カーテン

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 何も聞こえず、何も嗅ぎ取れず、何が触れても気付けず何も食べられない俺の唯一の世界との繋がりは「見える」ただそれだけだった。  自力では首の向き一つ変えられない俺は、毎朝目を覚ますと看護師がやってくるまでじっと個室のドアのほうを見ている。ベッドに寝転がっている状態では角度の問題でドアの開閉は一切見えないし、勿論聞こえもしない。意思の疎通を計れない俺にできることは、ただひたすらに看護師の訪れを待ちわびるだけだ。  実際には数十分程度かもしれない、無限にも感じられるときを耐え抜いて看護師がやってくる。俺は必死に眼球を上下左右に動かし、瞬きを繰り返して彼女に主張する。別に俺の意識が正常であることを伝えたいわけではない。仮にそれが伝わったとして、俺のこの何もない日々が劇的に変わることなんてきっとないだろう。それよりも今の俺が彼女に伝えたいことは「カーテンを開けてくれ」なのだ。  血圧や体温を測り終えた看護師が勢いよくカーテンを開ける。俺は心の中で何度も彼女に礼を伝え、その後は厭きることなく窓の外を見る。  木々の葉が弱い風にあおられ、光を跳ね返しながら小さく揺れる。ふてぶてしそうなカラスが枝にぼてっと留まり、その黒々とした羽が黒曜石のように光って見える。花も咲かないこの木は何という名前なのだろう。片手だけでも動けばスマートフォンで検索することも可能だっただろうが、今の自分にできることは自らの記憶をひたすら掘り返すことと、視覚を用いて周囲を注意深く観察すること、この二つのみだ。
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