#15 失敗と決断

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#15 失敗と決断

 私も大学四年生になり、そろそろ進路を考えなければならない時期が近づいてきていた。院試を受けるか、就職するかだったが、当時は不況で、なかなか就職先が見つからないということもあって、大学院に進学する方向で意思を固めた。Aさんとの結婚には遠回りになるが、理系女子の就職戦線はとりわけ厳しいものだった。例年だったら内定が取れるはずの企業であっても、友人がボコボコ落ちてきてしまう。  そして、不況は、院試戦線にも直接的に影響した。いつもであれば、1.5倍にもならない倍率が、3倍にまで膨れ上がり、私は不合格となってしまった。  研究生として研究室に残りつつ院浪するか、それとも今から必死で就職を探すかを考えた時、経済的に厳しい私にとって、院浪は事実上不可能に近かった。奨学金は受けられない、通学定期が買えない、アルバイトなどする余裕がない、という、ないない尽くしだからだ。  Aさんとも相談をして、就職を探すことになったが、いかんせん出遅れている上に、女子である。なかなか厳しい事態が続いたが、研究室の先生の口利きで、どうにか就職試験を受けさせてもらえて、内定をもぎ取ったのが、卒業目前であった。  4月からどうにか社会人として働くようになった私だったが、学生時代とうってかわって女性しかいない職場に辟易としていた。自分自身、サバサバしているなんて思わないけど、その職場の一部の女性は呆れるほど意地悪だった。私が「誰か」の悪口を言ったという嘘を広める人がいて、その「誰か」から、悪口を言ったでしょ?と詰められたこともあったが、もう以前と同じではない私は、怯まずに言っていないと言えるようになっていた。  その職場で必要な資格を取る為に猛勉強して、わずか一年で取得したころには、もう誰も私をいじめたり陰口を言ったりしなくなっていた。努力って、人の認識すら変えることができる、そのころの私は、そう思っていたのだ。  一方、家庭の方は、相変わらず荒れまくっていた。両親は飲みにいって、当然晩ごはんはないから、自分で何かを買って帰って食べていた。油分が多いものを食べると再燃が怖いので、もっぱらお寿司とか麺類とかだった。すると、母親が、社会人になったんだから、晩ごはんぐらい作ればいいのに、と文句をまくしたてたが、一瞥をくれて無視していた。どの口でそんなことを言うのか、恥ずかしくないのか、といった気持ちで。  初めての夏のボーナスが出るころに、何やら買ってほしい物が載った広告を持ってきたが、一刀両断、つまり無視した。母は憤慨していたが、気にも留めなかった。もう、この人に気に入られる必要はない。Aさんが就職したら結婚しよう、という約束を交わしていたから。  結婚するために、お金を貯めたい。給料は、貯金と生活費、後は本代に消えていった。一生で一番本を読んだのはこのころで、ミステリーや純文学を読み漁っていた。文庫本なら数時間で一冊読み切ってしまうほどの集中力では、どの本もあっという間に消費してしまうので、より難解な本を求めていった。そして出会ったのが大江健三郎氏の作品であった。氏の作品だと、通常数時間で読めてしまうほどの厚さの本に三日は費やせたし、もう一度かみしめるために二度三度と読むこともあった。内容はもちろんのこと、理解するまでの過程が楽しくて、周りの人にさんざん勧めたが、誰も同意してはくれず、三ページでギブアップした、と返されてしまう始末だったが、自身は楽しく読んでいたのだった。  かなり節約していたものの、学生時代よりは格段に使えるお金が増えたので、たまにAさんにごはんをごちそうした。Aさんは、何を食べても美味しい、美味しいと言ってニコニコするので、一緒に過ごせるときが唯一心の休まるときだった。Aさんは、無事内定をもらって、翌春に就職が決まっていて、そろそろいつ頃結婚しようかなどといっていた頃だ。  目の前には幸せが広がっている、そう思っていた時に、大きな出来事があった。  細かい言及は避けるが、Aさんは甚大な被害に見舞われた私の友人のために尽力したり、私は私で、後輩の家庭の事情のために尽力したり、他人のために、必死で駆けずり回った。中でも共通の知人をなくしたことは、大変衝撃的で悲しい事で、一寸先は闇なのだと身を以て知った。多くの人命が失われた大変な出来事を通じて、より結婚したいという気持ちを強固にしたのだった。
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