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2:厳月村
翌日の午前中のうちに、碧玉と天祐は供に灰炎と雪瑛を選び、厳月という名の村にやって来た。
天祐が呼び出した巨大な鳥の式神に乗り、堂々と村の広場に着地する。すると、いくばくもせずに、村長である年老いた男が村人とともに現れた。平伏してあいさつをする。
「白宗主様、遥々とこのような遠方へ、ようこそいらっしゃいました」
「頭を上げなさい。知らせは出していないはずだが、どうして訪問を知っている?」
式神の背から降りると、天祐は村長に頭を上げさせてから疑問をぶつける。村へと先触れを出す時間はなかったので、直に赴いた形だ。
「松伯様より、昨夜、夢でお告げをいただきました。近いうちに、宗主様がいらっしゃるだろう、と。まさか翌日には足を運んでいただけるとは思いませんでした。ありがとうございます」
問題が起きたからといって、領主自身が直接やって来ることはまれだ。村長の喜びようは当然といえた。
「お前達は巫術をたしなんでいるのか?」
碧玉は身軽に地面へと飛び降り、村長に問う。
「いいえ。……白家に縁のあるお方でしょうか?」
村長は碧玉のまばゆい銀髪に目をとめ、天祐のほうを伺い見る。天祐は頷いた。
「ああ。彼は雲銀嶺殿だ。遠縁でね、主に文官の業務を手伝ってもらっている」
今回の旅でも仮面で顔の上半分を隠し、遠縁の雲銀嶺という架空の人物になりすましている。白家の遠縁には雲海家があるが、雲家はない。あえて似た名前を付けることで、そんな家もあるのかと思わせる作戦だ。
周りを納得させるのは天祐に任せ、碧玉は思案する。
「巫術ではないのか」
巫術とは、神を体に降ろすことで神託を受ける術のことだ。例えば、黒家は昔から巫術を得意としているため、直感という異能を得ている。
「松伯様は我らの守り神であり、義理の父でもあるのです。困り事があれば、村人には誰にでも夢を介して助言してくださいます。あの方の姿が見える者や子どもなら、直接お話することもありますが」
「子どもの中には霊感が強く、霊の類を見ることもある。成長するにつれ、見えなくなることも。そのことか?」
「ええ、そうです。雲家の若様」
「銀嶺と呼ぶがいい」
碧玉は名を呼ぶ許可を与えると、村長に質問をぶつける。
「守り神ならば分かるが、義理の父とはどういうことだ?」
「この村の者は、生まれてすぐに、大樹公の養子になるという習わしがあるのです。それによって加護を得て、病や邪悪な者から守っていただくのですよ」
今度は天祐が口を挟む。
「大樹公とは?」
「松伯様のことです。我らは親しみと尊敬をこめ、大樹公と呼んでおります。松伯とは、人間でいう名でございますね。ご覧になっていただいたほうが早いかと。よろしければ、ご案内いたしましょう」
「ああ、よろしく頼む」
村長が案内を申し出たので、天祐は即座に頷いた。額づいたままの村人達にも、仕事に戻るように言いつける。式神を符に戻すと、村長が歩きだす背をゆったりと追う。そんな天祐の傍に灰炎が来て、ひそひそ声で言った。
「宗主様、夢でお告げができるなら、可愛い村人とやらも他の者に助けさせればよかったのではと思いませんか」
「祓魔は苦手だとわざわざ言っていたんだ。他の者の手に負えるようなものではなかったのではないか?」
天祐が考えを答えると、灰炎は顔をしかめる。
「門弟も連れてくるべきだったのではございませんか?」
「ひとまず様子見をして、無理ならば呼ぶよ。灰炎殿、心配しなくても大丈夫だ」
天祐の言葉を聞いて、碧玉は当然だと返す。
「そもそもだ、灰炎」
「はい」
「当代随一の道士がどうにもできない相手なら、門弟が束になってかかったとして無理だろうよ」
「うっ。その通りでございますね。大変失礼いたしました」
灰炎がうなだれると、足元を歩いていた雪瑛が抗議する。
「主様、灰炎様に意地悪をおっしゃらないでくださいませ!」
「雪瑛、お前のその勇敢さに免じて、もしもの時はおとりに使う名誉を授けよう」
「ひっ。わたくしにも意地悪を~っ。うわーん、怖いですーっ」
雪瑛はビャッと飛び跳ね、大げさに騒ぎたてる。
碧玉はまさに性格が悪い笑みを口元に浮かべた。天祐が苦笑して注意する。
「銀嶺、からかって遊ぶのもほどほどに」
「冗談は三割だ」
「七割も本気なんですか!?」
碧玉の返事を聞いて、雪瑛は毛を逆立てた。
ふと前を見ると、村長が驚いた顔をして立ち止まっている。
「今、そこの狐がしゃべりませんでしたか?」
「ああ。この狐は妖怪だ。偏食家で肉を食べなかったことで、仙狐に昇格したらしい。銀嶺に仕えている」
「おお、それほど強い道士でいらっしゃいましたか。宗主様が少人数でいらっしゃるわけです。心強いでしょうね」
村長の褒め言葉に、天祐は気を良くしたようだった。
「そうなんだ。いつでも一緒にいたいくらいだよ」
「やめぬか」
天祐が堂々とのろけ始めたので、碧玉は村長が前を向いたのを確認するや、右肘で天祐の脇を小突く。
「大樹公がいらっしゃるのは、この先ですよ」
村長は民家の間の小道を通り抜けていく。その頃には、松の青々とした枝が見えていた。そして、村の奥まった場所にある小さな広場に到着した。
大きな松の古木が、堂々としたたたずまいで鎮座している。斜めに傾いだ姿は美しい。その枝には、墨で名が書かれた色とりどりの木札がぶら下がっていた。
「大樹公の名にふさわしい佇まいだ」
天祐が感想を告げると、村長は満足げに頷く。
「ええ、そうでございましょう。もう千年はここにいて、私どもを見守ってくれているのです。このような辺鄙な土地ですから、村人にとっては心のよりどころですね」
村長が言うには、厳月の村では、子が生まれたお祝いから始まり、冠婚葬祭の全てをこの松の前で行うという。
「村長は祭祀も務めております」
「なるほどな」
碧玉は納得した。
こういった偏狭な土地では、祭祀を行う者が権力者となりやすい。場合によっては邪教とみなされて討伐対象になることもあるが、ここでは松を神と親しんで、穏やかな生活を営んでいるだけのようだ。
「そこにかかっている、名が書かれた札はなんだろうか」
「大樹公の養子になった者の名札です。亡くなると外して、遺体とともに埋めるのですよ」
名札の数をざっと数えると、五十にも足りないくらいだ。小さな村なので、さほど人数はいない。
松の枝を見回し、根本に置かれた小さな祠に目をとめると、いつの間にかそこに緑の羽織を着た青年が腰かけていた。
「思ったよりも早く来てくれたのだね。待っていたよ。村長、案内をありがとう」
青年は村長に話しかける。
風が吹いて、さわりと枝が揺れる。村長は松の木を見上げて、拱手をした。
「いえ、お役に立てて何よりでございます、大樹公」
「村長は松伯様の姿が見えないのか?」
どうやら碧玉と同じく、天祐ははっきりと松伯を見ているようだ。村長の目が松伯をとらえていないのを察して問いかける。
村長は残念そうに頷いた。
「ええ。十年ほど前までははっきりと見えておりましたし、会話もしておりましたが、霊力がおとろえたのか、今はまったく。しかし、ささやくような声は聞こえますよ。恐らく、死期が近づいているせいでしょうな」
「君はまだ長生きするよ。さあ、後は任せて、家にお帰り」
「ありがとうございます」
村長は松に向けてもう一度拱手をし、天祐達にもあいさつをしてから家へ帰っていった。
青年――二十代半ば程の男の姿をした松伯は、白家にいた時と違い、松の傍にいるとはっきりと姿が見えた。長い黒髪の一筋に緑が混じっている。色白の肌をしていて、灰色の衣に、緑の羽織をまとっていた。切れ長の目は金色に輝き、異形の身だと示している。それだけでなく、耳はとがっていた。その左耳につけた緑色の玉の耳飾りから銀色の房が垂れているのが、優美だった。
「励ますためにああは言ったけれど、彼は今年の冬には身まかるだろうね」
「……お亡くなりになられる、と?」
松伯のつぶやきを拾い、天祐が問う。
「死期が近づくと、見えなくなった者でも、不思議と私を感じとるようになるのだよ。そんなに悲しそうな顔をしなくても、あの者はひ孫にまで恵まれて、幸せな余生を送っているよ」
「……はい」
天祐の沈痛な空気が、少し薄れた。
しんみりした場を振り払うように、灰炎がはきはきとした口調で問う。
「白家の道士ならば、松伯様を見ることはできるでしょうが、一般人には厳しいでしょうね。しかし、村長と話ができるのならば、あの方に問題解決を頼めばよいのでは?」
「可愛いあの子の死期を早めろというのかい。非情な子だねえ」
まるで灰炎の親みたいな口調で、松伯は言った。
「子!? 三十代の私を子ども扱いするのですか?」
「ああ、すまない。私は人の子は全て、我が子のように思っているから、同じ扱いをしてしまったよ」
「そういうことなら構いませんが、他の者に頼めなかったんですか?」
「私でも解決できないことを、村人に頼めるかい? 村長でも無理だろう。得体の知れないものを追い払うには、危険が伴う。無力ゆえに返り討ちにあっては気の毒としか言いようがない。だから、祓魔業が得意なあなたがたの家まで押しかけたんじゃないか」
理路整然と言い返され、灰炎は沈黙する。
「飛燕という者を訪ねなさい。青年団の長でね。私はあまり松の傍を離れられないから、彼から教わるほうが分かりやすい」
「村長を差し置いてですか?」
「君、老人をそんなに歩かせるつもりかい?」
「浅慮をお詫び申し上げます」
松伯に呆れ顔で指摘され、灰炎はすぐさま謝った。
「松伯様、私の部下を責めないでください。年配者の立場を慮ってのことですよ」
碧玉が灰炎をかばうと、松伯はけろりとした態度で頷く。
「責めてはいないさ。この村は辺鄙なだけあって、歩き回るには疲れるものらしい。村長の面子を気にするなら、報告だけはしておくといい」
「ええ、そういたします」
これには灰炎が返事をした。
松伯は何か考えるように、村のほうを眺める。
「今回の事について、簡単に言えば、姿を見せぬ嫁が問題なのだ」
「姿を見せない嫁ですか……? 婚礼の時も見なかったのでしょうか」
天祐の問いかけに、松伯は頷く。
「ある夜、ある村人の家を女が訪ねてきて、妻にしてくれと言ったそうだ。あまりの美しさに、村人は了承した。しかし、その女は天女の血筋らしく、人前に姿を見せられないのだという。だから、夜になると家に来て妻の仕事を全うし、まだ薄暗いうちにどこかに帰っていくんだそうだ。最近、身ごもったらしい」
「怪しいにもほどがある」
碧玉は顔をしかめた。
「明らかに異様だろう? おかしいと感じた村人達も、彼の嫁の正体を調べようとしたが、山へ帰る女を追いかけると、途中で必ず女を見失う。そのせいで、本当に天女ではないかと噂される始末だ」
松伯は暗い顔をして、首を横に振る。
「あれは天女などではない。もっと邪悪な何かだ。村人には下手に手を出さないように言ってある」
碧玉達は顔を見合わせた。
「天祐、この件の解決に、三人と一匹で足りそうか?」
碧玉の問いに、天祐はあいまいな返事をする。
「見てみないことには分かりませんよ。念のため、封魔の壺は用意してあります。最悪、封じて時間稼ぎをしましょう」
状況が分からなければ対処のしようもない。今日は敵情視察といこうと、予定がまとまった。
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