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「新しい、というと語弊がありますね。未発表と言うべきか……模本が出たそうなんです」
「新たに見つかった、いうことか」
茶をすすった瑞垣の脇で、塩塚がああっ、と頓狂な声を上げる。
「ひょっとして、倫敦だか巴里だったかで見つかった、っていう……」
「其れです」
「どれだって?」
瑞垣の茶々を野々村は軽く手を振っていなす。塩塚はとうとう三つ目の月餅を手に取った。
「鳥獣戯画が明治の終わりに巴里の万国博覧会に出展された際、欧羅巴でもずいぶんと話題になったんだそうです」
「そこで、此れなら見たことがある、みたいな話が出たんですよ、巴里の美術商か好事家かが」
野々村のあとに塩塚が苦々しく付け加える。さもありなん、御維新からの文化財の海外流出は戦乱での散逸より質が悪い。エキゾチシズムともてはやされ、多くの文化財が国外に持ち出された。浮世絵など、本邦で保存されているものより海外にあるものの方が多いと言われる始末だ。文化の継承さえままならなくなる恐れがあるというのに、本邦はその事態に絶望的なまでに鈍感だった。
そんな状況を思い起こせば、三人共につい溜息が出そうになる。実際にひとつ息を吐いてから、野々村は「まあそんな事情で」と二の句を継いだ。
「そこで見つかったのが、狩野永徳筆の模本だった、という噂があります。そしてつい最近、この上海に持ち込まれたというんです」
ぽかん、と瑞垣も塩塚も絶句する。塩塚は月餅を取り落とし、瑞垣が慌てて受け止めた。
「かのう……えいとく……」
「って、あの永徳か? 信長と秀吉のお抱え絵師やないか」
安土桃山の天才絵師、足利義輝から豊臣秀吉まで当時の天下人に仕え、豪放な作風で名を成した狩野派の巨匠だ。現存する作品は少ないが、言継卿記や信長公記に名を残す。喩え模本であっても国宝だろう。
「そんなことが有り得ますか? だって狩野永徳の作ですよ?! 安土城と一緒に燃えちゃったんじゃ」
「あまり上手い冗談やないなあ」
首を振る二人に、真面目な顔のまま野々村は言うのだ。
「故ない話でもないです。永徳の孫の狩野探幽が描いた戯画の習作も残っています。其れは元々、土佐派の模本の写しとも言われていたのですが、実は狩野家伝来の模本が元なのではないかと」
まことしやかな噂が。
「そして、件の模本には今の四巻には無い場面が……しかも、此れまでの断簡や模本にもない場面があるらしい、と」
いつもは賑やかな記者倶楽部がしん、と静まり返る。誰かが生唾を飲み込む音さえ聞こえるほど。
出所の解らない与太話や荒唐無稽な噂話には事欠かぬ記者倶楽部だが、この時ばかりはこの有り得るかも知れぬ御伽噺に呑まれた。
「永徳の頃、といえば補修の前やな」
「まだ室町に幕府があった頃ですかねえ。義輝公か…」
「それどころか、その頃ならまだ、応仁の乱の以前に存在した場面の写しが残っていた可能性もあります。若し、其れを繋ぎ合わせることが出来たとすれば」
「永徳は大胆な絵が有名ですが、洛中洛外図屏風のような細密画も得意やいう話は聞いたことがありますねえ。その技術と構想力があれば」
「永徳筆の完全なる……模本か」
狩野永徳にしか描けない鳥獣戯画が。
上海は秋の終わり、緯度の割に冷え込む時分だったが、記者倶楽部の空気が少し、熱を帯びた様な気さえする。だが、そのしっとりとした沈黙を、「本日分でーす」と郵便物を届けに来た丁稚の明るい声が破った。
はっ、と皆が日常を取り戻す。
「やあ、完本の模本とは、ずいぶんなパラドックスですねえ」
感心したように呟いて、塩塚は月餅にかぶりついた。野々村はサンザシの実を手に取ってから、ふと思いついたように瑞垣に問う。
「瑞垣さん、大学は京都でしたよね。何かご存じないですか?」
「はあ? 知ってるわけあらへん。たかが学生に何が出来るゆうねん」
「やあ、でも街の噂とか。絵巻特売のお知らせとか」
「無茶言うな。鳥獣戯画の本物かてそうそう見られんやろ。第一、卒業してへん」
「あれ、中退でしたっけ? じゃあ記者になったのは京都ではなくて?」
「東京に出てきてぶらぶらしとったらいつの間にかな」
うっかり冗談口が出たところで、部屋の空気はだいぶ緩んだ。気が付けばすっかり闇の色が濃くなって、倶楽部の電灯を点す頃合いになっていた。記者たちも明日の朝刊のための仕上げ作業を三々五々始めていた。
瑞垣たちもようやっと茶飲み話に区切りを付け、片付けを始める。
ただ、今日の噂話は各々の脳裏に鮮やかな軌跡を残す。
平安の名残を宿す数奇な絵巻
狩野永徳による、その、幻の模本
「嗚呼……でも、それは……」
もし存在するならば。
本当ならば。
「見てみたい」
瑞垣の囁きに、誰もが思わず頷いた。
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