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「熱中症には十分お気をつけください」とお天気お姉さんが満面の笑顔で報じるほど、その日は一日中真夏の太陽が照りつける予報だったが、それを裏切るように午後からは突然雨が降り出した。ここ近年では『ゲリラ豪雨』とも呼ばれているものだ。
そんな中での外出は極力避けたいし、たまったものではないのだろうが、だからこそ需要の高まる職業も世の中にはある。
小豆色の車が一台、住宅街をゆっくりと走っていた。まだ昼間なのに豪雨のせいか辺り一帯は薄暗く、フロントライトが注意深く前方の路地を照らす。そして『松原』という表札の一軒家の前でゆっくりと停車した。その屋根には『個人タクシー』と書かれた黄色い表示灯が光っている。
到着に気づいたのか、松原家から一人の男がタクシーの後部座席まで小走りにやってきた。
「ご依頼の松原さんッスか?」
後部座席の扉が開くと共に、運転手は訊ねる。一般的にタクシー運転手と言えば高齢男性のイメージが強いが、帽子の下からのぞくのは明るい茶髪で、顔の肌ツヤや声質からも、若々しい二十代男性にしか見えない。
「はい、そうです。駅前商店街の『小咲不動産』までお願いします」
「了解ッス。ご利用ありがとうございマース」
テレビでしか見たことのないような軽いノリで、車内へ乗り込もうとしていた松原忌一は一瞬ギョッとした。そして後部座席の奥を見て、更にギョッとして固まる。
「どうしたんスか? 乗らないんスか?」
「あの……もしかしてこれ、相乗りですか?」
その言葉に今度は運転手が固まった。
「何言ってんスか、お客さん。それじゃまるでもう誰かが乗ってるみたいじゃないッスか。やだなぁ……怖いこと言わないでくださいよ」
運転手は引きつった顔で愛想笑いを浮かべた。すかさず忌一は「すみません。俺、極度の人見知りなんで。ちょっと確認してみただけです」と言って咳払いしつつ、そそくさと車に乗り込む。それを確認した運転手は、後部座席の扉を閉めてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
何事も無かったかのように、タクシーはのろのろと住宅街を滑り出した。
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