プロローグ

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プロローグ

 黒煙と火の粉が舞う荒廃した都市。そんな場所で少女は、歩き続ける。  どこからともなく飛んでくる銃弾が頬を掠めても、歩みを止めようとはしない。その弾丸が自分に当たることはないと判っていたから。  ここは戦場である。  銃声と爆音が響き、血と硝煙の匂いが漂うその地には、人間の他に、もう一つの兵の姿があった。  人間のようでいて、人間ではない。それには、痛みなどという邪魔な感覚は備わっていない。人間の言語を話すが、心もない。体の内部には、ただ無機質な機構が巡っているだけである。  それらは機械仕掛けの人型兵器——魔動機関自律人型兵器(アンドロイド)なのだ。  アンドロイドたちは、人間という脆弱な肉の塊を守る盾となり、前線で列を組んで戦場を突き進む。  少女は、目の前に辛うじて建っている民家の陰に、敵が隠れているのを察知した。そこに手の平をまっすぐ向けて、無感情にエネルギー波を放った。  彼女もまたアンドロイドの一機なのである。  弾けるように粉砕した民家は、一瞬にして瓦礫と化した。  無造作に散らばった瓦礫の隙間から、隠れていた兵士の脚が覗いている。その兵士の僅かな呼吸音を、少女は聞き逃さなかった。  瓦礫の山に左手を入れ、兵士の首を的確に掴み、顔の高さまで引き上げる。兵士は頭や脇腹から血を流し、深緑の軍服を赤黒く染めていた。 「くっ……、クソったれ……!」  怒りと恐怖に顔を歪ませながら、瀕死の兵士は少女に言い放った。動かない手足で抵抗する代わりに唾を吐きかけるが、少女は眉一つ動かさない。 「コード〇九六。排除します」  予め設定されただけの、感情のない言葉の直後、少女の左手からごく微弱なエネルギー波が放たれると、兵士の頭部は濡れた音を立てて消し飛んだ。  首を失った死体が少女の手から離れていく途中で、煌めく物が、その細い指先に引っ掛かった。  それは兵士が首に提げていたペンダントだった。少女は足元に倒れた死体には目もくれず、垂れたチェーンの先で揺れるロケットにピントを合わせた。  ——開いている……。  攻撃を受けた弾みで開いた——というわけではなさそうである。とすれば、襲撃される間際に、この兵士(おとこ)が自分で開けたのだろう。  ——なぜ。  なぜこの戦地で。いつ死ぬとも判らない状況下で、そんな行為をしていたのか。あらゆる合理的な可能性をシミュレートしたが、答えは導き出されなかった。  ——あるいは。  このロケットに、何かこの状況を打破する指令が書かれているのではないか。そう考え、少女は改めてロケットを見つめた。  一枚の写真が貼り付けてある。成人した男女の間に、男児が立っている。それが家族という集団であることは、蓋の内側にあるたった一言の文章で判った。 〈Mu loov febrey〉  私の愛しい家族——そう刻印されている。  もしこの少女が人間だったならば、死を悟った兵士が家族を想ったに違いないと、推察することができただろう。しかしアンドロイドである彼女には、その行為の意味も、ロケットの真の価値も、解らなかった。廉価な合成金属で製造されていることから、大量生産品の一つだろうと推測するのが精一杯である。  その時、頸に埋め込まれたセンサーが、急接近する物体を感知した。それが魔法術式が施された弾丸であることは瞬時に理解できた。軌道を演算すると、自分の肩から三百七ミリメートル右側を通過し、後方の味方兵士に着弾することが判明した。  少女は、人間には到底不可能な反応速度で纏鎧(てんがい)術式を展開し、弾丸の軌道上に腕を伸ばした。直後、腕を保護するハニカム模様の防壁に弾かれる弾丸。目標を見失った弾丸は地面に埋没した。  その動作の合間にペンダントが指から滑り落ちていたが、自分の役目を思い出した少女は、そんな物など、もうどうでも良くなっていた。  少女はロケットを踏みつけて、再び歩みを進めた。
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