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第22話 夜の終わり
歩かなければならない。
脱力した少年を結晶の鎖で固定して背負い、追っ手を警戒しながら歩いていく。
冬の冷気に晒された少年の肉体は氷のように冷たく、逃げている最中は煩いほどだった息遣いも全く聞こえない。本当に死んでしまったのだと思った。
死体はこれまで数えきれないほど見てきた。人も動物も沢山殺した。命が失われ、ただの〝もの〟になった肉体自体は男にとっては珍しいものでもなんでもない。
しかしつい昨日まで一緒に茶を飲み、会話していた少年が動かなくなってしまったことは寂しくはあった。
もう名前を呼んでくれることはない。死は絶対的に不可逆なのだから。
「太陽、凄く、眩しい」
「……」
「同じ、だね。〈ひとりの国〉、〈魔操者の国〉、〈支配者の国〉の、太陽、と。白くて、黄色くて、チカチカする」
「……」
少年が死んでも不思議なことに男の言葉は失われなかった。
結局、少年は何故急に精霊の力を得、男の心や言葉を修復することが出来たのだろう? 物言わぬ骸になった少年が答えてくれるはずはなく、謎は深まるばかりだ。
なだらなか丘を進みながら遠くの街並みに目を凝らす。白い石で出来た見たこともない形状の家々が並んでいるのが微かに見える。
言葉を得た代わりに魔眼が本来の力を失っているせいでどうしても霞んでしまうのが悔やまれる。
歩いていけば何日もかかりそうな距離だ。到着するまで待ちきれない。
「そういえば、外、どこ行きたい?」
「……」
「外……ん、なんて、言ってたっけ? 白い街、青い海、煙の船、動物の島、占いの国……色々、行けるよ。どこでも、行ける」
「……」
「君、行きたいとこ、行くよ。これ、君の、旅。僕、どこでもいい。き、君、行きたいの、どこ?」
「……」
訊けばよかった。もう手遅れだ。少年の行きたい場所は決してわからない。
どうして予め訊いておかなかったのか悔やまれる。
きっとどこへ行って何をしたいか、少年なら沢山考えていただろうから。
歩く。ただ歩く。足を一歩踏み出す度、外へ出た喜びが段々としぼんでいく。
国外逃亡を成功させたことで、もう人を殺さなくてよくなった。
しかし全く楽しくない。結局またひとりぼっちになってしまった。
少年と出会う前、〈ひとりの国〉で同じ日を繰り返していた頃に戻ってしまったのだ。
もう一度、少しの間だけでいい。少年との時間を取り戻せたら。
男はふと足を止め、少年の体を固定していた鎖をほどいた。少年の体がどさっと音を立てて地面に転げる。男は注意深く少年の体に自分の魔力を押し込んだ。
少年がゆっくりと目を開け、見えない糸で吊られるように起き上がった。
「行こっか」
少年は男を先導するように歩き始めた。男はその後をついて歩いた。
何故気づかなかったのだろうと思う。どうせ少年の体が傍にあるなら最初からこうしていればよかったのだ。
少年の体の動きなら正確に記憶している。ならば剥製の動物達を動かしていた時と同じ要領で再現することが可能ではないか。
少年はいつか一緒に木の実を摘みに行った時のように走り出し、男を誘うように振り返った。笑っている。楽しそうに目を輝かせている。
しぼんでいた心が喜びに掻き立てられ、男も笑った。少年は口の形だけで何かを伝えながら遠くを指さした。一緒に行こうと男は頷きを返し、一緒に走った。
再現は完璧だった。少年は在りし日々のように豊かな表情で外の世界を楽しんでいた。忙しなく動いている口から呼吸音も声もしないことを除けば、生きている時と見分けがつかない。
声が出ないことは男にとっては大した問題ではなかった。元々言葉を聞くために重要だったのは口の動きだ。声が聞こえなくとも何を言っているのか理解出来る。
肉体は徐々に生きている状態から離れていく。徐々に石のように硬くなっていく体に少しずつ結晶の繊維を張り巡らせ、硬くなった筋繊維を粉砕していかなければならなかった。
この手間が剥製との大きな違いだ。しかしその程度の手間は造作もない。
男は少年と外の世界に自生する草花を眺め、木の実を集め、目的もなく走った。
何時間もそうしていた。少年と新しい思い出を育むように少年の体を魔法で動かし続けた。魔力が枯渇し、気がつけば地面に突っ伏して寝ていることもあった。
これほど強い魔法を使い続けたことはない。いくら寝ても体力が回復しきらず、段々と自分の足元がおぼつかなくなっていく。
それでも男は少年の体を動かし続けた。
一緒に夕焼けを眺め、転げるように丘を下り、再び森に入る。一緒に木の枝を集めて焚き火を囲み、夜の冷え込みに備えた。
「楽しかったね」
少年は今日あったことを目を輝かせて話してくれた。外の世界を見たことで少年は興奮しきりで、話が尽きなかった。
そんな少年が不意に動きを止め、どさっと倒れ込む。男も魔力切れによる疲労で目を開けていられなくなり倒れ込んだ。
そのまま意識を失いかけるも、さすがに冬の夜をローブ一枚でやり過ごすのは無謀だと考え直し、鉛のように重い体を起こした。確か野宿用の寝具も持ってきていたはずだとケースを開け、引っ張り出した毛布でまず少年をくるむことにする。
「ん……」
少年の体を起こした時、マフラーを巻いた首に黒々としたシミが出来ていることに気づいた。マフラーから染み出すように顎のラインまで広がっている。単なる傷跡とは明らかに違う。皮膚の色そのものが変わってしまっている。男は恐る恐る少年からマフラーを取り、ボタンを外して襟元を広げた。シミは影と見間違えるほど広範囲に広がり、確認した限りでは腹部まで到達していた。もしかしたら下半身まで広がっているかもしれない。
「あ……ああ……」
小さな傷跡でも恐ろしいのだ。これだけ広範囲な変色を見て平然としていられるわけがない。気がつけば男は少年の体を投げ出し、逃げ出していた。
一体いつから変色は始まっていたのだろうか? 冬の冷気のお陰もあってまだ腐敗臭はしない。肉体は腐っていないはずなのにどうして?
男は大きな木の根に足を取られ、額から枯葉の地面に突っ込んだ。まだ恐ろしい光景が瞼の裏に焼きついている。
思い出しただけでどうにかなってしまいそうだ。
あの黒々とした肌の色、見覚えがある。内出血した時の色だ。焚き火の薄明かりだったから黒っぽく見えただけで、明るい場所で見れば血と同じ色をしているはずだ。
今日一緒に戯れる中で、何度か柔らかい土の上で倒してしまったことはあっても、少年の体が傷つかないようにするために細心の注意を払ってきた。なのに、何故あれだけの内出血が起きたのか。
理由は少し考えればわかった。
昼間、死後硬直が起き動かなくなっていく筋肉を結晶の繊維で粉砕していた。体の組織を破壊したのだから、内出血が起き重力に従って体の下部に溜まるのは当たり前じゃないか。
男は初めて〝死〟を目の当たりにした気がした。
父親が何故母親の葬儀を男の知らぬ場所で行い、自分の葬儀に実の息子を呼ばなかったのか今なら理解出来るような気がした。
少年は死んだ。死んだ人間は灰にして空にまく。それが〈魔操者〉のしきたりで、魂が外に行けるようにと願いを込めた行動だと少年は言っていた。
しかしそれ以前に醜くなっていく体を綺麗な状態で処分する目的があったらしい。
灰にしよう。
友と呼んでくれた少年のために死を受け入れる。少年が望んだ形で供養する。
それが残された者としてすべきことだ。
無理矢理生きているふりをさせるのは少年に言わせれば魂の冒涜なのだから。
途轍もなく嫌だった。
動物でさえ燃やすのは辛かったのに、同じ時を過ごした少年が灰になる瞬間を見たいはずがない。
しかしやらなければ。逃げ腰になりそうな自分を叱りつけるようにして鼓舞し、何度も止まりそうになる足に拳を叩きつけながら、男は焚き火の場所へ戻った。
焚き火の前には先客がいた。四つ足の鋭い牙を持った招かれざる客だった。
それは仲間と協力して少年の体を闇の中に引きずり出そうとしていた。男が来るなり咥えていた腕を放し、鋭い牙を剥き出しにして威嚇する。
男は少年を返せと言わんばかりに眼光を鋭くし、背後にガラスの刃を作り出した。狼は男の脅しには一切動じず、それどころか仲間に合図を送って臨戦態勢を取った。
先に動き出したのは狼達だった。怯まずに男に飛びかかり、喉笛を狙う。男は素早くガラスの刃を針に変え狼の背中に放った。
狼の解剖図も〈支配者の国〉で見せてもらっていたため、激痛をもたらす場所はすぐにわかった。
狼は突然襲われた激痛に悲鳴を上げ、びっこを引きながら後退した。間髪を入れずに別の狼が飛びかかってくる。同じように針で動きを止めようと目を凝らした時、男は妙に視界がぼやける感覚を覚えた。
思えばそのまま意識を失いそうになっていたほど魔力が枯渇している状態だった。焦点が合いづらいのも意識を失いかけているせいだろう。
こんなところで倒れるわけにはいかないと懸命に目を凝らし、二頭目も冷静に対処した。
男が奇妙な技を使うと学習した狼達は距離を取りながら男の周囲を回った。何かされる前に撃退してしまおう、そう思って正面にいた二頭を狙った瞬間、背後の一頭が飛びかかり男を押し倒した。
首に食らいつこうと牙をかち鳴らす狼と揉み合ううちに、足の先が焚き火を蹴り上げてしまった。飛び散った枝が枯葉に燃え移り、メラメラと燃え広がっていく。炎に恐れをなし、狼達は一斉に逃げ出していった。
しかし安堵したのは束の間で、その炎は少年を呑み込もうとしていた。
「あ……ああ……!」
少年の体についた火を消そうとその体を抱き上げる。ひな鳥ほどの火を手で叩いて消すうちに、別の場所についていた火がみるみるうちに大きくなる。
髪の毛の焦げるツンとした臭いが鼻をついた。
まだ心の準備は出来ていない。少年を入れるための棺も送り出すための言葉も灰を集める容器も用意していない。
こんな事故のような状況で送り出されるのは、結果として灰に出来たとしても少年だって嫌だろう。
ふと足元が熱い気がして視線を落とす。すると燃え広がった火が男の足に到達し、ゆっくりと裾を焼き始めていた。手で叩いても消えず、徐々に範囲を広げていく炎を見て男は悲鳴を上げた。
このままでは自分が灰になってしまう。そんなことは絶対に嫌だ。
しかし必死の奮闘も虚しく炎は勢いを増し、やがて頭の中が沸騰しそうなほどの高熱で意識が遠のき始めた。
少年の火を消そうと叩いていた手からも力が抜け、男は少年を抱えたまま倒れ込んだ。
ぱちぱちと燃えた木の枝が弾け、黒いローブに真っ赤な火の粉が降り注ぐ。朦朧とした意識の中、このまま灰になって死ぬのだろうと理解した。
焼け死ぬのであれば自分の葬儀もしなくていい。好都合じゃないかと思った。
しかし疑問は残る。父親や叔母が命懸けで外へ導き、少年も奇妙な術を使用したことで命を縮め、息絶えた。彼らは皆生まれた意味を男の中に見出し命を張った。その末路がこれだ。
生まれた意味とは何なのか、何故皆求めずにはいられなかったのか、死を迎えようとする瞬間になった今でもわからない。
理解出来ないことこそ代償を背負った結果なのだろう。
しかし、本当にこんな結末でよかったのかと問わずにはいられない。折角外に出られたとしてもこうして何も残らずに死ぬのなら、罪を自覚したあの日に首を締めて死んだってよかったのではないかと。
「何をしているのですか!」
聞き覚えのある声がした。変声期を迎える前の高い声が叱っている。
まさかと思い目を開けると、白い光が炎を消し止め、焼けただれた男の皮膚を治療した。ついでに枯渇していた魔力まで回復してくれたらしく、意識がはっきりとしてくる。
状況を確かめようと体を起こすと、白い光が額を蹴飛ばしてきた。
精霊だ。
聖域から遠く離れた場所に精霊がいる。それも十分驚くことだが、更に不可解なのがこの精霊から少年の声が聞こえてくることだ。
「折角外に出られたのに、もう死ぬ気ですか! 死が怖くないのはしょうがないですけど、少しくらい危機感を持ってくださいよ! こんな場所で死なれるなら、私が何のために人の身を捨てたのかわからないじゃないですか!」
「ん……人の身を、捨てた?」
「見ればわかるでしょう。全く、力を得た代償にこんなに小さくなってしまうなんて、残念で仕方ないです」
気怠そうに溜め息をつく光を見ながら、男は驚愕の表情を隠せずにいた。
少年だ。この白くてふわふわした光は少年なのだ。
精霊の声は聞こえないはずなのに、目の前に浮かんでいる光は少年の声で、言葉で語りかけてくる。
「あーあ、私の体になんてことしてくれているのですか。どこもかしこもボロボロじゃないですか。ただでさえ自分の抜け殻が目の前にあるってだけでも気持ち悪いのに、最悪ですよ」
少年は噛みつかれ、焼け焦げ、黒く鬱血した肉体を調べながら、弱々しく光を明滅させた。
「噛まれたのと焼けたのはともかく、一体どうやったらこんなに内出血が酷くなるのですか? ここで何をしていたのですか?」
「ごめん。寂しくて、それで……」
男は全てを正直に話した。死体を動かして生前の時のように楽しもうとしていたと知り、少年は暫くの間絶句していた。
やはり間違ったことをしていたのだろう。本当に悪いことをしたと男は詫びた。
「何故灰にしてくれなかったのですか? 前に灰にする理由は教えたはずなのに」
「ちょっとの、つもり、だった。あと、灰にする……魂、外、逃がすため。要らないと、思った。ここ、外、だから」
「そういう理屈か……。いやまぁそうなんですけど、そうじゃないっていうか……」
「ん?」
「死体見ても何にも思わないのですね。エグにとっては珍しいものじゃないからっていうのもあるのかもしれませんけど、そもそも気持ち悪いって思う発想がないのでしょう。普通に人の気持ちや難しい説明は理解出来るのに、一人で判断しないといけなくなると途端に駄目になる。正直言ってエグの感覚は私の理解を超えていますよ。そのせいで自分の体をこんな風にされて憤りも感じています」
「……ごめん。僕、悪い」
「そういう異常なところがある一方で、人並みに悲しんだり悩んだりして、人の気持ちに共感して一生懸命になるような優しさを持っている。私を含め、これだけ沢山の人に生きていてほしいと望まれている癖して、簡単に死にに行く。貴方という人はどうにも掴み所がありません。でも、それら全てが合わさって出来るのがエグバートという人間なのでしょう。貴方は普通だ、変わり者だ、異常だ、優秀だ、下手くそだ。どれも正解で不正解なんだろうなって思いますよ」
「ん……」
「難しかったですか? まぁ理解してくれなくて結構ですよ。私なりに腑に落ちるものが得られたなと思っただけですから」
光は考え込むようにゆっくりと高度を下げた。
「ねぇ、君、なの? 本当に?」
「ここまで会話しておいて、まだそれを言いますか?」
「だって、君、人間。今、精霊。なんで?」
「転生したんですよ。エグが心を失って連れ去られそうになった時、エグを元に戻す方法はないのかって考えていたら、ふと〈夜の子〉と〈月の子〉のお伽噺を思い出したんです。あの話が本当なら、〈夜の子〉の代償を作っていたのはまだ精霊だった頃の〈月の子〉だということになる。それで精霊の祖と言われる月に〈夜の子〉の代償を戻すから許してと訴えかければ、私は精霊として生きられるのではないかと思いました。転生した結果、全く別人になってしまう可能性だってあったわけですから賭けでしたが、結果は大正解、一発逆転の大成功ですよ。エグは心を取り戻し、私は外を楽しむだけの時間を手に入れることが出来た。そして肝心の生まれた意味も得られたわけですから」
「生まれた、意味? どんな?」
「あまり大っぴらに言いたくはありませんが、散々それで振り回してきたので言わないわけにもいきませんか」
少年は仰々しく咳払いすると、改めて男に向き直った。
「エグの代償を回復させて、生きる喜びを与える。本当の意味での幸せを教える。それが私の見つけた生まれた意味です。私はずっと誰かの役に立ちたかった。外の景色が見られれば満足だなんて、そんなのは単なる妥協です。もう自分の本心から目を背けることはしません。私はいつかきちんとエグの代償を回復させます」
「代償……欠けた心、戻る?」
「ええ。そのためにもエグにお願いがあります。ここで正式に私と契約してください。対価は最低限の魔力。私は外で形を保てるだけの魔力を得る代わりにいつか必ず貴方に生きる喜びを与えます。っていうか、契約してくれないと次の夜に私は聖域に引き戻されてしまいます。今はエグの心を戻すために一方的に仮の契約している状態なので辛うじて外でも姿が保てますし、エグとも話が出来ますけど、正式な契約を結ばなければそれも解消されてしまうので」
「ん……どう、やる?」
「魔力を送っていただければいいです」
「こう?」
言われた通り少年に魔力を送ると、白い光の中にいつもパスポートに焼きつけていた蝶の紋章が浮かび上がった。
「契約、終わり?」
「そのはずです」
「代償……治った? 話すの、普通、なってる?」
「まさか。今は精霊の力を引き出し切れていないので、戻せていません。完全回復はそのうちさせます」
「早く、出来ると、いい」
「わかっています? 代償が完全に回復するとエグは魔力を失い、私は聖域に引き戻されてしまいます。二度と会えなくなるのですよ」
「そう、なの?」
「理論上はですが。ですから、ゆっくりいきましょうよ。私だって外を堪能したいんですから」
少年はゆっくりと下降し、四肢がちぐはぐな方向を向いたまま横たわる自分の肉体を見下ろした。
「何度見ても自分の体があるって気持ち悪いな……」
「……」
「このまま放っておいて狼の餌になるのは嫌ですし、燃やしますか。すぐに終わらせるので、エグは向こうで休んでいてください」
「葬式?」
「違いますよ。これはその……片づけです」
「……僕も、残る」
「はぁ。まぁエグにはこの程度の誤魔化しは通用しないか。残ってもいいですけど、くれぐれも無理しないでくださいよ」
少年は手早く落ち葉を集めて体を覆うと、火のついた枝をそっと添えた。間もなく落ち葉が灰色の煙を上げて燃え始めた。
火が燃え広がらないように注意しながら、少年は炎をじっと見守っていた。見送らなければならないと男も炎を凝視していたが、やはり形が無くなる恐ろしさは強烈だった。
込み上げる吐き気を喉の奥へ押し返し、跳ね上がる心臓を抑え、堪える。そんな男を心配して少年が傍へ降りてきた。
「大丈夫ですか?」
「ん……」
男の手が白い光に伸びる。指先が触れた瞬間光が急激に膨れ上がった。変化に気づいて顔を上げると、そこには慣れ親しんだ少年の姿があった。顔も手も足も、表情から細かい仕草まで、完全に記憶していたそれと一致していた。
ただ一つ全身から放たれた光が人智を超越した存在であることを証明していた。
「何をしたのですか?」
「わからない。なんか、出来た」
「契約関係になったので私に干渉出来るようになったということでしょうか? まぁ、元の姿を取れた方が私としても都合がいいですが」
自分の姿を見下ろす少年の顔はどこか嬉しそうだった。これまでより魔法が自由に使えるようになったお陰で大抵の物は浮遊魔法で動かせるようだが、やはり自分の手で物を持ちたいのだろう。
「これはいい。転生する前と同じ感じで動けるぞ」
「よかった。体、消えても、平気。前と、同じ」
「まぁ……今は形にしか拘らないエグの感性がありがたいかな」
二人で魔力を送って火力を保ち、落ち葉が完全に消えるまで燃やした。
燃えカスは少年が風を起こして遠くの空へ飛ばした。無事に終わった。
見上げると、葉を落とした木々の輪郭が薄っすらと見えた。いつの間にかかなりの時間が経っていたらしく、漆黒の空が徐々に白んできた。
「ところでエグ、食事は?」
「ん……忘れてた」
「その調子じゃあ、夜が明けてから何もかも忘れていたのでしょうね。いつまでも野宿するわけにも行きませんし、そろそろ街を探して出発しますか」
「うん。行こう。外の、世界」
新たな地を目指し、二人は空が明るくなっている方角へ足を踏み出した。
――終わり
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