沈む街

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 目の前に雲ひとつない快晴が広がっている。  ダンテは眩しさに目を細めて、全身の痛みに呻きながら上体を起こした。  どうやら、屋根の上で気を失っていたようだ。  見たところ、かすり傷以外大した怪我もない。  ダンテは放心状態で周囲を見渡した。  雷雨に破壊された街は、その残骸を残して多くが流されてしまったようだ。 「随分と、見晴らしがいい場所になったじゃないか」  空と海の境界を見失うほど、ダンテの視界は青に埋め尽くされている。視界を遮る建造物や陸地がない世界は美しく、そして限りなく無に近いと思えた。  ダンテは屋根から身を乗り出し、下を覗き込んだ。 「俺の家、か?」  自分は遠くに流されたものと思っていたが、穴の開いた壁の向こうに見えた壁紙には見覚えがあった。  思ったよりも水位は上がっていないらしく、二階の床は乾き始めている。  壁の穴から部屋に入ったダンテは、部屋の隅々まで見回した。  初めからそこには何もなかったかのように、食糧や家具、そこで過ごした痕跡さえすべてが綺麗さっぱり水に流されていた。  部屋の中央には、取り残された紫色の魚が水を求めて跳ねている。 「はは」  生き残った事実に身体中から力が抜けて、ダンテは両膝をついた。  怒りと絶望が激しい熱となって、体の底から這い上がってくる。 「ふざけるな、なんでまだ生きている? 俺にはもう何も残されていないのに、まだこんな世界で生きろと言うのか!? なんのために!?」  神が存在するならば、何故このような仕打ちを与えるのだろうか。  ダンテは力の限り床を殴りつけ、息が続く限り叫び続けた。  ぽつぽつ、と血の滲んだ拳に涙が降り注ぐ。  ダンテがどれほど絶望に苛まれようと、穏やかな波の音だけは静かに流れている。  どれほど、涙を流しただろうか。  ごぽっと水を吐き出すような音が聞こえて、ダンテは涙に濡れた顔を上げた。  例の凶暴な魚は弱っているらしく、跳ねることなくダンテを見つめている。  すると、その口からぽこっと音を立てて何かが吐き出された。  ダンテの手にぶつかって転がったそれは、見覚えのある輪の形をしていた。  丸飲みしたのか、ダイヤモンドがあしらわれたそれには傷ひとつ見当たらない。  ダンテは目を見張って、震える指でその指輪を掴んだ。 「お前なのか……ルチア」  驚いたでしょう。  いつまでも少女のように快活だった恋人の、玉を転がすような笑い声が蘇る。  帰ってきてくれた。そんな気がして、縋るように両手で握り締めると、不思議と指輪が優しく熱をもったような気がした。   「は、はは……お前はいつも予想を超えてくる」  彼女らしい励ましに、ダンテは肩を揺らして笑った。  姿を失ってもなお、ダンテを導こうとする恋人が健気で愛おしい。それに応えられないでどうする、と立ち上がる足に力が入った。 「誰か! 誰かいませんか!」  背後から、女性の悲鳴のような声が聞こえた。  ダンテは白衣の袖で目元を拭って、壁の穴から顔を出した。  傷だらけのゴンドラが、建物の残骸を避けながらこちらに向かって来る。 「お願い、誰か……息子を助けて!」  ゴンドラを漕いでいる女性が、泣き腫らした目で同胞の姿を探し、声を張り上げている。  女性の足元には、ぐったりとして動かない子供の姿が見えた。  ダンテは反射的に壁から身を乗り出していた。 「おい! 息子を助けたかったら、ここまで気合いで来い!」  ダンテの姿を捉えた女性の瞳に、希望の光が灯った。 「あなたは……」 「ただの医者だ」  世界が終わっても、自分のやるべきことは変わらない。 「お前が生かしたんだ。その時が来るまで見届けてくれよ」  ダンテは婚約指輪を握った右手を左胸に押し当てて、祈るように目蓋を閉じた。
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