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四月に高校へ入学してからも自粛や自宅学習などで学校行事が無くなった。そんな下級生のわたしが一学年上の波奈先輩をこんなに近くで見られるなんてキセキだ。しかも波奈先輩の周囲に人も居ない。
(マスク無しの先輩とか、わたしラッキー過ぎる)
憧れの王子様との距離、数メートル。思わず見とれてしまったわたしに先輩も気がついたらしく視線が合った。
(待ってっ待ってっっ待ってっっっ! こんなズブ濡れのカッコで先輩の視界に入ってしまったっ)
一瞬にしてグルンっと音がしそうな勢いで背を向ける。
(いや、それこそちょっと待って。そもそも面識なんて無いんだから意識過剰すぎ、ガン見のうえに体ごと視線そらすとか挙動不審過ぎ――……逃げたい……せ、せめて髪くらいは、直そう……)
降りしきる雨がそれこそ檻となってわたしをこの場から逃がしてくれない。
セミロングの濡れた髪をゴムでお団子に纏めている間もわずかに指先が震えている。ドキドキ、あわあわ、オロオロ。わたしの心臓が忙しくて全てが追いつかない。
「止みそうに、ないな」
結び終わると背後から想像出来ないくらいにポツリとぎこちない声を掛けられた。
「えっ」
驚きに振り返ると波奈先輩も同じ顔をしている。
「あ、ゴメ。オレ二年の波奈、です」
「ぞ、存じ上げております。えぇ、十分に」
なぜか少し頬が赤く見える先輩にヘンな返しをしてしまい本気で逃げたい。
「そっか」
そう微笑んだ先輩が本当の王子様に見える。きらきら眩しい。眩しすぎて長時間は直視出来ない。
「えっと、そうか」
何事か呟いたあと先輩はポケットからスマホを取り出し素早く操作すると、わたしのうつむく視線の先に画面を差し出した。
『雨止むまでもう少しかかりそうで暇だから話し相手になって欲しいんだけど、オレ、マスクの予備持って無いからさ、同じメッセアプリ入ってる?』
この状況と事の成り行きに思考は完全に止まってしまっていたと思う。わたしは無言でコクリと頷いた。
波奈先輩は少し安堵したように微笑んで、またスマホをいじり出す。
『今だけでいいからID交換しない?』
ドキン! では無く、〝ドクリ〟と体の芯から震えた。
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