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どんぐり
晴れた日は、どんぐりのことを思い出す。
弟はよく山の「ともだち」の話をした。
いっしょに鬼ごっこをしたり、秘密の場所を教わったり、いろんなことをして遊ぶのだといった。小学校の図書館にはそんな本があったのかもしれない。
楽しい世界がどこかにあると信じたかったのだと思う。みんなに無視されたり靴を隠されたりしない、そんな世界が。
弟は人の関心を引こうと嘘ばかりついた。
だからそれは仕方ないことだったかもしれない。けれど、勉強もスポーツもだめで、これという取り柄もなく、たとえいびつな仕方でも、みんなと仲良くなるため必死だったのだろう。
遊び仲間もなく、家族もまともに話を取り合うことはしなかった。
ふだん何をしているか気にかけたことはなかったし、野沢のため池に通っていたことは同級生も知らなかった。
ひょっとしたら、ずっと「ともだち」を探していたのかもしれない。
最期の朝、どこか興奮した様子で山に誘う弟を、わたしは勉強を理由に追い払った。それから後のことを、ほとんど覚えていない。
検視を終え警察署から戻った弟は、知らない人のように見えた。
明かりを消し、ベッドに横になり、闇に目を凝らす。
(ねえちゃんいっしょに来てってば)
(絶対にびっくりするから、ねえ、ねえ)
読経の続く部屋は、心なしか薄暗く、だれもが押し黙っていた。
涙は出なかった。言葉にならない、重たい感じだけがあった。
ふと山田のおばさんが天井を指さす。
コトン、コトン、コトン。屋根から、小石の当たるような音がしている。
それはやがて、バラバラ、ガラガラ、ゴーゴーという耳をつんざく大きな音になり、ついに読経が止まった。
障子を開けて、皆が縁側に集まる。庭の土ぼこりや葉っぱを巻き上げて屋根よりも高くなったつむじ風が、何かをばらまいている。
──どんぐりだ、どんぐりだ。
両親も、戸田のおじさんたちも皆戸惑っている。
──ああ、「ともだち」がお別れに来たのだ。と思った。
つむじ風はやがて垣根を越え、田んぼの稲穂を巻き上げながら進み、山へ吸い込まれていった。
色づき始めた山肌が秋の日差しに照り映えてきらきらと揺れていた。
晴れの日は、どんぐりのことを思い出す。
あのあと部屋に戻ると棺の遺体は跡形もなく消えていた。
どんぐりは、死者へのはなむけではなく呼子だったのかもしれない。
ともだちへの。
そして来たのだ。屍に虫が群がるように。
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