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5 years old
「あゆみちゃーん、お父さんがお迎えに来たよー!」
男性保育士が部屋の入り口から声をかけると、隅にぺたりと座って絵本を読んでいたあゆみは顔を上げた。
肩より少し長い黒髪がさらりと揺れる。
あゆみはぱたりと絵本を閉じて立ち上がり、入り口に立つ保育士へ駆け寄った。
空色と薄ピンク色のチュニックワンピースに、フリルのついた白い靴下。指定の肩掛け鞄の位置を両手で調整して、あゆみは保育士に向かって丁寧なお辞儀をした。
「せんせい、さようなら」
「はい、さようなら」
昇降口には、四角い顔に黒ぶち眼鏡、神主装束の父親が立っていた。
首からはきちんと保護者の証である名札を提げている。
「うわ」
ところが父親の姿を見るなり、それまで上機嫌だったあゆみは思いっきり顔をしかめた。
「あゆみ、帰るよ」
あゆみが外靴に履き替え終わったところで父親がごつごつとした手を差し出してきた。
それを拒み、あゆみは外に飛び出た。
「こらっ、待ちなさい!」
父親が慌ててどかどかと追いかけて行く。
昇降口に立っていた女性保育士は、その光景を微笑ましく見守るかのようにさようならと声をかけた。
季節は紅葉真っ只中の、秋。
黄色、赤、茶色。木々も土の上も彩りは艶やか。
くしゃくしゃと枯れ葉を踏む音は軽やか。
あゆみの家は山の上にある神社だ。
山道に入ったところで、父親はようやく情けない声を上げた。
「あゆみ、待ちなさい」
くるりと振り返ったあゆみのワンピースの裾が、ふわりと舞う。
「しっぽみえてたよ、ポン吉。ばけるのへたすぎ」
虚をつかれたように、父親は目を丸くした。
――ぽんっ!
煙が父親を包み込み、父親の代わりに現れたのはたぬきだった。
「うるせぇ。あと俺はポン吉じゃねぇ、吉太郎だ」
「ポン吉はポン吉でしょ」
人間の言葉をしゃべるたぬきと過ごすのは、あゆみにとっては日常。
神社の仕事で忙しい父親に変わって、ここ最近は神社に住み着くこのたぬきが迎えに来るのだった。
「さ、帰るよ、ポン吉」
ひとりと一匹は並んで山道を登って行く。
落ち葉を踏むと、まるで楽器のようにメロディーが奏でられているようだった。
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