短編「君との最後の夜」

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 春の香りがかすかにする夜。  明日の準備を終えた私は、少しやつれたペンギンのぬいぐるみを抱えながらベッドに入り、彼女を強く抱きしめる。  幼稚園の頃、誕生日に買ってもらったペンギンのぬいぐるみ。「ペンちゃん」と呼び、毎日、一緒に寝ていたぬいぐるみ。  この夜が明けたら、その子は私から離れてしまう。母親に『あんた、もうすぐ中学生だから、小学校に上がるいとこにあげなさい。』と言われたから。  私は、ペンちゃんとの記憶を思い浮かべる。彼女との思い出に浸っていると、目から涙を浮かべ抱きしめている腕に力がこもった。  「うう…うう…。」  別れたくない、別れたくない。そう思い、うめき声を上げる。  そうしているうちに、次第に私の意識は薄れていった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  かすかに「起きて。起きて。」という誰かの声が聞こえる。  お母さんの声ではないし、お父さんの声でもない。5歳の女の子のような声だ。  誰の声だろう。  声の主の正体に気になっているうちにある違和感に気付く。目を開けると、お腹にフワフワとしたものが当たっていた。  お腹を見ると、青く丸っこい影があった。よく見ると、これには顔にクリクリの黒い目に黄色いくちばしがある。  …ペンちゃん!?ペンちゃんが動いてしゃべって私を起こしている!?  これは夢!?いや、実際に動いているのを間近に映っているから夢じゃない!?  頭の中が混乱する私をよそに、目の前のフワフワのペンギンはニコリと笑みを浮かべ、両手を挙げた。  「やった!よかった!目が覚めた!」  ペンちゃんは喜んでいるみたいだ。  私はさらに頭が混乱する。ペンちゃんが動いている。なんで!?  「僕、遥との一日が最後だから、素敵な思い出を作りたいと神様にお願いしたの。だから、僕は動いているんだよ。」  その一言に、冷静になるどころが、さらにパニックになる。そもそもペンギンのぬいぐるみがしゃべっているのはありえないよ!  「さ、遥。僕についてきて!一緒に行こう。」  え、そのまま!?溺れちゃう!とパニック状態の頭がついていけないのをよそに、私はペンちゃんに手を引かれ、導かれるままに海に飛び込む。  ざっばーん!  海に潜ると、私はキラキラとした視界に目を奪われた。  青い透明な海、ピンクや黄色、オレンジと鮮やかな色の魚、白い砂…。  今まで、見たことがない綺麗な光景だ。  素敵な海にただ茫然としていると、ペンちゃんはいつの間にかいなくなっていた。  どこにいるの?と周りを見渡す。すると、一匹のペンギンが私に近づいてきた。  そのペンギンは腕を伸ばし、手のひらに何かを乗せる。  見てみると、綺麗なピンク色の貝殻だった。  「遥、どうぞ。」ペンちゃんはさみしそうに私を見つめる。その顔を見て、私は辛い気持ちになった。  「私も悲しくなるよ。泣かないで。」ペンちゃんは私の頬を撫でた。彼女のその手を重ねる。本当に離れるのが辛い。  「さあ、最後っだから一緒に行こ。大丈夫だよ。遥、息、しているよ。」  え?!口を開け、吸う。  本当だ。水が入ってこない。むしろ普段、過ごすように呼吸ができる!  「うん、ペンちゃん!一緒に行こう!」  私はペンちゃんについていきながら、海を泳いでいった。  スカイブルーの海、上を見ると、青い空と白い雲がある。まるで空を飛んでいるみたい。  「気持ちがいい?」  ペンちゃんのこの問いかけに私はこくりと頷いた。  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  気が付くと真っ暗な視界になる。  ここはどこ!?と迷ったその時っだ。  ピピピピピピピピピピピピ  目覚まし時計の音に目をパチっと見開き、目覚まし時計を止めた。  周りは厚い布団と枕、椅子と勉強机もある。間違いない、私の部屋だ。  隣にペンちゃんがいる。。彼女はさっきとは違い、無表情で無言だ。  そうか、この事は夢だったのかと肩を落とす  ベットから起き上がろうとすると、右ポケットに固い違和感がする。  ポケットの中に手を突っ込む。その固いものをポケットから取り出した。  手のひらにはペンちゃんからもらった小さいピンクの貝殻があった。  それを、胸に当て、彼女との出来事を思い出す。この貝殻のように綺麗で、キラキラとした素敵な出来事だったと感動した。  私は、貝殻を机に置くと、ペンちゃんを強く抱きかかえ、ドアを開ける。彼女は別れを悲しそうに、だけど暖かそうな私を見つめていた。  
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