#19 ハラスメントと出会い

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#19 ハラスメントと出会い

 第一子を出産して数年後、第二子を授かり、世間的に言えば幸せそうに見える生活を送っていた我が家だったが、第二子出産前後を叱咤激励しながら指導をしてくれた上司が異動になって、私の会社員としての生活は一変した。  新たに着任した上司は、事あるごとに高圧的な態度のタイプと、前の上司のように暖かく見守ってくれるタイプの二人だった。ある時、仕事の結果を報告したときに、その高圧的な上司の思うような結果とならず、それに苛立ちを覚えたのか、突然、会社のフロア全体に聞こえるような大声で、三十分ほど罵倒され続け、その直後から食事を全くと言っていいほど受け付けなくなってしまい、三週間で十キロほど痩せてしまった。それでも歯を食いしばって勤務を続けていたが、とある会合で別の酔った上司に身体を触られて、私の心の機能がおかしくなってしまった。泣きたくもないのに涙が出て、誰かが自分の命を奪ってくれたらいいと思うようになってしまい、自傷行為に及んだことすらあった。自分でもさすがにまずいと思って受診した心療内科で薬を出され、長期にわたる休業を余儀なくされた。  泣くという機能以外が消え失せてしまった私のことを、夫は何も言わずに支えてくれた。手前味噌だが、夫は育児に協力的なのではなくて、ともに育児をするパートナーだったのに、それでも、二度の出産で大変だったのをちゃんとできていなかったのだと実親に責められ、私の前で涙を流していた。ちなみに、今まで共に生きてきて夫が涙を流したのを見たのはこの時を含めて三度ほどだ。自傷にも、彼なりの方法で向かい合ってくれて、どうにか思いとどまることができるようになっていき、何年もかけてようやく社会復帰を果たすことができた。  今振り返って思うのは、ハラスメント自体はトリガーに過ぎなかったのだろう、ということで、幼いころから積み重なってきたものが、それをきっかけにあふれてしまったのだと思っている。だからといって、ハラスメントをした人を許すことは未だにできない。その時、私の心には、その上司たちにどうにかしっぺ返しをしたいという気持ちがあった。いつか必ず、見返してやるという、マイナスのモチベーションで、英語の勉強にのめりこんでいった。  その時英語を選んだ理由は、子どもたちにわずかのお金を残すぐらいなら、とにかく教育として本人に叩き込んでおきたいと考えて、早くから英語を習わせていたその流れだった。英語は、受験のころから得意だったので、英語を勉強し始めて、すぐに英検二級を取得することができた。ただ、英会話となると話は別で、そのうちに雇用保険の助成金のコースを選んで勉強し始めていた。長い通勤時間は、英会話教室の予習復習にほどよくて、マイナスのモチベーションも相まって、めきめきとTOEICのスコアも伸びていった。英語ができるようになって、それを支えに仕事も上手くいくようになって、いつの間にか周りの人の目も変わって、少しずつ頼られるようになっていたが、このまま英語を使う仕事に移りたいと考えた私は、通勤時間が長く、体力的に限界を感じていた仕事を退職した。  そこからは、とにかく一歩でも先に進もうと、英語を使う仕事を求めて派遣社員として日々働いていた。英語を使う仕事のために最大限人脈を作ろうと色々なところに顔を出したりもしていた。  そんなある日、とある読書会に参加したときに、一人の女性と出会った。その女性は、私が話すところをじっと観察して、ふとした瞬間に「あなた、モヤモヤしてないですか?」と問いかけてきた。私は一瞬返事に詰まって「はい、してますね」と答えるのが精いっぱいだった。帰りがけにその方から名刺をいただき、しばらくしてから連絡をした。これが私が「母の娘」を捨てるきっかけになり、今これを書くに至る出会いだった。
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