第32話-秋時雨の姫 壱

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第32話-秋時雨の姫 壱

静春が話し始めたのは、つい先日の事だそうだ。 静春は雅を求めて旅に出かけたその帰りに紅に染まった楓を眺めていたところ秋時雨に見舞われ、近くの廃寺に駆け込んだそうだ。雨に打たれる楓を眺めどこか侘しい気持ちになっていると、壺装束を身に纏ったどこかの公家の姫だろう上品で美しい振る舞いの女を見つけたそうだ。 女の供だろう者が車を後ろから引き連れ、その女は寺社参拝の帰りだったらしく、むしの垂れぎぬが雨に濡れ衣に張り付いてのを、その女はゆるやかな手つきで剥がしていた。その動作をしている間に何かを落としたのか、自分がいる辺りを探し始めたが、雨が上がると探すのを止め、車に乗り込んですぐに帰ってしまったそうだ。 どうしてもその女を忘れられないと、京に戻ってから知り合いに尋ねたようだが、廃寺の陰から覗いていていただけだったため、女の特徴を伝えることが出来なかった。そんなだったから、知り合いも分からんの一言で探すことが困難になっているようだ。 *** 「だから、どうか秋時雨の姫の居所を見つけだしてほしい」 そう言って忠栄に土下座している目の前の男は、本当に攻略対象の在原静春なのだろうか、と疑いたくなる。 いや、陰陽道を司る忠栄に色恋事を頼みこむような男だから、貴族の間で京一の雅男と呼ばれているのだろう。 ハハ、ほとんど揶揄われてんじゃねえか。 #静春__コレ__#が家に訪ねてくるのを待っている様子が楽しそうだ、なんて言われて、忠栄が微妙な顔をした理由がよく分かった。 さっきまでの攻略対象たちに対して手助けすることを決めたのを忘れたくなるほど、彼のその行動には呆れたものだ。 それにしても、秋時雨の姫ね、なるほど秋時雨に見舞われて出逢った事が由来か。もしかしてこいつ出逢った女、すべてにあだ名を付けているわけじゃないよな? 流石に……いや、考えるのをやめよう。 忠栄は困っている様子で、う~んと軽く唸ってから静春に言った。 「その女の身分や特徴が分かれば手助け出来るのですけど、本当に何も見ていないの?」 「そうなんだよ、身分も分かるわけないだろう? お偉いさんたちの姫だったら車で分かるんだが、どうも身分を悟られたくないようでな、家紋も何も入ってなかったし、ただ、身なりは公家のうちのどこかの者だろう」 「静春様、その女が何かを探している様子だったと言っていましたよね?」 「ん?……ああ」 「何か見つかりましたか?」 俺がそう言うと、静春は布で包んだ櫛を見せてくれた。 「菊模様の櫛?」 菊? 俺の幼名に関わる花……いや、考え過ぎか。 菊は長寿を願う花、櫛にその模様が施されるのはよくあることだ。 だが、なぜこんなに胸騒ぎがするのだろうか。 「ああ、蒔絵の菊、こんなに美しい櫛を持っていた姫だ、きっと美人に違いない!」 「はは、いつもの事ながら女性が絡むと騒がしい人ですね」 「なんだと!」 「残念ですが、探すのは年明けになってしまいます」 「なんでだ?」 俺も忠栄がなぜそう言うのかが分からなかった。 「実は、先日暦博士が一人亡くなられましてね、私が補助をすることになったのですよ」 「ええ! なぜですか!? 兄様は陰陽博士になられるんでしょう?」 「そうです、しかし人が足りない、そして暦博士の補助を兼任することになりまして」 「そ、そんな……」 「駄目です! 兄様、過労死してしまいますよ!」 「はは、大丈夫ですよ、暦作成や雑務を少しばかり手伝うだけですから」 だから、それで過労死しちゃうんだってば! 陰陽博士の仕事だけでも大変なのに、暦博士までなんて、なんでこんなに自分を追い込むんだこの人!? 「それに、早く私が父上の役に立つことが出来れば、父上も安心して官位を上げて国司として隠居出来ますからね」 な、なんてこの人は父想いなんだ。 仏道の仏のような慈愛に満ちた微笑みは輝きすぎて直視できなかった。 静春はどこか引きつった顔をしていた。 どうしてそんな顔をしているんだ?  陰陽頭から官位があがるとすれば大国のどこかに赴任することになるだろう。出世できることは都で生きる者なら願ってもない事だろう。 ああ残念だが、どうやら静春はその姫を見つけることは諦めるしかないようだ。 しかし、諦めていなかったのか、「それなら」とそう言った静春に腕を引っ張られ、肩を組まれた。 「満成を借りる、それで良いだろう?」 静春が言った事に驚いて「はあ?」と声を上げた後すぐに忠栄が低く、しかしはっきりと言った。 「良いわけないでしょう」 「なんでだ? 彼も陰陽寮の者だろう?」 「陰陽寮の者でもまだ一年も経っていない学生です」 「そんなこと言ったって、忠栄、お前が満成を独占して無理やり他の学生と距離を取らせている事はもう俺の耳に入っているんだぜ?」 「え? 無理やり? だって、兄様は自身のお力証明されたのですよ? それで俺の勉強を見てくれていたのですよね、兄様?」 「へえ、純粋すぎるねえ」 「静春、あなた私を脅すのですか?」 忠栄は呪符を懐から取り出し、呪を唱え始めた。 「ま! いや! そういうわけじゃ!」 やばい、凄く怒ってるのが分かるくらい肌に忠栄の力が空気に乗って伝わってきた。 部屋の中には忠栄の澄んだ霊力に黒い呪力が混迷している。 忠栄の霊力は人一倍濁りが薄く、その力は呪術よりも悪鬼、霊の祓いや神聖な儀式に向いていて、人を呪う力は逆に彼の玲瓏と澄みきった霊力を汚しかねない。 「兄様! おやめください!」 「ハハハ、まさかこんなにキレるとは思わなかったぜ」 「おい、静春早く謝れ!」 俺が静春の方を向いてそう言うと、静春は返事をせず顔面を蒼白させて忠栄を見ている。 静春の視線を目で追って忠栄の方を見ると、なんと彼は静かに涙を流していた。 「え? 兄様!?」 「み、みつなり、貴方が東宮様と会っている時の口調も私は知りません、それに先ほどの静春のように私のことだけは名前で呼んでくれないのは、なぜですか?」 「へ?」 忠栄が言った言葉に理解が追い付かず、とりあえず大粒の涙で頬を濡らす、彼に駆け寄り扇を閉じ、崩れるようにもたれ掛かってきた身体を支える。 「兄様? 一体どうしたんですか?」 俺のその言葉に静春が溜息をついたのが聞こえた。 静春を睨みつけようと顔を向けた途端、忠栄に顔を掴まれ忠栄の顔と向き合った状態になった。 「あ、兄様?」 「ねえ、満成、私はあなたの兄様でしかありませんか?」 こ、これは危険だ。なんで、いきなりそんなことを聞くんだ? 「はい、忠栄止まれ」 そう言って静春の蝙蝠が俺と忠栄の顔の間に入り込んだ。 な、ナイス静春。 忠栄は少し落ち着いた様子を取り戻し、俺の狩衣を握ったまま「お見苦しいところをお見せしました」と謝罪をした。 「そんなことないですよ、あれでしょう? 俺が静春様と親しくしている事に気を悪くされたのでしょう?」 「そ、それは」 「お? ようやくこいつの気持ちに気付いたか?」 「兄様、俺は……静春様とはそんな仲良くないし、あなたを兄様として慕っているのは事実で、なんなら友人以上の関係だと思っていますよ、だから、兄様が友人のように話してほしいとのことであれば、慣れた口調で話すことにするよ」 俺が話している最中、静春と忠栄の顔がぽかんとしていた。 それにしてもまさか、忠栄が……友人のように振舞って欲しかったなんて思いもしなかったな。 弟の友成を意識して演じていたのが板についていたから、忠栄とは普通に話している気になっていたが、まさかそれだけの些細な事を気にしていたとは、え? 忠栄可愛すぎない? 「どうして、私の目の前でだけあのような口調だったのですか?」 「ん? ああ、だって自分が選んだ兄様になる人には好かれたいだろう?」 「す!?」 「あ、兄様もやめてほしいか?」 「え? いいえ! そのままで、兄様呼びはやめなくていいです!」 「そりゃあ、良かった、尊敬する人をただ名前だけで呼びたくないからな」 「そ、尊敬、いえ、あのあなたの方が本来年上なのですから、そのままで呼んでも構わないのですが」 「いや、兄様呼びと年齢は初めて会った時に言っただろう、それは変えられない」 「そ、そうでしたね」 シュンとする忠栄に申し訳なくなって、たまに名前で呼ぶことで表情が明るく戻った。 「あー、だめだ。これ以上忠栄で遊ぶな」 静春はそう言って忠栄と俺を剥がす。 忠栄は静春の「おい」という言葉に返事をする。 「何ですか?」 「やっぱり、こいつは俺の姫探しに手伝ってもらうから貰って行くな」 「まだ言うのですか? 駄目なものは駄目です」 「ふん、そんなこと言って良いのか?」 静春は忠栄の肩を組んで俺に聞こえない声で忠栄に何かを言っていた。 静春にその何かを言われて、急にこっちを見た忠栄の顔は、赤くなったり青くなったりと忙しそうだった。 暫く彼らの背中を見ていると、どうやら話がまとまったようで、言いくるめられただろう忠栄が不満そうな気持を隠さないままこっちを向いて言った。 「わかりました。満成は静春に付いて人探しを手伝ってあげてください」 「ああ」 俺の返事がいつもの聞き分けの良いいつもの返事ではなく、いきなりぶっきらぼうな返事をしてしまって、いくらこっちの口調で話しても良いと言われても、気分を害してないか不安になったが、その心配をよそに忠栄の頬は緩みっぱなしになっていた。 そんなに嬉しいものなのか? そしたら、友成の真似をしなくても良かったかもな。 「あ、それと」と忠栄は言って、俺に符を持たせた。 「これを使って、霊魂の残影の導きに従ってくださいね」 「助かる、兄様の符は京一の力がある、すぐに見つけられそうだ」 「それじゃ、さっそく探しに行くぞ満成~」 「ああ、兄様行ってくるな」 「ええ、お気をつけて」 こうして、さっそく俺と静春はその秋時雨の姫を探すことになり、忠栄の屋敷を出た。
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