好奇心

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 少し風が出てきたのか、細い雨粒が窓に当たって落ちていく。耳を澄ませば教室の賑やかな声が微かに聞こえてくる。それとは対照的に、この場所には静寂が広がっていた。それは心地良くもあり、逆に居心地悪くもある。  ちらりと横目で見た彼女は手を止め、無表情に弁当に視線を落としていた。 「――如月さ、いいの? 昼休憩にわたしなんかと一緒にいて」  唐揚げをつまんで食べながら訊ねる。彼女は「え、なに急に」と困惑したような笑みで首を傾げた。 「友達と一緒に食べてるじゃん。いつも」 「水無月こそ」 「わたしはたまに一人で時間潰してる」 「……もしかして、今日も一人が良かった?」  そう言って見つめてくる彼女の表情は不安そうだ。 「さあ、どうかな」  叶向は呟き、ペットボトルの水を一口飲んだ。  別に一人が好きというわけでもない。むしろ一人は嫌だ。一人でいると自分だけがこの世界に取り残されてしまうような気がする。  しかし誰かと一緒にいても自分が満たされることはない。自分がその世界に溶け込めるとも思えない。だから時々、学校でも一人で過ごすのだ。どうしようもない疎外感から抜け出すために。  叶向はペットボトルを置くと如月に視線を向けた。彼女は不安そうに水無月のことを見ている。その不安は何に対するものなのだろう。そもそも如月との関係は何だ。友達というほど仲が良いわけではなく、ただのクラスメイトというほど遠い存在でもない。そんな彼女が叶向に求めているものが何なのかわからない。  ――違うのかな。  如月を見た時、まるで自分のような表情をする子だと思った。そんな彼女に好奇心を持って話しかけた。そしてこの二ヶ月の間に話してみてわかったことは彼女との共通点は何もないということだった。  趣味も、好きな食べ物も好きな芸能人も何もかもが違う。それなのに構えず自然な自分で会話ができるのは単純に波長が合うだけなのかもしれない。ただ、それだけ。  きっと彼女は他の人と同じで自分とは違う。彼女はきっと、向こう側の人間。 「水無月?」  不安そうに如月が叶向を見つめてくる。そんな彼女に叶向は微笑んだ。  期待などしないほうがいい。わかり合えるかもなんて思わない方が良い。わかり合えたとして何が変わるわけでもないのだから。別に傷の舐め合いがしたいわけでもない。  ――だったら少し、試してみようか。  叶向は残っていた最後の唐揚げをつまんで食べながら「如月、彼氏は作らないの?」と訊ねた。瞬間、彼女の顔から表情が消えた。 「え、なに急に」 「じつはけっこうモテるんじゃないかなぁと思って」 「……それは水無月でしょ」 「まあね」  否定はしない。素直に自分はモテる方だと思う。告白された人数だって、もうよく覚えていない。そして相手から好意を告げられるたび、疑問に思う。こんなわたしのどこが好きなのか、と。  どうして好きだと思ったのか。  その気持ちはどこから沸いてきたのか。  しかし、そんなこと口に出して聞けるわけがない。だから適当に付き合ってみればその気持ちもわかるのではないかと思った。カシャッと如月が弁当箱に箸を置く。 「今は? 彼氏、いるの?」  探るような彼女の目は友人たちが叶向に向けるものと何も変わらない。しかし求めている答えは違うような気がする。叶向は「いないよ」と肩をすくめた。 「いてもすぐ別れるしね」 「それ、噂で聞いた。いつも二週間くらいで別れてるって……。なんで?」  何の悪意もなさそうな顔で彼女は叶向を見つめている。ただひたすらに純粋な瞳で。  ――やっぱり、違うんだ。  そのとき自分に沸いてきた気持ちは安堵だったのか、それとも落胆だったのかよくわからない。それでも如月に対する興味は薄れることはなかった。彼女の反応は周りにいた誰とも違っていたから。  叶向はまっすぐな瞳をあえて見つめ返しながら「好きじゃないから」と答える。 「好きじゃないのに付き合うの?」 「そう」 「でも別れるんでしょ?」 「好きじゃないからね」  如月は眉間に皺を寄せて「よく、わかんない」と難しい表情を浮かべた。どうやら真剣に考え込んでいるようだ。 「如月は?」  彼女は眉を寄せたまま首を傾げる。 「付き合ったりしたことないの?」 「……ない」  そう答えた彼女の顔は、やはりどこか自分と似ているように思える。何かに怯えたような、困惑したような、そして何かを渇望しているような目。叶向は笑みを浮かべる。 「付き合ってみればいいじゃん」 「好きじゃないのに?」 「付き合ったら好きになるかもよ?」  ――わたしはならなかったけど。  心の中で思いながら叶向は言う。如月は真剣な表情で「それは考えたことなかった」と呟く。 「じゃ、試しにやってみなよ。誰か適当な奴とさ。いるでしょ? 告られた相手の一人や二人」 「……それは相手に失礼じゃない?」 「真面目か」 「真面目です。水無月と違って」  如月は不満そうな口調で言った。叶向は彼女から視線を逸らし、顔を俯かせながら微笑む。 「わたしと違って、か……」  そうだろうと思う。きっと彼女が求めているものは叶向が求めているものとは違う。如月は叶向と違って純粋だ。そんな彼女が求めているものは何なのだろう。 「……水無月?」  呼ばれて叶向は顔を上げてニヤリと口角を上げた。 「じゃ、わたしと付き合ってみる?」 「――は?」  如月が大きく目を見開く。 「とりあえず土曜日、どっか行こっか。デートしよう」 「待って。展開が理解できない。なんでわたしが水無月と付き合うの」 「好きになるかどうか実験?」 「ならないでしょ。女同士だし」 「その言い方だと、わたしが男だったら好きになるかもしれなかった?」 「それは――」  如月は少し考えてから「わからないけど」と答えた。その真面目な反応が面白くて叶向は息を吐いて笑う。 「わかんないんだったら試してみようよ。とりあえず女のわたしで。わたしもちょっと興味あるし」 「興味? わたしに?」 「いや。同性と付き合ったらどうなのかなぁって」 「……二週間で捨てる気でしょ」 「それも含めて試してみよう。もしかしたら如月の方がわたしを捨てるかもしれないし」 「えー、なにそれ」  そう言いながらも彼女に拒否する気配はない。断れないだけなのか。それとも彼女が求めるものが叶向の提案の中にあるのか。 「それより、お弁当食べてよ」  彼女は見覚えのある誤魔化すような笑みを浮かべて叶向の方へと少し弁当を寄せた。叶向は首を横に振る。 「残りは如月が食べなよ。わたしはお腹いっぱい」 「ダメだよ。ちゃんと食べないと」 「また作ってくれたら食べる」 「……じゃあ、作ってくる」 「うん。よろしく。わたしの彼女さん」 「えー、わたしが彼女なの? 水無月が彼女してよ」 「いいよ」  膝の上に頬杖をついて微笑む。如月はまだ困惑しているのか、反応に困っている様子だ。その反応を見るのが面白かった。  この提案はただの好奇心。同性と付き合ったときに自分は今までと何か変わるのだろうかという好奇心。そして万が一にも同性となら欲しかったものを手に入れることができるかもしれないという、ごく僅かな期待。  きっと相手が如月でなければ、ただそれだけのことだった。叶向の世界が変わることもなかったはずだ。  どうして如月だったのだろう。  このときの遊び半分の言葉が、今でも叶向の心を縛りつけている。
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