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 傘を返すべきかどうか悩んでいた。十中八九同じ会社の社員だと想像がつく。このビルは貸しビルで、ビルの八割は私の勤める鈴木テクニカが占めていた。大きな会社ではないので、探そうと思えばそう時間も要せず探せる気はする。  スーツを着ているのも営業部くらいなもので、それ以外の部署は服装自由。最低限の決まりはあったが、あってないようなものでみなおのおの好きな服を着て出勤していた。  営業部はビル五階。私は三階のシステム開発部所属。悩んでいたのは、営業部を訪ねたことが数えるくらいしかなかったからで、いきなり訪ねるのもためらわれたし、社内メールを送ろうかとも思ったが、そもそも名前がわからない。訪ねていってもいつも一部の社員と会議室で打ち合わせするだけで、名前と顔も一致しない人がほとんどであるから、彼を見つける自信もなかった。 「何か悩み事っすか」  隣の席の鈴木怜央(すずきれお)が気だるげに話しかけてくる。怜央は一年ほど前に中途で入ってきたシステムエンジニアで、二十代半ば。ラフな服装と学生時代を抜けきれていないような見た目のわりにプログラミングの腕は確かだった。正確には、腕は確か、という噂だった。  私たちはずっと隣の席だったがチームは異なるので、一緒に仕事をすることはない。ハロー、ワールド!とたまにどうでもいい話をするだけの気楽な関係なので、彼の組むプログラムが綺麗であろうが汚かろうが、バグが多かろうが私にはほとんど害がないし――間接的な害はあるかもしれないが――関係なかった。  高専卒ということで、社会人歴も私とそこまで変わらないため若い強者でもまあ頷けた。大学の時に高専からの編入組は何人もいたが、大学の二年間なんてホントくだらないことしか勉強していなかったんだな、と気づかされるだけの時間だった。  残りの二年間、大学院に進む人は約四年間、その時間の頑張りでもちろん彼らの能力を超えることは可能だが、それなら一年生、二年生のころから専門教養だけを勉強したかったと心からを思う。  心底願おうとも大学がそれを許さない。一般教養という授業科目で、必須として受講しなければならないものが数多く存在したからだ。
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