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4 因果応報の果て
※残酷描写があるので苦手な方はご注意ください。
辺りは薄暗く、雨の音が響いている。
邸内の離れにある祠堂で、碧玉は位牌の前で正座をしていた。
線香の煙が揺れ、おとないを告げる。
「兄上……、どうか少しでも食事をしてください。あなたまで倒れてしまいます」
祠堂の入り口にたたずみ、天祐は控えめに声をかけた。
「いらぬ」
「しかし、父上と緑夫人が亡くなられてから、二週間になります。これ以上、嘆き悲しむのはお体にさわります」
「私に話しかけるな!」
目尻からつうっと涙がこぼれ落ちるのを、碧玉は乱暴に袖でぬぐう。
(事故は食い止めたのに……。まさか出張先で地震に巻き込まれて亡くなられるなんて)
碧玉は悔やんでも悔やみきれず、胸を引き裂くような悲しみにとらわれていた。
天祐が元服の儀を行う十二歳あたりで、両親が馬車による事故死をするのは、前世で読んだ書物に書いてあったから知っていた。だからこそ、元服後の若い弟を、戦場に追いやるなんて過酷な真似ができたわけだ。父親が生きていれば、当然、止めるはずだった。
碧玉は馬車の手入れに気を遣い、事故は未然に防ぐことができた。
しかし、その後、両親は宴に招かれて出かけていき、そこで地震に見舞われ、建物の下敷きになって死んだのだった。
(馬車なら即死だった。生き埋めになって、どれほど苦しまれただろうか……)
こんな死に方をするならば、馬車の事故を止めようとはしなかったのに。
「兄上、俺だって悲しいです。あなたのお気持ちはよく分かります。しかし――」
天祐が碧玉の腕をつかみ、祠堂から出そうと引っ張る。その手を強く振り払った。
「うるさい! お前などに、私の気持ちが分かるものか! 誰にも理解できぬわ!」
碧玉に突き飛ばされ、天祐は尻餅をつく。
彼は蒼白な顔に涙をにじませたが、肩を落として出て行った。
祠堂の外から、使用人や門下生の声がする。
「天祐様、碧玉様のご様子はいかがですか?」
「あのまま、後を追われるのではないかと心配で……」
「――っ。縁起でもないことを言うなっ」
天祐が誰かに怒鳴りつけ、走り去る沓音が響く。
祠堂に入れるのは家族だけだ。誰も入ってこられないから、天祐に頼んだのだろう。
碧玉は騒がしい音を意識の外に追いやり、姿勢を正し、じっと位牌を見つめる。結局、天祐の心配通り、碧玉が祠堂を出たのは倒れてからだった。
熱にうなされ、三日三晩寝込んだ碧玉は、ようやく腹を決めた。
若き宗主として、白家の長となった碧玉は、天祐を厳しく指導することに決めた。
あの書物の通りに、両親は死んだ。筋書き通りになるのならば、きっと碧玉の死も変えられないのだと悟ったせいだった。
「お前が白家の後を継ぐのだ、天祐。それまでは私がつないでやる」
「……兄上?」
青白い顔で宗主の仕事を始めた碧玉に呼ばれ、突然そんなことを言われた天祐はぎょっとした。
「何をおっしゃるんですか。あなたほど、白家の宗主にふさわしい方はいらっしゃいません! 俺は……いえ、私は弟としてあなたを支えます」
「お前のほうが、能力が高い。下女の子であるのにかかわらず、父上は直系に定められた。父上の意を汲むまでのこと」
「それは……当代の子どもが私と兄上しかいないからだと、皆も知っていることです!」
「話して分からぬのなら、宗主として命じる。後継ぎとして研鑽せよ」
「兄上……!」
天祐は追いすがるが、碧玉は無視した。
自暴自棄に見えるのだろうか。周囲の者は碧玉の扱いに困り、はれものを触るように遠巻きにしている。
碧玉はそれもどうでも良かった。
敬愛する父母を助けられなかった悔恨が胸を焼き、じっとしていられない。
おりしも、書物のように月食が起き、国内の各地で怨念が湧きだした。書物では天祐を戦場に追いやっていたが、今回は碧玉が兵を率いて、邪霊や怨念の討伐に繰り出した。
浄火を使って、一網打尽にする。
行き場のない怒りを、奴らに八つ当たりしたのだ。
書物では天祐が十年かけて討伐戦を終えたのに対し、碧玉は持てる権力と私財を全て投じて、誰よりも働いて魔を駆逐したので、五年でほぼ八割まで仕事を終えた。
誰もが碧玉の功績をたたえたが、碧玉にはむなしいだけだった。
そして、碧玉は二十一歳となり、天祐は十七歳になった。
「では、私は宮廷に出仕してまいる」
「お気を付けて」
門まで見送りに来た天祐は、精悍な若者へと成長している。碧玉の留守中も研鑽を積み、今では、碧玉を上回る道士となった。浄火すらもたやすく扱っている。
書物の通りなら、天祐が二十二歳になった頃に、碧玉は死ぬはずだ。
天祐が二十歳になったら、宗主の座を渡そうと決めている。そして、いつか考えたように、静かな場所で隠居するのだ。
天祐は不服そうな表情をしており、この辺りはまだ子どもだなと碧玉は思った。
「留守番には慣れているだろう? 何か問題が?」
「主上はなぜ、宗主をわざわざ宮廷に呼びつけるのです? 兄上は戦からお戻りになったばかりでお疲れなのに……。報告など、下位の者で充分では?」
「分からぬか」
七璃国の今代の帝は、天治帝と呼ばれている。若くして帝になったばかりの男を思い浮かべた。この国の帝は世襲ではなく、七つの世家のどれかから会議を通して選ばれるが、ほとんどは碧玉の実母である緑夫人の実家、緑家から出る。
緑家は地をはぐくむ能力を持つため、帝になると、国全体に能力が及んで、国土が豊かになるせいだ。次に多いのは、水をつかさどる青家だった。
「分かりません。主上の後見は、緑家がされているはず」
「主上は若い。ゆえに、軽視されがちだ。それを嫌って、私を呼びつけることで、権威を示しているのだよ。私は白家の仕事をしているだけだが、世間では英雄呼ばわりされているからな」
ただ八つ当たりして回っていただけなのに、なぜか評判を高めてしまい、碧玉は天治帝ににらまれていた。
「英雄を犬のように呼びつけて、自分が上だと示しているわけですか?」
わざと碧玉を怒らせるような言い回しをして、天祐は青筋を立てている。子どもみたいにすねていた。
――ふ。
ずいぶん久しぶりに、碧玉は唇に笑みを浮かべた。天祐の黒い髪に手を伸ばし、頭をポンとなでる。
「お前もまだ子どもだな」
「兄上……」
碧玉が天祐に触れることは滅多とない。天祐は照れて、頬を赤らめた。
「よいか、天祐。お前が後継ぎだと忘れるな」
「兄上っ、私はその件は納得しておりません!」
「案じるな。今のお前がそのまま研鑽し続ければ、誰も反対せぬ」
天祐の抗弁を無視して、碧玉は馬車に乗りこんだ。
結局、天祐はあきらめたようで、馬車の窓に向けて拱手をする。
碧玉は窓を幕で覆い、椅子にもたれて目を閉じた。
あのほんの二年の間、行動を変えたことで、父親や周りとの関係が良くなり、碧玉にとっては夢のように温かな日々だった。
(もう戻らない夢だ……)
むなしい心を抱えたまま、ただ生きていくことに、碧玉はなんの感慨も持てない。どうせ死ぬのならば、早く消えてなくなりたいと願っていた。
バシャンと水音がした時、碧玉は内心、自分のうかつさをのろった。
天治帝の宴に招かれ、帝に酒をつぐようにうながされた。それで玉座に近づいたところ、帝の傍にはべっていた側室に衣の裾を踏まれたのだ。
予想していない動きだったために転んでしまい、帝に酒をかけてしまった。
「申し訳ございません!」
すぐさま平伏をして、碧玉は帝に謝る。
「余に酒をかけるとは、謀反の心でもあるのか?」
「そのような大それたこと、思ってもおりません、陛下」
しんと静まり返る宴の席で、天治帝はプッと噴き出した。
「ははは、冗談だ。疲れているところを呼びつけてすまなかったな。祓魔は白家にしかできぬこと。期待しておるが……」
天治帝の目が意地悪に光る。
二十五という若さで帝となった男は、碧玉を明らかに嫌っていた。
側室に命じて、碧玉を転ばせるように算段を整えていたのだろう。
「余に酒をかけたのは事実。罰を受けてもらおうか。誰か、鞭を持て」
謀反ならば殺されてもおかしくないが、碧玉に失敗させて皆の前で笑いものにしながら、寛容さを見せつけて、帝自ら罰をくだす。
天治帝は碧玉のふくらはぎをしたたかに叩き、衣に血をにじませてよろめく碧玉に下がるように言った。
宴を辞した碧玉を、灰炎が支える。
「宗主、すぐに手当てを」
「否。まずは宮廷を出る」
「かしこまりました」
ぐずぐずしていては、また何か因縁をつけられるかもしれない。
都にある白家の屋敷に帰ると、手当てをされながら、詫びの品を献上するように配下に言いつける。
「どうしてお怒りにならないのですか。あなた様は白家の宗主ですよ」
「主上よりも年下の私が功績をなすから、気に入らないのだろう。目立ちすぎた。出る杭は打たれるものだ」
「だからといって!」
「うるさい。私を案じるなら、静かにしていろ」
灰炎はぐっと押し黙り、応急手当だけを済ませた。そこへ医者がやって来て、治療を交代する。
「宗主になられてから、あなた様は無茶ばかりなさっておいでだ。もう少し体をいたわってはいかがですか」
医者にまで小言を言われたが、碧玉は聞いていないふりをする。
「白家としての仕事をしているだけだ」
碧玉は楽観視していた。
「陛下は若さゆえに、ああして虚勢を張るしかできぬのだろう。地位が盤石になれば、落ち着くだろうよ」
まるで、かつての碧玉を見ているようだった。
ささいなことで罰をくだし、天祐を鞭打っていたおのれのようで。天治帝を見ていると、身につまされて過去の自分が恥ずかしくなる。
因果応報。天祐にしたことが、おのれに返ってきたように思えてならない。
話を聞き入れない碧玉のかたくなさに、説得をあきらめたようで、医者と灰炎は首を振った。
碧玉のもくろみは外れ、灰炎と医者の不安が的中した。
それ以来、碧玉は何かと宮廷に呼びつけられ、罠にはめられ、天治帝みずからに罰を与えられた。
五回目にして――それでも気が長いことだと配下に言われたが、とうとう碧玉は耐えかねて、天治帝に問う。
「どうして私をそのように憎まれるのですか」
そもそも、宮廷にはほとんど踏み入れたことがなく、天治帝に嫌われる真似をしたこともない。祓魔業のために国内をさまよってばかりで、たまに帰れば、呼び出されて嘲笑の的にされる。
天治帝の居室に連れてこられ、碧玉の前には、鞭を持つ天治帝が立っている。彼は醜悪に笑い、碧玉の銀の髪をつかんで引っ張った。痛みに眉を寄せると、天治帝は「それだ」と言う。
「お前のその、何事にも興味がないとばかりに澄ました美しい顔が、そうやって苦痛にゆがむのを見るのがたまらない」
「は……?」
碧玉は息をのむ。
まさか個人的に加虐心を向けられていただけとは、思いもしなかった。よほど気に障ることをしたのだろうと、自身の行動を振り返っては不思議だったのだ。
「初めてお前を宮廷で見てから、どんなふうに表情が変わるか興味があった。これも一目ぼれと呼ぶのだろうか?」
碧玉の心に、初めて恐れが湧いた。
緑家は血族主義のために、近親相姦を繰り返してきた。その弊害で、ときおり、虚弱な者や、精神的な問題を抱えている者が生まれる。会議で選ばれるほどに優秀だと思われていた緑家の男は、精神的な問題を上手いこと隠してきたのだろう。
「助けを求めても無駄だ。余は賢君と思われていて、下位の者にも優しいからな。そして貴様は失態続きで嫌われていると噂されている」
すっかり魔手にはまりこんでいたのだと気付いて慌てても、すでに遅い。
「白碧玉。余の気晴らしに付き合え」
何を言えばいいのか分からないまま、碧玉はその日も天治帝の武官に押さえつけられ、背中を鞭で叩かれた。
頬を何かが濡らし、その冷たさで目が覚めた。
「兄上……兄上……」
碧玉は都にある屋敷の牀榻にうつぶせに寝かされていた。背中の皮膚は裂けて、熱をもっている。そのせいで高熱が出ているらしい。
どうやら宮廷で気を失い、配下が連れて帰ってきたようだ。
状況を把握するために黙考する碧玉を見下ろして、天祐は泣いている。
「泣くなどみっともない」
碧玉の憎まれ口にも構わず、天祐はボロボロと雫をこぼす。
「なぜなのですか。宮廷でこんなひどい目にあっていると、どうして教えてくださらなかったのですか。そんなにも、私は役立たずですか」
「お前には関係ない」
「俺は腹違いの弟で、あなたが言うには後継ぎだ! 関係があるに決まっている!」
悲痛に染まった声に、さしもの碧玉も無視できなくなった。
「私に原因があるのだと思っていた。ある意味、そうだったが」
自嘲気味につぶやく。
この容姿が美しいのは事実として知っていたが、それだけだった。祓魔業と家を取り仕切る能力に、容姿は関係ない。碧玉には興味のないことだったから、まさかそんなところで天治帝に目をつけられるなんて思いもしなかった。
(書物では他の男が帝だったが、両親と同じく、地震に巻き込まれて死んだ)
天治帝のやりようがひどいので、自分が何をしたのか、過去について調べていた時に気づいたことだった。
もし両親が馬車で事故死していたら、本来の帝は葬式に来るために白家の領地に来て、地震にあわずに済んだのだ。
つまりこれは、碧玉が引き起こした因果である。
「怨霊退治で功績を上げたことが、そこまで主上の気に障るのですか?」
「そうではなく……」
碧玉は説明しようとして、せき込んだ。どうやら口の中に血がたまっていたようだ。痛みに耐えるために口を閉じていた時に、自分の歯で切ったのかもしれない。
天祐が手ぬぐいを碧玉の口元に当てがうので、碧玉はそこに血のまじった唾液を吐いた。洗面器にでも吐きたいのだが、これ以上、身を起こすのはつらい。
「臓腑も傷めておいでですか?」
医者を呼ぼうとするのを止める。
「口にたまっていたものだ。呼ぶな」
「今回で五回目の罰だそうですね。兄上の足まで傷だらけだ」
天祐のほうがつらそうに歯を食いしばり、涙をこぼす。両親の死後からは、碧玉は泣いたことがない。あの時に涙は枯れてしまい、心は麻痺してしまった。おかげで、この状況でも他人事のようだった。
「天祐」
「はい」
「私は美しいらしいな」
「え?」
天祐はぽかんと聞き返す。
「そんな当たり前のことが、どうかされましたか」
自賛を笑うどころか、普通だと受け入れられたことに、碧玉は面くらう。
「この顔を苦痛にゆがませたいのだ、と」
「主上が……あのクソ野郎がそう言ったのですか?」
碧玉は頷こうとしたが、背中が痛んだのでやめた。それでも、天祐には伝わったようだ。
「では……では……原因がないのでは、怒りが解けるのを待つなんて不可能ではないですか」
「後継ぎはお前だ、天祐。私のことは放っておけ」
「兄上! どうしてそんな酷な仕打ちを、この弟にするのです!」
悲鳴のように叫び、牀榻の縁にしがみついた天祐は、わあっと泣き声を上げる。
「どうして分かってくれないんですか。俺も、みんなも、あなたをどれほど大事に思っているか! どうかご自分を大切にしてください!」
「私は白家の代表だ。表立って歯向かっては、白家の皆に差し障る」
「もう充分です!」
碧玉は聞き入れず、天祐を追い払う。
「怪我人の枕元で、いつまでもうるさいぞ。出て行け」
「兄上……!」
それきり碧玉が口を閉ざすと、根負けした天祐は渋々と寝室を出て行った。
怪我が回復した頃に、再び宮廷に呼ばれた。
「兄上、いけません。今度は殺されます。行かないで」
「いつまでも子どものようだな、天祐。できぬと言っている」
兄を引き留めようとすがりつく天祐を、碧玉は突き放す。
これでは宮廷で暴れそうなので、碧玉はため息をついて向き直る。
「宗主として命じる。白天祐、残りの怨霊を退治してまいれ。――私が死ぬまで、帰ってくるな」
「兄上……!」
碧玉は門弟に命じて、天祐を追い払う。
門弟らはこの世の終わりみたいな顔をして、無言で泣いていた。
「そなたら、白家を頼んだぞ」
碧玉は周りを見回して声をかけると、彼らはその場に平伏した。
「宗主……!」
「どうかお考えなおしください!」
「なにとぞ、なにとぞ」
灰炎まで一緒になって懇願する。碧玉は眉を寄せた。
「ならぬと言っている。行くぞ」
これ以上引き留められる前に、さっさと馬車に乗りこむ。
御者が出発をためらうので、叱りつけた。ようやく馬車が動き始める。
天祐の予想通り、天治帝は広間で毒杯をたずさえて待っていた。
にやりとゆがんだ笑みを浮かべ、杯を示す。
「結末が分かっていて来たのか? 豪胆な男だな」
「どうかお約束ください。あなた様の気晴らしに付き合うのは、私で最後だと」
「――よかろう。さあ、飲め。余は貴様の死にざまが見たい」
碧玉は背筋をまっすぐに正し、正座のまま、杯を受け取る。
思った通り、碧玉の死は変えられないようだ。
書物での碧玉も、ここでの碧玉も、宴の席で死をのぞまれ、周りには誰も味方がいない。そうなるべくしてなったわけだ。
天祐は立派に育ったことだし、白家は安泰だ。思い残すことは何もない。いっそ、この世との別れに安堵すら覚えた。
(ああ、むなしい。つまらない人生だった)
まるで酒をあおるように、毒の入ったガラス杯を口に当てる。
カッと毒が喉と臓腑を焼き、ゴフリと血があふれた。
暗くなる意識の中、子どものように泣いていた天祐の顔が浮かんだ。
(これで白家はお前のものだ。泣くな。天祐)
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