7:妻の正体

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7:妻の正体

 日が落ちるまでに食事を終え、碧玉達は桂英を迎え撃つ準備を整えた。  ここでの寝泊まりなど野宿のようなものなので、碧玉は床に雑魚寝でも構わなかったが、気を遣った村人達が、竹で作られた簡易寝台を三つ置いていってくれた。寝返りをうったら落ちてしまいそうな幅が狭いそれに腰かけ、碧玉はつぶやく。 「わざわざ寝台を用意したようだが、今日は睡眠をとれるか分からぬぞ」 「銀嶺、長丁場になりそうなら、あなたは休んで構いません」  天祐が即座に過保護なことを言った。 「その時は任せるとしよう」  碧玉はすんなりと頷いた。それほど長くかかるならば、むしろ交代で休みながら対処すべきだ。人間の集中力はさほど続かない。 「あの……銀嶺様は領主様にお仕えされている身分なのでは?」  雲嵐がおずおずと問う。  どう見ても、天祐が碧玉に仕えているように映るだろうとは、碧玉も分かっている。天祐はにこりと微笑みを浮かべて問い返す。 「年長の親戚を敬って、何か問題でも?」  その笑みに深く問うなという圧を感じ取ったのか、雲嵐はあからさまにおびえた。 「ひっ。な、何もございません! 失礼いたしました」 「ああ。一つ教えておいてやろう。この方は、昔、領のために無理をされて体を壊されたのだ。それゆえ、特別に扱っている」 「師兄のようなお立場なのでしょうか。領主様は礼儀正しくていらっしゃる。私も見習わせていただきます」  二人のやりとりを眺め、碧玉は感心した。 (天祐ときたら、嘘は言っておらぬからすごいな)  碧玉ならば説明が面倒だから問うなと言って終わらせるが、人間というのは隠すほどに興味を惹かれるものなので、天祐のように納得させたほうが早い。 「主君、薬湯をどうぞ」 「ああ」  食後から、灰炎は土瓶で薬草を煎じていた。それを茶碗に注いで、盆にのせて運んでくる。苦くてまずいそれを碧玉が飲み干すと、雲嵐はなるほどという様子で頷いていた。思いがけず、灰炎の行動は、天祐の言葉を補強してしまったようだ。  空になった茶碗を盆に戻すと、碧玉は雲嵐に質問する。 「雲嵐、お前の妻は、いつもどれくらいの時分に帰宅するのだ?」 「月がだいぶ高く昇ってからになります」 「深夜に来てから家事をするのか? お前の休息の邪魔にしかならぬのでは」 「秘事をして休んだ後に、家事をしてくれているようです。妻問(つまど)いの逆と思えば気にならないものですよ」  雲嵐は秘事とぼかしているが、つまり、夫婦の交わりのことだ。 「毎晩か? 熱心なことだな」  碧玉は感想を言っただけだったが、雲嵐はからかわれたと思ったようだ。竈の火と蜜蝋の蝋燭の明かりしかない薄暗さでもはっきり分かるくらい、顔を赤くした。 「桂英は毎日帰宅するわけではありませんが、ここ最近は、子どもが欲しいからとねだられておりまして」 「ふむ、そうか」  碧玉は顎に手を当て、考えこむ。 (子が欲しい、か。それほど精を求めているなら、雲嵐は体調を崩しても良さそうなものだが……)  雲嵐の様子は元気そのものだ。 (頻度が上がっているならば、やはりそろそろ終盤と見るべきか)  そんなことを考えていると、碧玉の足元で丸くなっていた雪瑛が、突然、毛を逆立てて飛び起きた。 「来ました!」  そのまま飛び跳ねて、碧玉の懐に飛びこんでくるので、碧玉は思わず抱きとめる。 「雪瑛、邪魔だ」 「ひどいです~!」  碧玉は容赦なく、雪瑛を膝の上から下ろした。  ――コンコン  つっかえ棒を渡した戸が、外から叩かれる。 「もし。あなた様、桂英でございます。ただいま帰りました。開けてくださいませ」  品の良い甘やかな声が、雲嵐へ話しかけた。  打ち合わせておいた通り、雲嵐は桂英に言葉を返す。 「桂英、おかえり。申し訳ないが、今日は客がある。君が寝る場所がないから、山のほうへ帰ってくれないか」 「お客様ですか?」  しばしの沈黙が落ちる。ややあって、桂英はまた話しかけてきた。 「でしたら、なおのこと、妻たるわたくしがもてなさなくては。中に入れてくださいまし」 「桂英、客が寝ているのだ。今日は帰ってくれ」  再び沈黙が落ちた。  碧玉には異様な気配が感じられて、背に冷や汗がにじむ。戸に近づくまで桂英が来たことに気づかなかったことも不気味だった。  草を踏みしめ、家の周りを歩く音がして、再び戸から桂英の声がする。 「あなた様、わたくし、前に薬草のにおいは嫌いだと申し上げましたわよね。周りに置くなんて、まるでわたくしを追い払いたいみたい」  遅れて、ガリガリと戸をひっかくような音が聞こえてくる。 「客とは、もしや女ですか? わたくしというものがありながら、端女(はしため)を招き入れたのでしょうか」  女の声が低く、苛立ちをこめたものに変わっていく。  悔しげに、ガリガリと戸に爪を立てていたが、桂英は怒りをこめて戸を叩き始めた。 「あなた、ここを開けて! 浮気でないというなら、その客をわたくしに見せなさい!」  桂英が怒りをあらわにするので、雲嵐は狼狽している。雲嵐がつっかえ棒を外そうと手を伸ばすので、灰炎が無言でその腕を押さえて、首を横に振った。  桂英は半狂乱になって、戸だけでなく、窓のほうにも回って叩く。この家の窓は、木の板を木の棒で支えるだけの突っ立て窓だ。窓には護符を貼っているだけなので、人間ならば外からも開けられる。 「ああ、開かない! どうしてなの、あなた!」 「桂英……その窓が開かないのかい?」 「ひどいわ。板でふさいでいるのでしょう? ここまでなさるなんて」  雲嵐の体が震え始めた。  彼も霊力が高い家の出身だけあって、札が貼られた窓を桂英が開けられない理由を察したらしい。  桂英は家の周りを叩いて回る。その音が急に静かになった。 (――そういえば)  碧玉は唐突に思い出した。碧玉は灰炎にささやき声で問う。 「おい、灰炎。屋根は直したのか?」 「……あ」  灰炎の顔が強張る。  思わず、家の中にいた全員が屋根のほうを見ると、そこには女の顔があった。 「見ーつけた」  心底うれしそうに、半月のように口を吊り上げて笑っている。  桂英はなるほど美しい女だった。しかし、今、彼女の首はありえない角度に曲がって、こちらを見つめていた。 「ひいいいいっ」  雲嵐は悲鳴を上げ、その場に尻餅をつく。  天祐と灰炎はすぐさま剣を抜いた。 「ちっ。穴があったか。忘れていた」 「主君、後ろへお下がりください!」  碧玉は桂英から目をそらさずに、スラリと剣を抜きながら、ゆっくりと立ち上がる。寝台の上で、雪瑛が毛を逆立ててうなった。 「おい、そやつを守るために来たのだろうに」  天祐と灰炎は碧玉を最優先にするので、碧玉は呆れた。  屋根は何か重いものをのせているかのように、ミシミシと音を立てる。やがて、穴があいていた所を中心に、上から何かがドスンと落ちてきた。 「ああああ」  雲嵐はすっかりおびえて、声にならない言葉ばかり漏らしている。  それもしかたがない。牛ほどの大きさはありそうな蟷螂(かまきり)の頭に、美しい女の顔がくっついているのだ。その上、女の目は笑っておらず、人の情などまったく見えない。 「ほらー! だから虫くさいって言ったじゃないですかぁー!」  雪瑛が涙声で言った。 「うるさい」  碧玉がぴしゃりと言い捨てると、桂英の目がこちらを見た。 「やっぱり! 浮気していたのね、あなた!」 「は……? はあ!?」  雲嵐は間抜けな声を上げる。 「顔が美しければ、男でもいいだなんて!」 「違う!」 「なんてことなの……。愛情がたっぷりこもった夫の肉を食って、ややこに愛の素晴らしさを教えるつもりだったのに。これでは価値が半減してしまうわ」 「夫……? 肉……?」  雲嵐はすっかり腰が抜けて、立ち上がれないでいるようだ。  桂英から目をそらさないまま、天祐がぼそりとつぶやく。 「ああ、蟷螂の雌は、交尾した雄を喰うからな。それで栄養をとって、卵を産む」 「それは知っています!」 「お前は昼間にこんなことを言っていたな。『もし私を愛して、人の姿で嫁入りしてくれたのでしたら、私は見ないふりをしたいのです』だったか? お前、知らぬふりをしてあれに喰われる気はあるか」 「ひっ。あ、あるわけないでしょう! なんだか領主様、私に怒っていませんか?」 「気のせいだ」  天祐はしれっと答える。碧玉には、天祐がすねているのが分かった。おおかた、桂英が雲嵐と碧玉が浮気していると勘違いしたことに腹を立てているのだろう。 (まったく、天祐の奴。私が関わると、急に心が狭くなる)  なんとなく分かってはいたが、時と場合を考えてほしいものだ。 「私を大事に扱ってくれるなら、見ないふりをしましたけど、食べられるのはごめんです!」  雲嵐の抗弁に、雪瑛が横からのほほんと口を挟む。 「あら。あれにとって、食べるのが愛なんですよ。あなた様は、熱烈に大事にされていると思います」 「それでもです、狐さん。私は価値観の違いにより、妻と離婚します!」 「そのほうがいいでしょうね」  雪瑛が会話に加わるだけで、途端に場の空気が緩むのはどうにかならないだろうか。碧玉はうんざりした。 「離婚ですって? 駄目よ。もうすぐ可愛いややこが生まれるんだもの。お前にはわたくしの糧になってもらうわ」  桂英の腕には鋭い鎌がついている。切りつけようとするのを、灰炎が雲嵐を庇って、剣で止める。 「くっ。力が強い!」 「はあ!」  天祐が剣を一閃し、灰炎が止めていた鎌を押し戻した。その直後、天祐は懐から取り出した破魔の札を掲げて、呪を唱える。  札が青白く光り、桂英に飛んでいった。桂英は青白い光に切られて、悲鳴を上げる。 「ぎゃあああっ」 「今だ。外に出るぞ!」  天祐に促され、灰炎は急いでつっかえ棒を外して戸を外に向けて蹴り開き、雲嵐の後ろ襟をつかんで外へ出る。  碧玉もまたその後を追った。雪瑛が猛然と飛び出し、しんがりの天祐が桂英を気にしながら最後に家を出る。 「あの鎌が厄介ですぞ、主君!」 「ふん。虫だろうと、浄火で燃やしてしまえばいいだけだ」  警戒を促す灰炎に、碧玉は鼻を鳴らして答える。 「産卵が近いからか、妖力を消耗しているようだな。夫の肉を喰いたがるのも頷ける」 「ひいいい」 「雲嵐殿、自分で立たないか!」  碧玉の冷静な指摘に対して、雲嵐は悲鳴を上げるばかりだ。灰炎がしびれを切らして怒鳴りつけた。  碧玉は雲嵐を見た。彼は震えながら泣いている。 「ううっ。私が交わったのはあんな化け物だったのか? 結局、私にはどこにも居場所はないのだろうか」 「雲嵐、落ち込むのは無事に夜明けを拝んでからにするのだな。鬱陶しい」 「ずみまぜん……」  碧玉の容赦がない言葉に、雲嵐はうなだれて謝る。よろよろと立ち上がった。 「雲嵐! わたくしの旦那様! さあ、一つになりましょう!」  外に出てきた両腕の鎌を振り上げて、にたりと笑う。碧玉は皮肉っぽくつぶやく。 「熱烈な愛の言葉だな」 「あれは、嘘は言ってませんね。血肉を糧とするのは、一つになるといえますし」  天祐も軽口を返す。 「お二人とも、そんな猟奇的な愛は人間社会には不要です!」  灰炎がまともなことを言った。  桂英は羽を出し、宙へと飛び上がる。 「旦那様!」 「うわあああ」  一直線に雲嵐のもとへ飛んでいくのを、天祐が割りこんで剣で止める。その隙を狙い、右の拳に浄火をまとわせた碧玉が殴りかかる。  生物の本能なのか、桂英はとっさに空へと逃げた。 「邪魔をするな!」  桂英は怒りを爆発させる。妖力が急激に高まり、桂英が羽ばたくと突風が起きた。 「くっ」 「兄上!」  あまりの風の強さによろめく碧玉を、とっさに天祐が抱きとめて庇う。灰炎は地面に倒れ、小さな雪瑛は吹っ飛ばされた。 「きゃあああ」  ころころと転がる白い毛玉を横目に、碧玉は声を上げる。 「雲嵐!」 「あああっ」  桂英の凶刃が雲嵐に迫るも、直前で緑の光が壁になって現れ、桂英を弾き飛ばした。 「ぐぎゃあっ」  勢いがついていただけに、反動がすごかったようで、桂英はつぶれた悲鳴を上げ、地面へとベチャンと落ちた。  碧玉は天祐の腕を押す。 「天祐!」 「分かっています! 悪しき妖邪よ、燃えてなくなれ!」  天祐は桂英へと接近し、浄火をまとわせた拳で殴る。青い炎は瞬く間に桂英を飲みこんだ。 「ぎゃあああああ」  桂英は断末魔を上げ、灰を残して消え失せた。
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