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どうしてと尋いて、アノはロケットを閉じて少女を見た。
「家族が傍にいることで、なぜ安心するのでしょうか」
「それは……。それは……」
——何でだろう。
アノは顎に手を添えて、首を傾げる。
考えてみれば、家族と一緒にいる時は、不安なんて物はなかったように思う。いや、なかったのではなく、不安が消えるのだ。どんな不安があっても、家族といるだけで、それは雪のように溶けて消える。
——でも。
それがなぜかと尋かれると、解らない。
当たり前のようでいて、これまで深く考えたこともなかった。
「僕にも……解りません」
結局、考えても答えは出なかった。
「そうですか」
そう言う少女の表情は、少し残念がっているように見えた。
「ところで、歩けるようになるまで回復はしましたか」
「え?」
突然、何の脈絡もなしに出された質問に、アノは困惑した。
「歩けるようになるまで回復はしましたか」
「えっと……」
繰り返される質問に、アノは頷いて答える。
「……うん。一応」
激しい動きはまだ無理かもしれないが、歩くだけなら平気だろう。
「では、そろそろここを出ましょう」
「え、ああ。じゃあ、その、色々ありがとうございました」
「はい。では、行きましょう」
その妙な言い回しに、アノは違和感を覚えた。何だか会話が噛み合っていない。そんな違和感。
「行きましょう」
少女は数歩踏み出たところで、振り返った。その目はぴたりとアノを捉えている。まるで、ついて来いとでも言うように。
「ぼ、僕も……ですか?」
「はい。そうです」
さも当たり前だと言うように、少女は言った。
「何で……僕まで?」
「元敵国——つまり東界国側の敵兵が、まだ残っているのです」
「どういう——こと……? 残ってるって、それは……別に……」
少女の言葉に、アノは困惑した。
あの戦争は十年前に休戦したのだ。休戦とは言え、戦いはもう、していないのだ。東界国の人たちがいたところで、だから何ら問題はないではないでないか。
しかし少女は、いいえと首を振った。
「東界国は休戦後に、アンドロイドへ、ある命令をしていないのです」
「それが、どうかしたんですか?」
「戦闘を止めよ——その命令が、入力されていないのです」
「え……? ——あ」
アノの脳内で、点と点が繋がった。
つまり、三日前にアノを襲ったのは——あるいはこの近辺で何人もの人を殺めていたのは——東界国のアンドロイドだったのだ。
「そのことについて東界国側は、アンドロイドの誤作動だと主張しています」
「でも。だとして、何で僕まで出て行かなきゃいけないんですか?」
「それは」
少女の視線がアノの胸元へ流れた。
「手術の際、私の部品の一部を移植したのです」
「イショク?」
初めて聞く単語を、アノはそのまま口にした。
「つまり、損傷した心臓を正常に動かすためと、治癒力を高めるために、私の魔力生成装置の一部を体に埋め込んだのです」
回復が早いのはそのためですと、少女は説明を加えた。アノは咄嗟に胸を見たが、当然そんな装置が見えるはずがなかった。
「その機械があると、どうなの?」
「我々アンドロイドには、魔力を感知するセンサーが付いており、一定量以上の魔力に反応するよう設計されています。そのため、あなたは敵のアンドロイドに発見されやすく、襲われる危険があります」
「そんな……」
なので——と、少女は言葉を続けた。
「私の任務中に、安全な場所へ送り届けます」
「任務?」
「はい」
「それって……?」
「私の任務は、敵国のアンドロイドを秘密裏に破壊することです。そのために、私たちは領土内を点々と回っているのです」
「へえ……。ん?」
少女の言葉にあった気になる単語に、アノは首をひねった。
「私たち? お姉さんみたいなのが、いっぱいいるんですか?」
はい、と彼女は首肯した。
「MEA-三〇九六を含むアンドロイドは、現在二万千百四十四機が稼働し、それぞれ任務が課せられています」
「二万……!」
想像もできない数だ。二万というと、百が幾つあるだろう。
「そんなにいっぱい……」
「いえ」
アノが溢した言葉に、少女は銀色の髪を揺らして、ゆるりと首を振った。
「半数以上が何らかのダメージを負っていますし、西界国全土でこの数は、少な過ぎます」
「じゃあ、もっと造れば——」
それも無理ですと、少女は言った。
「工場は全て破壊されているので。それに、名目上は休戦状態です。東界国側のアンドロイドが西界国側の軍の命令で破壊されたということが公になれば、戦争が再び始まる契機になる可能性もあります。あくまでも秘密裏に遂行しなければなりません」
「そうなんだ……」
「さあ、そろそろ出ましょう。長居は危険です」
「あ、でも」
家を出ようとする少女を、アノは引き止めた。
「何でしょう」
「その……服が……」
アノは、自分の衣服の状態を視線で示した。引き裂かれているうえに、血で汚れている。到底、外に出て歩ける服じゃない。
「確かに、それだと目立ちますね」
「それもそうですけど……。ちょっと待って、着替えるから」
そう言ってアノは自室へと駆け戻った。
「あの、さっきの話なんですけど」
「はい」
壁の向こうで少女が応える。
この家はそれほど広くはないし、壁も薄い。二人が離れていても、だから会話には充分な音量で声が聞こえる。
「安全な場所って、どこなんですか?」
アノはクローゼットから適当な服を引っ張り出しながら尋ねた。
「私たちを統括する軍の、医療施設です」
「イリョウ……病院って、こと?」
「はい」
アノはバッグを取り出し、適当な着替えと、家の鍵、それから僅かなお金をあるだけ入れた。
「そこで、移植した装置を外してもらい、改めて治療をしてもらいます」
「なるほど……」
形見のペンダントを首に提げ、安物のシャツを羽織り、深く帽子をかぶる。最後に、トントンと床を蹴って、靴を整える。支度を終え廊下への扉を開けると、そこにはやはり、直立姿勢の少女がいた。
「では、行きましょう」
「うん」
少女に連れられ、約十一年過ごしてきた家の中を通り抜ける。息を吸うと、日常の香りが鼻から肺へと抜けて、身体に染みていく。
玄関の扉を前にして、振り返る。仄暗い、質素で狭いダイニングが、そこにある。
——ああ……。
ここを出るということは、これまでの日常を置いていくということだ。それはまるで、大切な物を手放すようで、アノは寂しい気持ちになった。
「私は」
「え?」
少女は、ドアノブに手を掛けようかというところで、アノにそっと振り返った。
「私はこれまで、あのロケットには何か特殊な力があるのではと考えて旅をしてきました。ですが、ここに訪れて新たな仮説が生まれました」
「仮説?」
はいと、少女は静かに応えた。
「家族とは安心を与える存在である」
その言葉に、アノははっとした。
「興味深い仮説です」
「そう……ですか?」
「少し、長い旅になります。その間に……」
そこで少女は少し腰を曲げて、背丈をアノに合わせた。
「なぜ家族は安心をもたらすのか。それを一緒に考えてみませんか」
「え……?」
アノは驚いた。
すぐ目の前に、少女の銀色の虹彩の目がある。互いの鼻が今にもくっついてしまいそうなほど近い。
けれども、アノが驚いたのは別の理由だった。一瞬、見間違いかと疑うほどの僅かな時間。アノに向けられた少女の顔は、微かに笑ったように見えたのだ。
そうしてアノが呆気に取られていると、少女は振り返り、今度こそドアを開けた。蝶番がキィと軋む。
程良い温度の外気が、そっと家の中に侵入してきた。まるで、家の中に残る日常の香りを、優しく追い出すように。
少女が先に家を出て、次にアノが出る。扉を閉めたのは、少女だった。
灰色の狭い路地裏は、しんと静まりかえっていた。
アノはドアに鍵を掛けながら、そっと呟く。
「さようなら、母さん。さようなら、僕の家」
それに応える者は当然ない。代わりに、路地裏に涼やかな風が吹き抜けた。
「別れの言葉を言っていたようですが、なぜですか」
「ただ……別れを言いたくて。母さんと、この家に……」
「あなたの母親は、既に亡くなっています。それと、家は言葉を解しませんが」
「それは……そうですけど」
別れの言葉を言う意味がない。少女はそう言いたいのだろう。
鍵をバッグにしまいながら、アノは眉を歪ませた。時折見せる、人の心境の理解に乏しい様子は、彼女が機械だからなのか、それともこれが彼女自身の個性なのだろうか。
「この街には母さんのお墓があるし、家には当分帰れないから……」
理由を言ってアノは少女を見上げると、少女は、そういうことですかと静かに応えた。それは、一見すると納得した様子に見えるが、今の説明でどこまで正しく解釈されたのかは、アノには判らない。
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