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#18 分岐点
何もかも上手くいっているというわけではなかったものの、概ね順調といえる二人の生活だったが、しばらくたったある日のこと、とあるきっかけがあって、ちょうど避妊具を切らしていているタイミングで夫から求められる時があって、一度だけ使わずに行為をしたら、次の来るべきものが来ず、妊娠がわかった。その頃には、夫との子どもならば産めるかもしれないけど、それでもまだちょっと産みたくない寄りだったように思う。つわりがつらかったことで、余計に妊娠した自分を肯定できず、ずっとクヨクヨして、それでも、幸せそうな顔をしなければならなくて、気持ちがしんどかったのを鮮烈に覚えている。
それでも、いわゆる安定期が訪れるころには、腹をくくったというか、母になる覚悟を決めていた。もちろん、決めざるを得なかったといえばそれまでだが、お腹の中で動きだしたまだ見ぬわが子が背中を押してくれたように思った。妊娠したから仕事しないと思われるのも嫌で、残業こそしなかったものの、仕事もきっちりこなすようにしていたし、時々食べ過ぎて体重増加を叱られるくらいで、順調に育っていたし私も元気に過ごしていた。
妊娠後期に入るころ、順調だと思っていた妊娠に突如危機が訪れた。仕事を終えて自宅に帰ってから、いつもよりお腹が張る気がして横になっていたら、十分間隔で張りはじめてしまった。夫が帰ってきてからすぐに、夜間に病院に行ったら、そのまま入院になった。何かを取りに帰ることすら許されず、張り止めの点滴をされてしまい、トイレに行くことすら禁止、と言われて、突然入院生活が始まってしまった。少しでも長くお腹にとどめておけるようにしましょう、ということで、ひたすら安静にする日々が続いた。この頃には、お腹の中で頑張って生きている子が愛おしいと思えるようになりつつあったから、お腹に手を当てて「まだ出てきたらダメだよ」と一生懸命話しかけていた。
こういう時にされた嫌なことはずっと忘れないもので、絶対に来てほしくないと言っていたのに、義父母がわざわざお見舞いに来たことは未だに許すことができないことの一つである。事細かく書くと、今でもはらわたが煮えくり返るし、姑が自分のことだと気づいても困るので詳しく書くことはできないが、こいつマジで性格悪い!と思ったことと、自分が姑になったら反面教師にしようと思ったことを書き残しておくことにする。
色々なことがありつつも、どうにか臨月を迎えて退院して、たまたま姉と母が我が家に遊びに来た日に出産した。二度の両親学級に参加をしてくれた夫も立ち会ってくれた。キスしたり抱き合ったりして喜ぶご夫婦もいるなかで、夫と私は同じ顔をして生まれたての我が子をずっと見つめていたらしく、お産に立ち会った当直医の方がいたく感動された、と後で聞いた。
こうして、夫と私は親になり、新しい生活が始まった。私自身は生い立ちのことや、子ども嫌いということもあり、我が子を可愛いと思えるのか心配だったが、不思議と可愛いと思えて、可愛いが故にどんどん不安にもなった。そんな私を見透かしていたのか、復帰後のことを考えていたのか、夫は、母乳以外の育児なら何でもしてくれた。この頃から、好きな人でありつつも、人生のパートナーという意識が強くなっていったように思う。お互いに見つめ合うのではなくて、二人ともが行く方向を見ながら、手を携えて歩いていくような。お陰で、復帰に向けて色々な困難もあったが、夫がそばにいてくれたからなにも怖くなかった。
でも、あの時、もし妊娠していなかったら、夫と私は今も二人だったかもしれない。そう思うと、あの日は私にとって大きな分岐点だったのだと思う。
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