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恋愛コンプレックス
こんにちは。熟成みかんです。
日が短くなってくるとどうしてこうも、もの悲しくなってくるのでしょうか。
皆さんセンチメンタルにならずに過ごせていますか? 私はもうすでに秋の魔力にやられかけております。
そんなセンチな自分にまかせて今日はサブタイトルにもあるとおり恋愛について語ってみることにしましょう。
いきなり本題ですが私は愛とか恋という言葉はあまり好きじゃなかったりします。それは自分が過去の経験で「人を好きになるというのは醜い感情なんだ」という歪んだ価値観が作られているからです。
本当はそんなことはないと思いたい。ただの考えすぎだと思いたい。
しかし、いろんな価値観を生で体感する青春時代に正しく作られるはずだった人を健全に愛するという器は度重なる自己否定の末、鋳型を間違えた鉄細工のようになかなかもとには戻らないものになってしまいました。
私は純粋に人を好きになったことがありました。
ただ、きっと純粋すぎたと今だったら思うのです。
私の好きは気持ちが悪かったに違いないと心から思います。今まで生きてきた相手の人生のキャンバスを自分の色に染めたい。相手の全てから得られるものを吸収したいという欲が出てきてしまうのです。
ただ、相手を支配したいような、すべてを知り尽くしたいような、いいところも悪いところも、存在全てを覆いつくしてしまうかのような黒い絵の具のような粘っこい感情がふつふつと湧いてきてしまうのです。
不器用な私は「あなたが好きだ」「あなたの全てが欲しい」という気持ちをむき出しのまま相手にぶつけて続けていました。
その当時の相手のリアクションからむき出しの好きの感情は醜いものなんだということを学びました。
そんな私を好きになってくれる人もいました。
だけど、私は相手の気持ちを素直に受け止めることができなかった。
それは私が「好き」という感情に対して嫌悪感を抱いているからなのでしょうか、どうしても相手のがつがつと自分のことを知ろうとする気持ちが、自分の醜い本性を暴こうとしてくる怪物のように思えてならなかったのです。
そんな異性の姿に自分の過去の人を愛していた姿が重なり一層気持ち悪くなりました。
そして私は思う。
私なんて不器用で、愛情が重くて、どこにいってもはぶかれる「腐ったみかん」にすぎないというのに。
そうやって自己否定というずるい逃げ道を使って何度も相手からの好意をふいにしてました。
そんな経験を踏まえて自分が思うに愛情というのは自己満足にすぎないという思いがどうしても出てきちゃうのです。どれだけ重く深く相手を愛していても相手によっては負担に感じてしまうかもしれない。ラッピングされていないむき出しの感情はひどく醜悪で粘っこい。
恋する立場も、恋される立場を経験してなんで恋なんかしちゃうんだろうと思う。
何度繰り返してもそうやって思うのにそれでも私はまた恋をしようとしている。
相手のことを愛おしいと思う相手ができてしまったのです。また話したいと、会いたいと思う相手ができてしまいました。
人を好きになんて良くないことなんだと思っていてもやっぱり人は恋をしてしまう。
「そんな醜い感情を抱えながら、必死になりながら、どうにか着飾って、背伸びして実るからこそ恋は美しいんだな。」
とこの文章を書きながらそう思えるくらいには私の心の歪みが少しだけまっすぐになった今日この頃でした。
~おまけ~
PNの由来と創作のルーツ
文中にもでてきたように「私なんてどこにいってもはぶかれる腐ったみかんに過ぎない」という卑屈すぎる理由からとりました。
ただ、どれだけはぶかれた先でも創作という分野なら……。
自分はただ腐っているだけじゃないよ。メンヘラ気質な私のおいしいところをすこしだけでも見て。という意味を込めて熟成みかんとさせています。
こんな感じでただのみかんにしてはクソデカ感情がてんこ盛りですがよろしくお願いします。
こんな感じで恋愛にひどくコンプレックスを持っているので自分は歩めなかった甘い恋愛ができたらいいなあと思いながら、周りの友人の恋愛事情を見ての想像でいつも恋愛短編を書くことが多いです。
いつかはコンプレックス丸出しの激重BLとかも書いてみたいものです。
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