第一章 井戸の底には人魚が眠る

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 今はランチの時間で、俺は夕方と早朝のシフトなのだが、急遽手伝いに駆り出された。日中にパート勤務で働いている、田中さんが風邪でダウンしたのだ。 「昼間も八起ちゃんに会えてうれしいけれど、学校は大丈夫?」 「はい。今日は、設立記念日とか、そんなので臨時休校だったので大丈夫です」  学校では、五十周年記念とか、そういう祝いの式典をしているので講義がない。在学生も出席しているようだが、俺は興味が無かった。 「八起ちゃん!!!!!可愛い!!!!パンの持ち帰りをお願い。それとコーヒーをポットで持ち帰りね」 「はい!パンとコーヒーのお持ち帰りですね。かしこまりました」  パンは売り切れ寸前で、後は食パンが残るのみだ。俺が袋に詰めていると、客が近くにやってきた。 「八起ちゃん、いい匂い。焼き立てのパンみたいだ」  それは、トーストを焼いていたせいだろう。 「お客様、こちらで会計をお願いします」  客が俺に抱き付いてきたので、やんわりと直哉が睨んで退けていた。 「ありがとう。直哉、助かった」 「……八起ちゃん、隙が多い」  直哉も同じ大学なので、今日は一緒に金太楼で働いている。そして、俺の名前を連呼する客は常連の男性が多く、直哉を指名する客は圧倒的に女性客であった。 「忍坂さん、あの…………オーダーをお願いします…………」 「はい、どうぞ!」  直哉は、いつもは地下の黒船で働いていて、兄の紀行と併せて、奇跡の兄弟と呼ばれていた。  そして今日は、番犬のように店で睨みを効かせていた。その姿もストイックで、かっこいいが、やや客が怯んでいる。 「……………………直哉君、睨まない」 「……はい、雪谷さん。すいません」  この忍坂 直哉は、長身で顔が良く、性格も一点を除いては、穏やかであった。
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