生きる

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生きる

生きるってなんだろう。 そんな、誰もが考えた事があるはずであろう事に、私は今一度触れてみる。 生きるってなんだろう。 生きるという事はどういう事なのだろうか。 ご飯を食べること。 歯を磨くこと。 寝て、起きること。 本を読むこと。 ゲームをすること。 買い物に行くこと。 全て世間一般体からしてみれば生きるという事である。 だが私は、今出した生きるという事は、本当に生きるという事ではないと思っている。 もちろん、ご飯を食べることや、寝て起きることは、生きていく上で必要な事だ。 でもそれは、理論上全て1人で出来る事だ。 ここまで言えば、もう私の考えがある程度わかっている人も出てくると思う。 そう、私が生きるという事として考えているのは、「人と関わる」ということである。 私は高校1年生だ。 中学校から高校にやってきて、より広く人と関わる事の出来る場所。 だからこそ私は、そこに居続けることが苦しかった。 私はとても人見知りで、なおかつ環境の変化にとても弱い人間だった。 だから私は、周りに話しかけに行くことが出来ず、クラスや学年で孤立し、次第に高校に行くことが嫌になった。 苦しくなってしまった。 人と関わることに不安を感じているから。 人と関わりたくないから。 私は家に閉じ籠もった。 家に閉じ籠もり続けて約1ヶ月。 私は生きた心地がしなかった。 毎日毎日朝起きてご飯を食べてゲームして寝ての繰り返し。 だが、私はその間で色んな作品に出会った。 その作品はどれも、人と関わることの喜びを表している作品ばかりだった。 そんな作品に出会ったせいか、それとも最近家族以外の人に会っていないせいか、私は寂しくなってしまった。 ここまで来てようやく、私は人と関わりたいと感じるようになった。 保健室登校を始めたり、授業には出れなくても、部活には出ようと考えた。 養護の先生は親の人脈の中にいた人だったし、部活のみんなも優しくて、私は他人と久しぶりに深く関わることが出来た。 久々に生きた心地がした。 そして次第に、私は人と関わることの喜びを感じていた。 そして私は思った。 生きるという事は「人と関わること」なんだと。 さっき出した生きるという事の例も、することは1人で出来るかも知れないが、それをするまでの間にたくさんの人が関わっている。 ご飯を食べることだって、そのご飯を作るための材料は誰かしらの人達が作ってくれて初めて、私達の元へ届く。 歯を磨くことや寝て起きること、本を読むこと、ゲームをすることは、全てそれをするための用具を作ってくれている人達がいる。 買い物なんか言わなくてもわかるだろう。 買うものを誰かに作ってもらわないと、買う事が出来ない。 私達が生きる上でするべき事柄全ては、その事をするまでにたくさんの人達が絶対関わってくる。 1人で生きるという事など絶対にありえない。 人は1人では生きていけない。 「孤独死」という死に方もあるほど。 人は必ず誰かと関わらないと生きる事が出来ない。 だからこそ私は、「人と関わるということ」こそが、私の生きている証拠であり、証であると思う。 これが私の「生きる」だ。 じゃあ、あなたの「生きる」はなんだ。
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