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「俺は怒ってねえよ」
そっか、と掴んでいた袖を離そうとしたら折り込んだ部分に小指が引っかかる。
「あ……」
先ほどの白昼夢が甦って、かっと頬が熱くなった。振り払えばいいのにそうすることもせず、息をするのもためらってしまう数秒間。見慣れない色の自分の袖、寒くて借りてたジャージの上着だ。脱ぎ忘れてた。急に澄の匂いに包まれていることを自覚して熱が耳までくる。垣田、と呟く低い声にはっとした。ざあっと無数の水滴が追い打ちをかけ、絡まりそうだった二つの視線は自然と曇った空に向かった。
「好きだ」
「また強くなってきたね」
うわ、被った。聞こえちゃった。
相づちの代わりに澄はそっと小指を外す。湿った空気が纏わりついて、動きはもったりしていた。聞こえたことを伝えるために返事をすべきだ。私も好きだと。でも、聞こえなかったふりをするのが正解? 答えがほしくて澄の目を見るけれど、瞼は伏せられたままだった。私も一緒に視線を落とす。
昇降口のマットに激しく水滴がぶつかっていく。ミルククラウン、あれって牛乳しかないのかな。ミルクだもんな。
風邪ひくなよ、と言われた気がする。
言葉を理解したときには澄の姿は見えなくなっていた。このどしゃ降りの中を駆け抜けていったのだ。ミルククラウンのことなんか考えている場合じゃなかったのに。戸惑ったけど追いかけるしかないと頭より先に脚が動く。名前を叫ぶけど雨音に遮られて届かない。前髪がおでこに張り付いて、前を走る澄の背中が霞んでいく。目が合ったら応えようなんておこがましかった、さっさと返事をしてしまえば良かった。校門まできたけど足がもつれて門柱に寄りかかる。
「垣田!」
あれ、おかしいな。後ろから声がする。ゆっくり振り返ればビニール傘をひとつさした澄が駆け寄ってきた。
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