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都会の夜空は案外明るくて、建ち並ぶビル群の光をそのまま吸い込んでいるようだった。お陰で小憎らしい雲が生き生きと躍動的に見える。絵画から飛び出してきたみたいに幻想的。
そのときだった。誰かが目の前で立ち止まる気配がして視線を戻す。まさか、また星良さん?三度目どころか四度目?それはヤバい。ヤバいヤバいヤバい……御曹司とまではいかないが、前の彼も紳士的で、仕事が忙しかったが経済的にも恵まれていた。
もう同じような経験はしたくないという思いが半分、どこかで期待してしまう自分も半分あった。だって、いくら同じ会社、同じビルで働いているからといって、違う部署の人とこうもしょっちゅう顔を合わせることはないと思う。さすがに今日出会ってしまったら本気の本気でヤバい気がする。次期社長を口説き始めるかもしれない、この一般社員が。
強まる雨足と黒い傘でよく見えなかったが、よくわからない緊張感で生唾を飲み込む。傘がくいっと持ち上げられたその下からぬっと顔を出したのは……
「また、傘忘れたんですか」
怜央だった。
何だ、怜央か。と安心とも落胆ともいえる感情が湧く。
しかしよく考えるとおかしなことだった。彼は数時間前に退社し、友達と楽しい晩餐を取っているはず。早くお開きになったとしても、駅から遠い会社の前にいるのは不自然だ。見間違いかとも思ったが、何度瞬きしても怜央は怜央だった。
「忘れたっていっても、残業しなかったら降ってなかったし……」
精一杯の強がりを見せる。
「傘忘れるのわかってるんですから、置き傘とか作ればいいのに」
「確かに……で、何でいるの?」
「帰るついでですよ。たぶん、傘持ってないだろうなとたまたま思って」
帰るついでといっても友達と食事なら、近くても駅周辺、電車移動も十分にありえる。最寄り駅から会社までそれなりに距離があるので、ついでとは考えにくいが、何か用事があったのかもしれない。
「それで、心配して来てくれたの?」
「はい、まあ。さすがに今日は星良さんも来ないと思いましたし……来られても困るんで念のため」
最後の方は声が小さくてよく聞こえなかったが、来られても困る、とはどういう意味だろうか。
「星良さんだって、こんな遅くまでは残ってないでしょ」
「次期社長なんでわかんないですよ。ここで出会っちゃったら運命確定しますしね」
「いや、安心して。もう確定は……ない」
ヤバくはあったけれども。
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