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夕立の放課後
今日、雨降るって天気予報で言ってたっけ?
突然の夕立。
傘を持たない僕は誰も居ない教室で、ぼんやりと自分の席で頬杖をついていた。昼間はあんなに晴れていたのに。今は夏の暑さと雨のじめじめさとが混じって気分が悪い。学校指定のシャツが汗で肌にべたっとくっつく感じも嫌だ。
僕は壁に掛かった時計を見る。もうすぐ午後六時。今の時期は最終下校時刻は七時くらいだから、まだここで雨宿りしていても文句は言われないだろう。
そう、思っていたのに。
「おーい、帰宅部は早く帰れよー」
教室に飛び込んで来た声。
僕はそちらを振り返る。
そこには、担任の数学の先生がドアに凭れて立っていた。
僕、数学の成績がそんなに良くないから、この先生が苦手なんだよなぁ。テストを返してもらう時とかに、ちょくちょくダメ出しされるし。
「あ……雨が止んだら帰ります」
「雨?」
先生は教室に入って来て、教壇の上に置かれた日誌を手に取りながら言った。
「傘、持ってないの?」
「はい。忘れました」
「この時期は夕立が多いからな。明日から折り畳み傘入れとけよ?」
「そうします」
そこで会話は終わると思った。
けど、先生は出て行かない。
日誌を持ったまま、僕の机の前の席に座ってじっと僕を見つめてきた。
「な、なんですか?」
「暇なら宿題でもしなさい。今日の数学のやつ」
「えーっ」
「特別に見てやろう」
ふふん、と笑う先生の迫力に負けて、僕は教科書とノート、筆記用具を鞄から取り出した。そして、渋々宿題のページを開く。えっと、グラフがxの時にyは……? グラフの問題、嫌い。そう思いながら息を吐くと、つん、と先生の指が僕の頬をつつく。
「お前、本当に数学嫌いだな?」
「嫌いじゃないです。苦手なんです」
「英語と国語はあんなに点数良いのに」
「何でそんなことまで知っているんですか?」
「担任だからに決まってるだろ」
呆れたような表情の先生を見て、思わず僕は笑った。先生はくちびるを尖らせる。面白い。子供みたい。確か、今年で二十七歳って言ってたっけ……。
「数学も好きになれよ」
「だから、別に嫌いってわけじゃ……」
「じゃないとさー、俺まで嫌われてるみたいで落ち込む」
「ふふ。何ですか、その考え方」
「本気だぞ、俺は。お前を惚れさせようと、必死で練習問題を考えている」
見た目だけなら、先生は格好良い。
いつもスーツを着て、毎日ネクタイの色が違う。オシャレで、女子の人気も高い。爽やか青年って感じ。二十七歳で青年って変? 帰ったら国語辞典で調べよう。
「こら、問題に集中してないな?」
僕の頬を指でなぞりながら先生が言う。
あ、距離が近い。キスが出来そう。
僕は先生を見る。
濃い茶色の瞳。その中に僕が映っている。
不思議な感じ。こんな気持ち、友達には抱かない。
「先生……」
「おっと! これから職員会議だった!」
勢い良く先生が立ち上がったので、その反動で机の上の教科書のページがぱらぱらと捲れた。僕は先生に言う。
「宿題はどうすれば良いですか?」
「き、今日は、自分でやりなさい! 家で!」
「でも、雨が……」
「もう止んでる!」
僕は窓の外を見る。
土砂降りだった雨は、いつの間にか上がっていた。
「先生、僕、もう惚れちゃったかも。今日の宿題で」
「……じゃあ、次はテストで結果を出すように!」
「ええ……」
「それじゃ、解散!」
教室から飛び出して行った先生の背中を、ぼんやりと見つめる。
良い点数を取れば、先生は僕に惚れてくれるのかな?
そんなことを考えながら、僕は帰り支度を始めた。
雨上がりの僕の心に芽生えた感情は、夕立のように突然すぎる恋の予感だった。
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