合宿

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合宿

 あれはたしか凄く熱い夏の日であった。  俺が主将を務めていた高校の部活である空手道部の夏の合宿での出来事。  それは恒例としている海辺に近いお寺を宿泊場所として2泊3日泊まり込みの練習をするというものである。毎年夏にはこの場所で合宿を行い、三年生は進学に備えて引退を迎える。そしてその合宿の最後の日には、引退していく先輩部員が後輩達全員と組手を行う事が慣例となっているのだ。  この年の三年生は俺を含めて五名、下級生は二十人ほどであった。まあ、組手と言っても本気で殴り合いをする訳では無くて、軽いライトスパーリングという所であった。  卒業する俺達が横並びになり、それぞれ、その前にそれを見送る下級生達が列を成して並び、卒業生達が順番に相手をしていくのだ。  数人の後輩部員との組手をこなしてから、その名前が呼ばれた。 「篠!あなたの番よ」名前を呼ばれて篠原は俺の前に移動してくる。 「近藤先輩、宜しくお願いします!」篠は、丁寧にお辞儀をすると攻撃を主体に置いた構えを見せる。軽くフットワークを踏みながら、左右の体を揺らせながら俺の死角に入り込もうとする。「やー!」綺麗な上段回し蹴り!俺は体重を少し前にかけながら両腕で受け止める。  軽い、そのまま片手で蹴り足を下に流すように落とした。篠の体が半身になる。俺は篠の道着の襟を掴んで引き落とす。そのまま、体制を崩して倒れる。 「ちっ!」篠は悔しそうな顔をするが、ひるまずもう一度立ち上がって、構えを取る。 「やっぱり近藤先輩すげえな!篠でも全く歯が立たないなんて・・・・・・・」周りの部員達は自分の練習をする事を忘れて、俺達の組手に目を奪われているようであった。 「やあー!」篠は右左の突き、前蹴りすると見せてから蹴りの軌道を変えたかと思うと、また上段をめがけて襲ってくる。俺は半歩後ろに下がって鼻先でその蹴りを見切った。篠は振り切った蹴りを巻き戻しするように、後ろ蹴りを放ってくる。さすがに俺も驚いたが、体を後方に反らしてそれを避けた。 「そこまで!」時間を計測していた部員の声が響く。 「えー!もう時間なの!?もう少しで近藤先輩に勝てたのに!!」篠は顔を少し赤くして頬を膨らませる。 「おいおい!俺は、まだまだ負けねえよ」俺は腕組をして余裕を見せる。しかし、内心では最後の蹴りは危なかったと冷や汗をかいていた。 「組手は終わりなんでしょ!型を教えてください!あの……、先輩の得意な『ナイファンチ』がいいです!」篠は、幼少の頃から空手を学んでいたそうで、他の生徒と比べて技術の差は歴然としていた。町道場で黒帯を拝借しているそうであったが、学校のクラブでは初心から学ぶということで、白帯からやり直しと云うわけであった。それでも、他の先輩部員達では相手にならないような状況であった。  ちなみに、俺も他の流派であるが幼少の頃から空手を続けており、所属する道場では学生ながら指導員という役職を頂戴している。 「ナイファンチは、クラブの流派ではやらない型だから、覚えても昇級や昇段試験には出ないぞ。地味な型だから試合でもあまりやる奴もいないし・・・・・・・」ナイファンチという方は、狭い場所でも出来る、コンパクトな空手の型ではあるが、難しいものであった。動き自体は地味に見えるので、若い選手はあまり練習をしないようである。俺は実践に生きる型として、ずっと一人練習を続けていた。偶然、それを見た篠は、この型を気に入ったらしく、ずっと教えてくれと懇願してきていた。なかなか、クラブの顧問の教える空手と違う物を堂々と練習する事は失礼であると考えて、大ぴらには見せないようにしていたのが本音であった。 「だって、ナイファンチ、覚えたいんだもの・・・・・・」篠は少し恥ずかしそうに上目使いで下から俺を見る。 「じゃ・・・・・・、じゃあ・・・・・・・、休憩時間に教えるよ」俺は、背中を向けて視線を逸らす。正直言うと、篠のその表情に少し胸がときめいてしまった。  あっ、誤解しないで欲しい。言い忘れていたが、篠はれっきとした女性部員であった。彼女は部員の間でも人気があるようだ。その人懐っこい性格と、空手をやっている時と普段の彼女のギャップが良いのだそうだ。これは、あくまで他の部員から聞いた感想である。  練習が終わり他の部員達は休憩する為に、宿泊する寺の方に戻って行った。今日は、合宿の最終日で、先ほどの練習が今回の合宿での最後の練習であった。あとは一泊して帰るだけである。 「それじゃあ、始めるか」俺は皆の姿が見えなくなったことを確認してから、彼女に声をかける。なぜか他の部員達に二人で練習している所を見られるのは、なぜか抵抗があった。 「はい!」篠は嬉しそうに返答をする。しかし、練習後で疲れているはずなのに、こんなに嬉しそうなのを見て、相当空手が好きなのだなと感心する。 「それじゃあ、俺が手本を見せるから、後ろから見て真似して」俺は両足を揃えて、下の方で両掌を重ねる。「ナイファンチ!」そう叫んでから、方の動作に入っていく。見様見真似で彼女も型の動きをしていく。 「よし、一度やって見せて」俺は篠に一人で型をするように即す。 「はい!」篠は眼を瞑ってから呼吸を整えた。「ナイファンチ!」そう叫ぶと型を表演する。その型は初めてとは思えないほど決まっている。きっと俺の型を見て自分で試行錯誤しながら練習していたのであろう。 「上手いじゃないか!」思わず拍手をしながら声に出して褒めてしまう。 「だって・・・・・・・、近藤先輩の動きをずっと目で追っていたから・・・・・・」彼女は急に乙女の顔になって下を向いて表情を隠した。それは、あまり部活動の間には見せた事の無いような顔であった。 「え、ああ、そうなんだ・・・・・・・」なんだか、こそばくなって頬を人差し指で掻いた。その途端、頭にポタポタと大粒の水滴が落ちて来る。 「あっ!」急に激しい雨が降り出してきた。先ほどまでの晴天が嘘のような激しい雨。俺達は、慌てて寺の方に戻ろうとするが、前が見えない位の豪雨が襲ってくる。寺に戻る細い山道を二人で手探りのような状態で歩いていく。 「おい!篠!大丈夫か!!」俺は目を凝らすが彼女の姿は見えない。 「こ、近藤先輩!!前が見えない!」彼女も俺の姿を確認出来なくて慌てている様子であった。 「おい!篠!俺の手を、手を握れ!!」彼女がいると思われる方に手を伸ばす。しかし彼女の返答が聞こえない。「篠!大丈夫か!!」一向に返事がない。雨の音が二人の声をかき消してしまう。 「きゃあ!!!」唐突に篠の悲鳴が聞こえる。足元が緩くなって足を滑らせたようであった。彼女の悲鳴が遠くなっていく。 「し、篠!篠!!」手探りで彼女を探したが、彼女の気配そこにはなかった。そして、俺の耳に彼女の声は聞こえなくなっていた。
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