8人が本棚に入れています
本棚に追加
#12 付きまとう影とかすかな希望
Aさんと交際を始めた私だったが、金銭面と精神面での問題は付きまとい続けていた。
少し時を遡ることになるが、高校生になった頃から、サラ金の借金を返しに行かされるようになっていた。理由は、行きつけの店の人に見られたら恥ずかしいから、だった。もちろん返すと言ってもATMだったが、それでも高校生の行くところではない。
幼い頃から、電気やガスが止められたことだって一度や二度ではない。考えなくても、何を優先すべきかなんて簡単なことなのに、両親はそこから逃げることしかしなかった。
さらに、姉が就職してしばらくたった頃に、母が、姉に対して、サラ金に電話をして借金をしろと迫り始めた。姉は断りきれずに電話をして、借金をさせられてしまった。その時の困窮ぶりは、国公立でかなり安いはずの大学の学費すら払えなくて、困窮している家庭のための減免制度でどうにか学費を免除してもらえることになったから大学を卒業できた、と言っても過言ではない。
今考えると、いかに自分の両親がおかしかったのかわかるけど、その当時はわからなかった。今でこそ毒親なんて言葉ができて理解が広がったように思うが、その頃の風潮は、親は敬って大切にして当然だった。「普通」の家庭の人たちには、そんなひどい親がいるなんて想像できないのだろう。
また、あれほど「期待しない」といい続けた両親が、私が大学に入学した瞬間に、手のひらを返して「自慢の娘」と言い出し、わざわざ、どこの大学で~、なんて言うのだ。努力したのは私、お金を出したのは姉だ。しかも予備校のお金も払いきってはくれなくて、国公立大学に合格したことで特待生扱いになって、免除してもらえることになったぐらいだ。
しかも、いろいろなことを学んだ私が、何か気にいらないことをいうと、そんなために大学に行かせた訳じゃない、と父がいいだし、教科書を投げられた。教科書を投げられるのはこの時に始まったことじゃなくて、中学の時、窓の外に放り出されてしまって見つからなくて、でも先生にも言えなくて困ってしまって、数少ない友達に教科書を借りて、全てを書き写して使っていた。数か月後、一階の家の生け垣の下から、カビだらけでボロボロになって出てきたが、当然使えなかった、ということもあった。
とにかく、私には勉強しかなかった。お金がなさすぎてグレようがなかったのもあるが、勉強ができるせいで、先生方は殊更親切にしてくれた。私にとって、勉強は処世術でもあったのかもしれない。
そんな私の人生にAさんという登場人物が現れてからは、勉強とサークルとAさんと過ごす時が、何よりも楽しくて、安らいでいた。絶望しかない私の人生に、わずかな光をもたらしてくれた気がしていた。
最初のコメントを投稿しよう!