうからやってくることがある。  見通しの良い直線道路を走っている時だった。対向車線の前方から、10トンばかりのトラックが、こちらに向かっていた。スピードを出してはいないようだが、フラフラとセンターライン上を蛇行(だこう)している。居眠り運転だ。  そのまま、すれちがってくれればいいけど、もし突っ込んできたらこちらは小さな軽自動車だ、ひとたまりもない。  僕の場合、いい予感より悪い予感が当たる体質なんだよな。  案の定トラックが、真っすぐこちらに向かって来ている。しかも、既にセンターラインを越えてこちらの車線に入っている。トラックの運転手が見えた。  やっぱり! 居眠りでハンドルに突っ伏している。  このままじゃ正面衝突。右に交わすか? いや、トラックが、急にハンドルをまた右に切るかもしれない。それにかわしてもトラックの後続車に衝突する。  だめだ! じゃあ、左か? 左は海だ! 水面までは、4メートルぐらい。落ちたら。かなりの衝撃で突っ込こんで水中に没するぞ。    どうする!  どうする!  どうする! 「坂東さん! 前からトラックが来てますよ! きゃあ! ぶつかる! 」  渚さん、どこ見てたんだい今頃気づいたんだね。 「渚さん! 座席にしっかりつかまっててよ! 」  僕は、決断した。  アクセルを思いっきり踏んだ。  おりゃあ! ツースト(2ストローク機関)の加速を見ろ!  急加速をして、ぼくの車は、ガードレールの隙間(すきま)を突っ切って海に向かってジャンプした。  加速をしていたのでフロントから突っ込まず、ほぼ海面に水平に着水した。  強烈な衝撃を受けたが、やった! 正面衝突はまぬがれた! トラックはガードレールに激突して止まっていた。  僕は、渚さんを見た。 「渚さん、大丈夫! 」 「だ、大丈夫です」  渚さんは、まだしっかりと座席をつかんでいる。  海水が車内に流れ込んで来る。窓を全開にしておいたのが幸いした。そこから出られる。 「渚さん。はやく窓から外に出るんだ」  僕は、渚さんを窓から押し出そうとした。  しかし、シートベルトがはずれていない。  僕は、バックルのスイッチを押したがベルトが抜けない。衝撃で故障したのか?  これでは、渚さんが座席に拘束されたままだ。  海水はもう首のところまできている。そうだ、たしかグローブボックス(助手席の前にある収納スペース)に緊急用のはさみがあったはずだ。僕は、グローブボックスを開けた。 「坂東さん、坂東さんこそ早く出て下さい。わたしは自分で何とかします」  そう言った渚さんだが、もう海水は顔が浸かるほどになっていた。渚さんは、早い深呼吸を始めた。そうか、彼女は水泳部だったよな。泳ぐのは大丈夫だろう。ならはやく車から出ないと。僕も、大きく息を吸い込んだ。顔が海中に没した。  何とかはさみを取り出し、手探りで渚さんのシートベルトを切った。そして、渚さんを窓から車外に押し出した。  よかった。海面に向う渚さんが見えた。  今度は僕だ。車は、水平を保ったまま沈没し着底した。    苦しくなってきた。シートベルトのバックルを外そうとしたが、外れない。こっちも故障か。緊急用のハサミは、渚さんのベルトを切った時にどこかに落としたようだ、手の届く範囲には無かった。  こうなったら、ベルトの長さを緩めるしかない。  腹部に隙間ができた。よし出られる。(ひざ)まで足が抜けたところで気が遠くなってきた。  渚さんは大丈夫かな。水面が明るく見える。そんなに深くはないな。キラキラしている。  あれ、何か来るぞ。ああ、人魚だ。  と思った時、周りがプツリと真っ暗になった。  ゴンゴンゴンゴン……音がする。僕は目を開けた。横向きに寝ていたようだ。  体を起こすと、小さな漁船に乗っていた。目の前には……。 「渚さん……」 「坂東さん! わたしがわかる? 」 「そうだ、トラックをよけて車で海に飛び込んだんだ。渚さんケガはない? 」 「何言ってるんですか、危なかったのは坂東さんの方ですよ。私は、先に車から出してくれたんで大丈夫でした」  この漁船の老船頭が様子を見に来た。 「にいちゃん、目が覚めたようやな。よう助かったな。  このおねえちゃんがにいちゃんを車から出して、そのあと人口呼吸もして助けてくれたんじょ。  わしゃ、たまたまこの辺で漁をしとったでね。  車が海に飛び込んだんで来てみると、おねえちゃんが、水面で服を脱いで潜っていったとこやった。そしたら、おにいちゃんを引っ張ってあがってきたんやで。早かったからにいちゃんも助かったんやな。よかったわい」  僕は、それを聞いて渚さんを見た。今では、シャツとスカートを着ていたが、水中で見たあの人魚は渚さんだったんだね。  びしょびしょじゃないか。折角、夕立が上がって晴れたというのに。 「坂東さん。ありがとう私を助けてくれて」 「いやあ、こちらこそ危ないのに助けに来てくれて、君こそ僕の命の恩人だよ。『心中』にならなくてよかった」  その後は、警察の検分(けんぶん)やら病院へ行ったりとごたごたしたが、一番緊張したのは、渚さんのご両親に会った時だった。  大切な娘の命を危険にさらしたのだ。無事にはすむまいと思っていたが、それは杞憂(きゆう)だった。  逆によくぞ娘を救ってくれたと大いに感謝された。とっさに海に飛び込んだ判断を評価してくれたのだ。正面衝突なら二人とも即死だったろう。  渚さんを車に乗せたことについては、娘が無理を言って迷惑をかけたと謝罪までされた。  数日後、僕は車を買い替え、仕事を辞めた。その後、坂東渚さんと交際を始めた。それはまた別の話になるな。  渚さんは、ヒッチハイクが学校にバレて停学処分を受けた。  そして停学期間が終わり、晴れて水泳部を辞めて、北之灘高校女子ヨット部を復活させた。 北之灘物語 夏 藍色心中 おわり
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