#17 追いすがる影とプレッシャー

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#17 追いすがる影とプレッシャー

 夫となったAさんと平穏な暮らしができるようになってしばらくたった頃、母から連絡があった。私の名義で生命保険に入りたい、と言われたのだ。生命保険といっても、学資保険で、甥のためにしたいから、お金は払うから、と言われて入ったが、数ヵ月で払わなくなり、結局私が払うことになった。  何年か毎に支払われる最初の祝い金を全額母に渡すと、夫に叱られた。ほとんど私が払ったものを渡すのは違う、と咎められたのだ。その時、親が何でもかんでも持っていくうちの家はやっぱりおかしい、と実感したのだ。その後、一度たりとも保険料を支払わずに次の祝い金を寄越せと連絡が来たときに、きっぱり断ると憤慨していたが、さすがに、夫の言うことの方が正しいと思うようになっていた。それでも、お金以外のことは極めて普通に付き合うようにしていた。時折実家へも顔を出すようにもしていたが、その後いつも機嫌が悪いということに夫だけが気づいていた。自分は、親に心をかき乱されるのが当たり前だったから、普段との違いには全く気づいていなかった。  その一方、結婚して初めて義祖母のところへ遊びに行ったときに、いきなり妊婦扱いされる、ということがあった。あまりの唐突さに義妹が止めてくれて、それ以上言われることはなかったものの、相当驚いたことを覚えている。  その頃の私は、まだ、親になる覚悟なんて全くなくて、むしろ親になりたくない、とさえ思っていた。一度産めなかったことと、自分が受けてきた仕打ちを自分の子どもにしてしまうのかもしれないと思うと、とてもじゃないけど積極的に母になりたいとは思えなかったのだ。その頃、私と同じ時期に結婚した他部署の同期がおめでただという話が伝わってきて、上司から遠回しに予定を聞かれても、のらりくらりとかわしていた。かわすというより、本当に未定だったのだからそれ以外に返事のしようがなかったのである。これも、今だと立派なセクハラ事案だけど、そんなことを言い出せる状況でもなかった。当時は、今と違って、面と向かって「お子さんはまだ?」と聞くのが挨拶みたいなものだったんだろう。これに関しては、今、そういうことを聞くのはデリカシーがない、となって、本当に良かったと思う。夫もその話題になると、まだいいんじゃないかな、ぐらいで、特に望んでいるという風でもなかった。    たぶん、夫も私も、二人でのんびり過ごせる日常が楽しかったのだと思う。土日に朝寝坊してゴロゴロしていても叱られることはないし、隣にお互いがいる生活。そのころ、夫がゲームをしているのを見ながら寝落ちするのが、私にとって極上の時間だった。今、人生で一番楽しかった時を尋ねられたら、この頃、もしくは大学時代と言うのではないかと思うほど、満ち足りていたのだった。
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