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「シスター……彼らを助けるとは、どういうつもりなのですか?」
怒りと悲哀、失望が入り混じって震える声で男が尋ねる。対するシスターはどこまでも慈愛に満ちた笑みを崩さず、首を横に振った。
「生きとし生ける者に愛する者との祝福を。それが私達の信仰です」
「ですが、自分達はその信仰をあいつらに奪われました!」
「ええ。愛する者に刃を突き立てられるのを見るのはお辛かったでしょう。……ですが」
〝大したことではありません〟。シスターの声はなかったが、阿蘇の目は彼女の口がそう動くのを見た。
床に広がる服を着たゴミの塊に、彼女はするすると滑るように近づく。膝を折り、優しく両手を差し伸べると、砂遊びをするこどものようにゴミをかき集め始めた。
「――。――――。――」
シスターの口から形容し難い言葉が漏れている。ぼたりと緑色の液体がゴミに落ちた。同時に辺りに漂ったのは鼻をつく腐臭。
緑色の液体はシスターからこぼれていた。彼女の目鼻口から、不潔な泡混じりの液体がごぽごぽと噴き出していた。
「――――。――……。――」
呪文はなおも続く。シスターから染み出す粘着質な緑色の液体はゴミに落ち、混ぜられ捏ねられる。その手は少しずつ人の形を作っていった。
人々は固唾を呑んで見守っている。あるいは唖然としているのかもしれないと阿蘇は思った。住民の殆どは死者がどうやって自分のもとに帰ってきたのかを知らないからだ。
異臭はますます強くなる。薄暗がりの中でぼんやりと緑色に発光するゴミの塊は、今やはっきりと人としての肉体を取り戻しつつあった。
「さあ、終わりましたよ」
最後にシスターがふぅと息を吹きかけ、その身をゴミ山から離した。いや、もうゴミと呼ぶべきではないだろう。
そこに横たわっていたのは、阿蘇も見覚えがある一人のたくましい男性だった。
「ジョウジさん!」
女性が飛びついた。わぁわぁと泣きながら何度も何度も名前を呼ぶ。横たわる男の体から腕が伸び、彼女の頭や肩を撫でた。
「ほら……我々は、何も失っていないのです」
奇跡の再会を果たした女性を優しく見下ろし、シスターは言う。それからすぐに一人の男性に目を向けた。
「あなたもまた失っていません。すぐに取り掛かりましょう」
同じ光景が阿蘇や住民の前で繰り返される。あれほど強かった異臭は、人間としての肉体が完成されてしまえば嘘のように消えていた。だが阿蘇には、ヒトモドキとシスターの体の中をくまなく巡る緑色の汚らしい血液を見た気がした。
「今までもそうやって……死んだ人間を復活させてきたのか?」
緊張で張り付いていた舌を動かし、阿蘇は尋ねる。
「何のために?」
「何のために、と言われましたら、愛する者と引き離された人々を救うためです」シスター二河はゆったりとした微笑を浮かべた。「神は私に奇跡をもたらし、愛する人を失った者達に彼ら彼女らを返すよう使命を与えました」
「嘘をつくな! だったらなんで本物の人間までこんな離島に連れてきた!? そのまま元の場所で暮らさせればよかっただろ!」
「残念ながら、何事にも不慮の事故はつきものです。万が一が起こった時にすぐ対処できるよう、皆さんには私の目の届く場所にいてもらう必要がありました。今回も私が近くにいたからこそ、大きな混乱にならずに済んだでしょう?」
「その混乱を引き起こしたのは何だった? 藤田の誘拐だろうが。加えて俺は確かにそこの男から〝仲間に入れてやろうとした〟と聞いている」
阿蘇は一度深い呼吸を挟むと、シスターを睨んだ。
「お前らは、藤田を殺してヒトモドキにしようとしていた。なぜかって? 俺をこの島に引き止めるためだよ。シスターや住民の秘密を嗅ぎ回り、あわよくば真実を知らしめて住民諸共島を脱出しようとしている俺を牽制するために、なんでも言うことを聞く人質を作ろうとしていたんだ」
シスターの表情が、一瞬人形のように凍りついた。だけどすぐに柔和なものに戻り、悲しげに目を伏せた。
「そんな酷いことはいたしません。ですが、信じていただきたいと言ってもすぐには難しいのでしょう。ここはやはり曽根崎さんの言うとおり少し時間を置くべきかもしれません」
「ええ、進言を聞き入れていただき感謝します。まずは私がラッパを取り上げてきましょう」
曽根崎が大股で歩み出て、阿蘇の前で止まった。未だ警戒してラッパを掲げたままの阿蘇に、曽根崎は引き攣った笑みで応対する。
「そのラッパをこちらによこすんだ。そうすれば、直和も君も無傷のままこのトラブルを終結させられる」
「……お前はいつからそっち側になった?」
「シスターの高説に胸を打たれただけさ。元より、誰だって愛する者との仲を引き裂かれたくはないだろう?」
そう言うと、曽根崎は視線で阿蘇を自分の背後へと誘導した。集団の中に立つその人物を見るなり、阿蘇の目が大きく開かれる。
集団の先頭に立たされ両側から島民に拘束されていたのは、怯えた目をした景清だった。
「……ラッパをよこしてくれ」
阿蘇は、曽根崎が自分に手を差し出すのを視界の隅で見ていた。
「でないと、助からない」
阿蘇は顔をしかめて数秒耐えたが、うなだれた。曽根崎があえて伏せた主語が何にあたるかを、阿蘇は正確に察していた。
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