認識の交点

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認識の交点

 階段を上るにつれて空気が軽くなり――扉を出たとたん、渦を巻いて吹きつけてきた。熱い。痛い。熱風が無数の針のようだ。目がじりじりして、ろくに前が見えない。  けれど進む方向の見当はつけていた。外で人を繋ぐなら、木か何かが必要だ。地下の光差す部屋には、木の根が出ていた。右を見やる。案の定だ。背の高い木が、光輝の中に焦げ付いている。    痛みに耐えて踏み出した一歩は、途方もなく小さかった。砂が傾く天の火の色に染まり、炎を割って歩いているようだ。これではリエルの元に辿り着く前に、僕は焼き尽くされてしまうだろう。足に絶望が纏いつく。    しかし不意に落ちてきた影が、それを打ち払った。高い鳴き声と羽音。リエルの相棒、名無しの隼だ。不完全ながら光が遮られて、視界が開け、肌の裂けるような痛みも軽くなった。隼は速度を調節して飛び、僕を主の元へ送り届けた。    立位で幹に縛り付けられた友人は、近くで見ると随分背が伸びていた。僕を見下ろし、「なんで」と目を見開く。  木の影に隠れ、(いまし)めに手をかけたが、確かに触れているのに干渉できず、縄目は緩まない。 「君は七日七晩、ここに放っておかれるんだ」 「だろうと思ったよ」 「君が死んだら、誰がこの隼に名前を付けてあげるんだよ!」 「だからっておまえが消えたら、この先『良いもの』見つける気になれるかよ! 幽霊だって自覚したなら夜に来い!」 「一人じゃ扉を開けられないよ! それより何か縄を切るもの……」  リエルは大きく息を()き、「道具袋」と呟いた。   「隼の爪や(くちばし)を削るナイフが挿してある。そいつに指示してくれ。言葉じゃ伝わらないけど、指させば分かる」  昼に蝙蝠を持って帰れと合図したのを思い出し、袋から突き出た細長いナイフの柄を指で叩く。隼はすぐにそれを咥えた。次にリエルの手を指すと、賢い鳥は意図を察したようだった。主がしっかりナイフを握るまで、嘴を離さず待っていた。    リエルが不自由な手で、ぎこちなく縄を切りにかかる。時間はかかりそうだが、砂嵐なんて嘘のおかげで、誰も来ないから安心だ。ゆっくりやってよと、僕は木陰に座り込んだ。   「……ルミノ、ありがとな」 「幽霊にもできることがあって良かったよ。リエルも、ありがとう。僕が消えないように、いつも見てて、助けてくれたんだよね」 「幽霊にしてやれることがあって良かったよ。おまえが小さいままだから、俺の影にすっぽり入る」    僕は笑って、沈みゆく天の火が描く影絵を眺めた。木と隼とリエル。自分の姿だけがなくても、悲しくはない。死んでいると気づいたときもそうだった。  実体の有無など、大した問題ではないのだ。天が、町の皆が認めなくても、リエルが僕を見てくれる。僕と彼の、「いる」という認識の交点に、僕は確かに存在している――自信を持って、そう言えるのだから。   縄が落ちるより、夜の(とばり)が下りるのが僅かに早かった。  リエルはナイフをしまって体を(ほぐ)すと、喉を鳴らして水筒の水を飲んだ。僕は、道具も水も奪わなかった長老の、一縷(いちる)の望みを叶えたのかもしれない。   「行くか。夜の間に、水と日陰がある場所まで移動しないとな。隊商を見つけて尋ねよう。その前に何か狩っておけば、道具と交換できるかも」 「そのまま仲間に入れてもらったら? 一人じゃ危ないよ。まだ地上に慣れてないんだから」  相棒を腕に歩くリエルの一歩に、三歩でついていく。何も言わないのに、リエルはすぐに歩調を緩めた。彼の人柄なら、新たな仲間を得ても上手くやれるだろう。 「でも人がいると、おまえと話せないしな。俺の独り言みたいになる」 「隼に話しかけてることにしたら」    その手があったかと嬉しそうに、リエルは腕を振って相棒を空へ舞い上げた。  厳しさを(ひそ)めた天空を、改めて見上げる。隼がどれだけ高く飛んでも、満天の星は動じない。 「あの子の名前の候補、一つ挙げようか」 「俺も一つある。同時に言うか?」  先の見えない、危険な旅路に就いていると分かってはいても、悪戯っぽい目と目が合うと、声を上げて笑わずにはいられなかった。    とけない星の下。沈黙と無縁の、なんて『良い』世界だろう。
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