5 白家の幽霊 ※※ (完結)

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5 白家の幽霊 ※※ (完結)

 碧玉がぼんやりと目を開けると、しんと冷えた空気が肌をなでた。  牀榻(しょうとう)の傍には火鉢(ひばち)があり、パチパチと炭が燃える音を立てている。  死を覚悟して宮廷に向かった日は、まだ夏の盛りだったと思い出す。  体が重く、自力では動けそうにない。体をめぐる気に意識を向けると、ひどく弱っていた。  その時、たらいを抱えて部屋に入ってきた天祐が、碧玉に気づいて立ち止まる。 「あ、兄上! 兄上、目を覚まされたのですか!」  唇をわななかせ、目に涙を浮かべる。碧玉が口を動かそうとするのを見て、天祐はたらいを床に置くと、湯飲みについだぬるめの白湯(さゆ)を、手ずから飲ませてくれた。 「……私が死ぬまで、帰るなと言った」  天祐の顔が呆れに染まる。 「半年ぶりに目が覚めて、一言目からそれですか。相変わらずの分からず屋ですね」  半年も経ったのか。道理で冬になっているはずだ。 「なぜ……」  少し話すだけで疲れる。単語になったが、天祐には伝わった。 「詳しいことは、医者に診てもらってから話します」  天祐は医者を呼んだ。共にやって来た灰炎は、すっかり頬がこけ落ちて痩せている。昔から碧玉に小言を言っては心配していた二人は、碧玉の無事を目にして涙ぐんだ。 「毒のせいで臓腑が弱っておりますが、目が覚められたのでもう大丈夫です。これからも薬を出しますので、飲ませてください」 「分かりました。皆には兄上の目が覚めたことを話してもいいですが、くれぐれも内密にするように伝えてください。秘密をもらせば、死罪にすると」 「お伝えしますが、皆、先代宗主様を敬愛しております。そのような恩知らずは、白家にはおりませぬよ」  医者は後で薬を届けさせると言い、部屋を辞す。 「碧玉様、目が覚めて良かった。本当に……。我らを置いて、ご自分だけ宮廷にまいられて、私がどれほど気に病んだか分かりますか」  大の男が大粒の涙をこぼして、碧玉は冷たいと訴える。 「分からぬな」 「本当に冷酷な方だ! このようなこと、二度と許しませぬ」  薄情だと怒りながらも、灰炎はつきものが落ちたように笑った。それから、「ご養生くださりませ」と深々と頭を下げ、部屋を出て行った。  部屋には碧玉と天祐だけになった。天祐は牀榻の傍らにある椅子に腰かける。 「兄上、まずは体力を取り戻しましょう。重湯(おもゆ)です」  木さじですくった重湯を、碧玉の唇をしめらせるようにして、天祐はゆっくりと飲ませる。固形物を口にするには、胃が弱りすぎているそうだ。  天祐の仕草がやけに慣れている。恐らく、こんなふうに傍でつきっきりで看病していたのだろう。  碧玉が充分だと断るまで重湯を飲ませると、次に薬湯(やくとう)を飲ませた。こちらは残すことは許さなかった。 「……私は死んだはずでは?」  食事と水分をとったおかげか、喉のかわきが癒えている。それでも半年ぶりの会話なせいか、言葉が出にくい。 「ええ、死にました。世間では、あなたは毒で死んだことになっています。実際はひん死でしたが……」  天祐は暗い面持ちをして、碧玉が毒に倒れた後のことを話し始めた。      *  天祐は碧玉の言いつけにそむいて、碧玉の後を追い、宮廷に乗りこんだ。  今度ばかりは、宗主の命令でも、配下は天祐に従ったのだ。宮廷の前で悲嘆に暮れていた灰炎も連れて宴の会場に向かう。  宮廷への通行証は灰炎も持たされていたし、碧玉がこの後どうなるのか宮人達は知っていたので、親族も謝罪に来たのだと思ったのか、疑問には思われなかった。  ひそひそ話を拾うに、碧玉が国宝の壺を壊したことになっていた。碧玉は先日までふせっていたのに、いつ壊す暇があるというのか。天祐は怒りのあまり手を強く握りこみ、爪が肌に血をにじませた。  白家に(るい)が及ばないように、碧玉が天治帝の(よこしま)な思惑ごと飲みこんで死ぬつもりでいることは、白家の誰もが分かっていた。  そしてたどり着いた宴の席で、馬鹿正直にやって来るとはとあざ笑う人々の中で、血だまりに倒れている碧玉その人を見つけた。新雪を踏み荒らすかのように、白い衣には紅梅のように、点々と血がにじんでいる。  その瞬間、天祐は呆然とし、胸に絶望がこみあげた。  これまでの兄との思い出がよみがえる。  子どもの頃、碧玉は天祐に冷たかった。何かと天祐に罰を与え、鞭で打たれたこともある。恐ろしくてたまらなかったのに、一方で、血を分けた兄に好かれたくて悲しかった。  ある時から、碧玉は天祐をいたぶらなくなった。厳しいながら、成長をうながす兄となり、めったとないことながら、天祐の頭を撫でることさえあった。  彼の冷淡さはそのままだったが、天祐にはそれで充分だったのだ。彼本人が直接言葉にすることはなかったが、使用人を通して、天祐の生活に不足がないか気にかけてくれていると知り、胸が震えた。  実母は天祐を産んですぐに死に、乳母(うば)は天祐が泣いていても、放っておいて我が子を優先するような人だった。父は優しくしてくれたが、多忙なために、細かいところまで気づかない。冷酷で非情なはずの兄が、もっとも天祐に親切だった。  そのうち、腹違いの兄であるのに、天祐はいつしか、碧玉に恋焦がれるようになった。  碧玉の冷たさを恐れながらも、白家の者は碧玉を敬愛している。彼は美しく気高い人で、何より家長としては公正だった。領内で問題があれば、すぐに状況を把握して、不足がないように手回しする。  若くして宗主となったことを、初めのうちは心配していた民も、碧玉がいれば安泰だと思うのは早かった。  皆に慕われる兄が誇らしくもあり、独占したい気持ちもあった。  それでも我慢できたのは、碧玉が両親と仕事以外では他人にも自分自身にさえも興味がなく、唯一、思い出したように気にかけるのが天祐のことだけだったからだ。 (我が兄をよくも……!)  天祐は唇を血がにじむほど噛みしめて、怒りを耐えた。この場にいる者全てを、目に焼き付ける。 「私は白家の天祐と申します。このたび、宗主がいたらぬことをなされ、大変失礼いたしました。お許しいただけますならば、我が家で(ほうむ)りとうございます。どうか……どうか……」  どうして策にはめて兄を死に追いやった者に、許しを請わねばならないのか。  天祐は悔しさでいっぱいだったが、罪人はさらしものにされるものだ。  実際には罪などなくても、逆らえばこうなるという見せしめにされる。  これ以上の屈辱を、兄に与えたくはなかった。 「許す。目障りだから、それを持って帰れ」  天治帝は冷笑し、追い払う仕草をした。  怒りでめまいがしたが、天祐は深々と礼を言い、碧玉の体を腕に抱える。碧玉は気づいていただろうか。天祐が成長し、とっくに碧玉の身長に追いついていることを。  灰炎は無言で涙しながら、天祐についてきた。 (まだ温かい……。生きておられる)  絶望から、いちるの望みを見出して、天祐の胸に歓喜が湧く。しかし碧玉がひん死だと知られれば、息の根を止められるかもしれないので、顔に出すのはこらえた。  ふと思いついて、碧玉の背に添えた右手の内側だけに、浄火を灯す。  いちかばちかの賭けだった。  悪しきものを燃やす清らかな火が、碧玉の体内にある毒を燃やしてくれまいかと願った。      * 「浄火は毒を燃やしました。それに加え、兄上が道士として鍛えておいでだったのも良かったのです。あなたの体は無意識に毒から身を守ろうと、気のめぐりを遅くしました。おかげで、毒の回りが遅くなったようで、細い糸ながら命をつないだ」  浄火にそんな効果があるとは、碧玉も知らないことだった。霊的なものにしか燃え移らないのだと教わっていたせいだ。 「それでも、すでに臓腑は深刻な痛手を受けておりました。このまま一生目を覚まさないことも覚悟するように、医者には言われていたのです。兄上が目覚められたのは、奇跡です」  いつか見た時と同じく、天祐は目からボロボロと涙をこぼし、鼻をすする。 「我らは兄上をかくまうため、死んだことにしました。そして浮浪者の死体を運び入れて、兄上の代わりにして、墓に入れたのです。あなたが生きていることを知られては、あのクソ野郎が何をするかなど、分かりきっていますから」  それで先ほど、秘密をもらせば死罪にすると警告したのか。 「あなたのお望み通り、私は後を継ぎ、宗主となりました。ですからもう、あなたの命令は聞きませんので、そのつもりで」  天祐はきっぱりと言ったが、碧玉に対する丁寧さはくずさない。  ただただ不思議に思って、碧玉は天祐を眺める。 「宗主となったお前には、私は邪魔ではないのか」 「私は今でも、宗主には兄上がふさわしいと考えております。兄上を救うために、しかたなく後を継いだだけです!」  天祐は碧玉の右手を握りしめ、切なげに訴える。 「どうかご自愛ください、兄上。私にはあなたが必要なのです」  必要という言葉に、碧玉の心の奥で、何かがことりと音を立てる。  つまらない人生だと思っていた。  しかし、碧玉が行動を変えたことで、腹違いの弟は兄として慕い、こうして死をまぬかれた。 (生きよと……おっしゃるのだな)  どうしてだろうか。目の奥に浮かぶのは、亡き両親の姿だった。彼らが碧玉を黄泉地(よみじ)から追い返したのかもしれない。 「分かった。兄は弟を助けよう」 「いいえ、ただそこにいてくだされば結構です。私を一人にしないでください」  子どものように泣く姿に、寂しさを感じた。  昔はあんなに憎らしかったのに。こんなふうに慕われると、悪い気はしないから不思議なものだ。 「お前は周りと打ち解けていたはずだが」 「家族は兄上だけです」 「……そうだな。しかし、天祐。私は謝らぬからな。長としてすべきことをしたまで」  天祐は泣きながら眉を寄せた。 「この頑固者め」  文句を言う天祐を無視して、碧玉は目を閉じる。 「疲れたから寝る」 「はい。おやすみなさい」  あいさつしたものの、天祐は再び碧玉が目覚めるか気がかりだったようで、次に碧玉が目を覚ました時も傍にいた。  春になり暖かくなると、ようやく碧玉は()(えん)まで歩けるようになった。  回復したとはいえ、以前のようにとはいかない。  毒の後遺症なのか、体は弱いままで、ちょっとしたことで風邪を引くようになった。  碧玉の体調が落ち着くなり、都の屋敷から、白家の領地にある屋敷へとひっそりと移された。邸内からは許しがなければ入れない離れに、小ぢんまりとしつつも立派な居室が作られ、碧玉はそこで暮らしている。  碧玉の目を楽しませようと、天祐により、居室の庭にはさまざまな花木が植えられた。  死んだはずの碧玉が人目についてはまずいのは分かるが、これではまるで監禁のようである。 (望んでいた隠居生活だが、何かが違うな……)  田舎を気軽に散策するような自由さはない。今の碧玉にはその体力がないから、気にならないだけだ。  濡れ縁に腰かけ、最近の情勢についてまとめられた書をめくっていると、天祐がやって来た。 「兄上、あまり風に当たると、お体にさわります」  天祐は急ぎ足で歩み寄ると、薄手の青い羽織(はおり)を碧玉の肩にかける。 「天祐、座りなさい」 「はい」  碧玉の命令は聞かないと言っていたわりに、天祐は素直に隣に腰を下ろした。 「いつの間に、帝は代替わりされたのだ?」  暦の年号が変わっていたため、碧玉は天祐に問うことにした。これまで意識不明で半年を過ごし、その後は養生に力を入れていたせいで、周りのことに無頓着だったのだ。  殺しても死ななさそうな天治帝を思い浮かべると、天祐が真顔に変わる。 「兄上を害した連中は、俺がしっかりと(むく)いを受けさせました。ご安心ください」 「……いったい何をした?」 「話すのは構いませんが、俺を嫌わないでくれますか」  子犬のように様子をうかがうものだから、碧玉は天祐の額を指先で突く。 「そのようななりで子どもぶっても、かわいくはないぞ」  恥ずかしそうに肩をすくめ、天祐はじっと碧玉を見つめる。碧玉は頷いた。 「嫌わぬ。お前が怒るのはもっともだ」 「兄上は怒らないのですか?」 「興味がない」  嘲笑されたことを思い出すと不愉快だが、それだけだ。 「相変わらず、他人のことは無関心なのですね……」 「大事なのは、白家と仕事の邪魔になるかどうかだ」  天祐はため息をついた。  それから気を取り直し、まるで説教待ちの子どものように正座をして、何をしたのか打ち明ける。 「手を回して、よそからのろいの品を献上させました。悪夢を見て、じわじわと衰弱して死に至る……そういう代物(しろもの)です」 「そのようなものをどこで?」 「怨霊ならば、封魔山に行けば、履いて捨てるほどいるでしょう?」  天祐はうっすらと笑った。こごえるような怒りを感じさせる顔である。  怨霊を使い、わざわざのろいの品を作り出したのだと、天祐は白状した。 「私に後継ぎとして研鑽せよと命じられたのは兄上です。(じゃ)を払う者は、邪の扱いも知っているもの」 「危ういことを。呪詛(じゅそ)を返されたら、ただでは済まない」 「当代随一の道士である俺に払えないものが、誰に払えると? のろいを払うふりをして、回収してきましたよ。中に封じ込めた怨霊は、封魔山に戻しました」  ふっと悪童のように、天祐は微笑む。 「宮廷にとっては不運なことに、俺はたまたま怨霊退治のために戦場に出ていて不在だった。戻ってきた時にはすでに遅く、怨霊につかれた者は死んでいたわけです。残念なことに! ははっ、ご愁傷様(しゅうしょうさま)!」  内容に反して、天祐は清々しげに目を細める。 「世間では、白碧玉の怨霊がしかえしをしたのだと、自業自得と恐れられていますよ」  そして碧玉の長い銀髪に手を伸ばし、指先でつまんで口元に近づけた。 「兄上が不当に浴びせられた屈辱に比べれば、一月(ひとつき)程度で死なせたのは軽いと思いませんか」 「お前はいつからそんなに悪い子になったのだ?」 「俺はいつだって清く正しく生きていますよ。ただ、兄上のことは別というだけ。あなたを悪く言う者は許さないし、傷つける者は、その命であがなってもらいます」  碧玉は弟から向けられる執着のようなものに、戸惑いを抱く。  天祐は碧玉の髪をもてあそび、形の良い唇を押し当てた。まるで情人(じょうじん)にでもする仕草のようだ。見てはならないものを見たような気がして、碧玉は目をそらす。 「白家には問題がないのだろう。許す」 「叱らないのですか、この悪い弟を」 「困った奴だと思うだけだ。興味がないだけで、怒りを感じないわけではない。奴らは自分の行いの報いを受けただけ。お前が手を下さずとも、いずれつけを払っていただろう」  仙人のように見えると言われても、碧玉はしょせん只人(ただびと)だ。身内かその他ならば、身内を選ぶ。 「この話は(しま)いだ。私はずいぶん回復した。宗主の仕事をいくらか回すといい」 「元気になられたこと、喜ばしいです。お知恵はお借りしますが、手伝いは結構。もっとお元気になられてから、お願いすることにします」  天祐に断られ、碧玉は残念に思った。幼少から忙しくするのが当たり前だった碧玉は、暇を持て余している。隠居を望んでいたのに、実際にそうなると何をしていいか分からない。 「では、何か書物や絵でも持ってきてくれ。最近のはやりものがよいな」 「そんなことよりも、兄上」 「ん?」  天祐がずいっと距離をつめたので、碧玉は目を丸くした。彼の精悍な顔立ちが目の前にあり、唇にやわい感触がある。何が起きたのかと、瞬きをする。 「ふっ。兄上はなんでもおできになるのに、もしや口づけは初めてですか?」  天祐はいたずらっぽく微笑む。  からかうような問いかけで、ようやく何をされたのか知った碧玉は、カアッと顔に血が昇った。 「私は兄だぞ。何をしている?」 「お慕いしておりました」 「……何?」 「弟の身ゆえに我慢しておりましたが、兄上に恋い焦がれてきました。好きなのです、兄上」  勝手に口づけしたわりに、天祐は宝物を囲いこむように、そっと碧玉を抱き寄せる。  碧玉は戸惑った。  いずれ弟に後継ぎをゆずるつもりだったので、後継者争いの火種を作らないように、婚姻も交際もしてこなかった。忙しくて女と遊ぶ暇もなかった。子作りについての知識はあるが、恋や愛などとは無縁の生活を送ってきたのだ。  しかも初めて告白してきた相手は、腹違いの弟だ。混乱するのが当たり前である。 「世間的には、兄上は死んだことになっております。私がここで兄上を囲っても、なんの問題にもなりません」 「私を情人にするつもりか」 「許されるならば結婚したいほどですが、兄弟間の婚姻は認められていませんから、しかたありません。後継ぎは遠縁から養子をもらいますよ。兄上以外に触れたくもないので」  天祐は先のことまで、全て織りこみ済みのようである。  またもや知らぬところで執着されて、策にはめられている。碧玉は眉を寄せた。 「勝手だとは思わぬか」 「我らの意見を無視して、死を選んだ方よりましでしょう」 「まったく……」  そこを突かれると弱い。碧玉はため息をつくしかない。  そんな碧玉の顎を指ですくい上げ、天祐はこちらを覗きこんだ。いっさいの笑みも含まない、鋭い視線が向けられる。 「ところで一つお伺いしたいのですが。あのクソ野郎は、兄上にこういった罰もお与えに?」  何を言っているのか理解できず、妙に圧力のある視線にけおされながら、碧玉は瞳を揺らす。天祐は言葉を付け足す。 「無理矢理組み敷いて、体を奪われたことは?」 「そんなことはされていない。全て鞭打ちだった。そもそも私は男だ。寝屋(ねや)に引きこんでどうする?」  どういうわけか、天祐は深いため息をついた。 「本当に、自分のことにも無関心な方ですね。その辺の女子(おなご)よりも、兄上のほうがよほど美しいというのに。なぜあのクソ野郎の(きさき)にまで目の敵にされていたか、理由をご存じないようだ」 「妃らは、帝の命令に従っただけであろう」 「妃の行動は、実家の命運も左右します。白家の宗主に恨みを買うような真似はしたくないものでは? あの場で見たあの女達は、邪悪そのものだった。あきらかに兄上に悪意があった」  天治帝にならって、碧玉を嘲笑の的にしていたように見えていた。宮廷には悪意がうずまいていた。集団心理かと思っていたが、個人的なものもあったのだろうか。  思い出そうと努力したが、すぐに面倒になった。 「……興味がない」 「そうでしょうね! あなたはご自分のことにも無関心すぎるんですよ。だからこうやって、俺のような者にまでつけこまれる」  腰への抱擁の手が強くなる。 「でも、俺は……あんなふうに兄上を痛めつけたりしません。兄上には心も体も健やかでいてほしい。愛していますから」  真剣な声音で愛をささやかれ、碧玉の胸にむずがゆいものが生まれる。 「祖先の神官は、きっと兄上のような方でしたでしょう。浮世離れしていて、清浄でいて美しい。仙人のようで、厳しさの中には優しさもある」  天祐が急に、褒め始める。 「月の光を集めたみたいな髪に、白珊瑚のような肌。それから、玉のように青い瞳。ほら、指先まで美しい」  碧玉の指先に、天祐はうやうやしく口づけを落とす。 「それから……」 「やめよ」  碧玉はたまらず、天祐の口を右手で塞いだ。芸術品を愛でるみたいに誉め言葉をられつされ、耳が熱くなった。  天祐は青い瞳をとろりとほどけさせて微笑んだ。 「照れると、かわいらしい」  顔や首まで赤くなっているだろうと、碧玉は思った。  天祐の腕に抱き上げられ、牀榻に運ばれた。  そのまま押し倒されて、めまいがする。いくら経験がなくても、こうなったら弟が何をしたいのかくらい理解できた。 「天祐……本気か」  この世でたった二人の家族で、腹違いの弟だ。宗主となったのに、変な評判が立っては困るのではないか。そこまで考えて、碧玉は世間では死んだことになっているのだから、噂も何もないと思い出す。 「兄上の回復をお待ちしていました。本当は、目覚めてすぐにこうしたかった。俺にとってどれほど必要なのか、教えてさしあげたかった」  碧玉は眉を寄せる。  碧玉が死にかけたことで、どうやら天祐の心を押しとどめていた(せき)が崩れ落ちたらしい。 「困った弟だな」 「俺を軽蔑されるなら、術を使って暴れてはどうですか」  まるで暴れることを望んでいるかのように、天祐は悲しげに見下ろす。自分で押し倒しておいて、逃げてほしいとでも言いたげだ。彼の葛藤を見てとり、碧玉は天祐をじっと見つめる。 「そんなに私が欲しいのか」 「長年の夢でした」 「夢はいずれ覚めるもの。一夜でよいのか?」 「兄上……。本当に、ひどい方だ。意地悪を言う」 「私が冷たいことは知っているだろう。お前は弟だ」  むっとすねたように黙りこむ天祐は、やはり子どもじみている。 「好きにせよ」 「え?」 「そういえばこの身は寝屋を経験したことがない。死ぬまでに一度くらい体験しておくのも悪くあるまい」  そんなに欲しいなら、くれてやろうか。  そう思う程度には、碧玉は弟にほだされていた。 「兄上はやっぱり俺に甘い」  うれしそうに目を細める天祐に、碧玉は問う。 「それで、この続きはどうするのだ? まさかこんなことを弟に教わる日が来るとはな」  たいていのことは、碧玉が天祐に教える立場だった。男女でのあれやこれやは知識としては知っているが、相手が男となると、さすがに分からない。 「兄上に教えられることがあって光栄です」  天祐はそう言って、碧玉に口づけた。      *  薄暗い寝室に、荒い息遣いと水音が響く。 「ん……はあ、はあっ」  最初はついばむような口づけだったのが、今や天祐の舌は碧玉の口内に入り込み、好き勝手に暴れている。  息苦しい一方で、気持ちが良い。 「兄上……兄上……」  天祐は熱っぽく碧玉を呼びながら、碧玉の羽織と深衣(しんい)を脱がせる。帯を外す手間も惜しいのか、衣が腰に引っかかっている有様で、それが煽情的に見せていた。  表に出る予定がないため、頭に冠はつけておらず、青い髪紐で束ねていただけだ。天祐は思い出したように髪紐をほどき、碧玉の銀髪が枕元に散らばる。  それからぎこちない手つきで、碧玉の胸や体を触った。つたないながらも碧玉を求める動作に、次第に碧玉も熱を高ぶらせていく。  ずっと幼いままに思っていた天祐は、いつの間にか大人の男に成長していた。  天祐の舌が首筋を伝い、碧玉はぶるりと震える。その時、肌を強く吸われて痛みが走った。 「――っ」 「ああ、綺麗だ。兄上の白い肌に、紅梅(こうばい)のようなあとがついた」 「何を……?」 「兄上が俺のものだという印です」  天祐はうっとりと微笑み、碧玉の体を撫でてほぐしながら、あちらこちらに吸いつく。 「お前がそんなに所有欲が強いとは知らなかった」 「兄上のことだけですよ」  再び碧玉の口をふさぎ、胸の飾りに手を伸ばす。そこをつまんだり押したりされるうちに、じんとしびれるようになってきた。 「はあ。兄上はどこをとってもお美しい」  天祐の手が、碧玉の陽物(ようぶつ)に触れる。竿をこするようにしごき始め、碧玉は身をよじる。 「う、ああっ。ま、待て、天祐。そんな……」  少し動けば疲れて寝入るような生活をしてきた碧玉は、ずいぶんそれに触れていない。久しぶりの刺激に、あっという間に追い詰められた。 「でも、いいのでしょう。きざしておりますよ」  天祐は唇をなめ、じっと碧玉を見つめながら、陽物をいじる。先に爪を押し当てられて、碧玉はもう我慢できなかった。 「ふ、ああああっ」  背をそらして、てっぺんに昇りつめる。濃い白濁があふれ、碧玉の腹を汚した。  はあはあと肩で息をする碧玉を、やはり天祐は見つめ続けている。碧玉が乱れる様を一瞬たりとも見逃さないと言っているかのようで、碧玉は初めて弟を少し怖いと感じた。 「そんなにじっと見るな」  なんとか息を整えて、碧玉は天祐の目に左手を押し当てて覆い隠す。 「兄上がかわいらしいのがいけない」  碧玉には呆れる理由を口にして、天祐は碧玉の手をつかんで下ろす。  そして碧玉の足の間に膝を入れて割り開くと、碧玉自身ですらほとんど触れたことのない、尻の奥深い場所に、指を差し入れた。 「な、なんだ?」  さしもの碧玉も動揺し、声が揺れる。  天祐は衣のたもとから小瓶を取り出し、自身の手にまとわせた。 「これは香油です」 「だからなんだ?」 「兄上、男同士でする時は、ここを使うのですよ。男は女のようには濡れないそうなので、香油を使うのだと、春本で読みました」  天祐は深衣を床に放り、内衣も脱いだ。下着を外すと、立派なものが出てきた。 「これを……そちらに入れるんです」  無理だろうと、碧玉は顔を引きつらせる。 「兄上、大丈夫ですよ。初めてのことはいつでも大変ですが、そのうち慣れますから」  碧玉の頬をなで、子どもに言って聞かせるみたいに、天祐は優しく微笑む。  一夜で終わらせるつもりはないのだと言外に宣言された碧玉は、さらに眉を寄せる。 「お、おい……」 「大丈夫、大丈夫」  怖気づく碧玉の腰をがしっと押さえ、天祐は碧玉の後ろをほぐし始める。  はじめのうちは異物感が気持ち悪し痛いしで、碧玉はうなったり、天祐の肩を押して逃げようとしたりしていたが、驚いたことに中の一点を触れられると、違う感覚が生まれた。 「あっ」  思わずこぼした声を聞き、天祐が笑う。男くさい笑みだった。 「ここが兄上のいいところですね」  それから、碧玉が嫌だやめろとわめいても聞かず、天祐は碧玉の中をさんざん責め立てた。  すっかり肌を赤く染め、ぼんやりと息を乱すばかりの碧玉のそこに、とうとう天祐は彼自身を押し当てる。 「兄上……、碧玉」  言い直して、天祐が碧玉の名を呼ぶ。はっと胸にせまるような、切なげな声だ。 「愛しています」  そして、天祐はゆっくりと碧玉の中へと押し入ってきた。 「う……うう」  指なんて比べようもないほど、太くて熱いそれに蹂躙される。碧玉は天祐の背に腕を回し、すがりついた。その背に爪を立てて血をにじませても、天祐は興奮しきった顔をしていて気づいていない。 「兄上の中……なんて温かくて心地いいのでしょう」  時間をかけて中に入りこむと、天祐は深々と感じ入ったため息をこぼす。  圧迫感と痛みで、碧玉は怒りさえ覚えたが、なぜかその言葉を聞くと心がないだ。その後、湧いてきたのは悪戯心だ。弟をからかってやろうと、天祐の肩を引いて、顔を近づける。その耳元でささやいた。 「中に入るだけでいいのか、天祐」 「――っ。兄上、あなたは本当に……! 意地悪だ!」 「ははは!」  途端に動揺する天祐の姿に、碧玉は思わず笑ってしまったが、動き始めた天祐のせいで余裕をなくす。 「ひ、はっ、んんっ。少し、落ち……着けっ」 「(あお)ったあなたが悪い」 「天祐……あああっ」  ぐんっと奥を突かれ、目の前がチカチカする。  たがを外した天祐に激しく揺すられ、再びてっぺんへと昇りつめた。 「あ、ああああーーっ」  背筋を震わせ、絶頂にめまいがする。  中に温かいものが出されるのを感じながら、碧玉の視界は白に染まった。      *  ひとけのない書庫の文机(ふづくえ)で、真白(ましろ)き衣に身を包んだ男が正座をして、さらりさらりと筆を走らせている。  すっと伸びた背筋に、白皙の横顔。仙人のように浮世離れした美貌はいっそ冷たい。  男――白碧玉の周りには、山のように書類や書物が積んである。  傍には灰炎が控え、処理済の書類を運んだり、碧玉に茶を差し入れたりしてこまごまと働いていた。  そこへ、いささか乱雑な足音をさせ、天祐が現れた。戸を閉め、ひかえめな声で文句を言う。 「兄上っ! 離れにいないと思えば、どうして書庫にいるのです!」  碧玉は弟を一瞥したが、すぐに書類に視線を戻す。天祐はさらに続ける。 「この間、幽霊が出たと騒ぎになったのをお忘れですか?」  数日前のことだ。  離れにいるのが飽きた碧玉は、夜ならば構わないだろうと勝手に離れを出て、邸内をうろついていた。  そこへ、碧玉が隠して守られている事情を知らない新入りの使用人が通りがかり、幽霊が出たと大騒ぎしたのである。 「書庫への立ち入りを許されているのは家族のみ。宗主であるお前の許しもないのに、他の誰が近づく?」 「そうかもしれませんが! ああもう、勝手に書類を運びこんで! 仕事はしなくていいと言ったでしょう?」 「――天祐。そこに座りなさい」  碧玉の冷たい声音に、天祐は背筋を正す。そして、説教を待つ子どものように、慌てて碧玉の傍に正座した。 「まったく、呆れたものだ。お前は道士としての才は高いが、領地運営の能力が低すぎる。どうしてこんなに書類をためこむ?」 「うっ。で、ですから、俺は前に申し上げたではありませんか。兄上ほど、宗主にふさわしい人はいないと……」 「否。お前は経験が不足しているだけだ。これでは先が思いやられるゆえ、兄が厳しく指導してやろう」 「よろしくお願いいたします……」  しおしおとうなだれ、天祐は頭を下げる。 「それから、幽霊のことならば、お前が私の姿を式神にさせていたと誤魔化しただろう? 私を見かける者がいたら、式神と言えば解決だ」 「式神は簡単な命令しか理解できません。いったいどうしてそんなふうに書類を処理できるんですか」 「それを誤魔化し通すのが、お前の仕事だ」 「はい」  不服そうながら、天祐は頷く。 「できることなら兄上を閉じこめて、外に出したくないのに……」 「天祐」 「はい、申し訳ございません!」  天祐は先回りをして謝った。  そんな天祐の前で、碧玉は長い銀髪を払い、首筋を見せる。 「お前がつけた(あと)が消えてしまった。これほど仕事をためこんで、いったいいつ私との時間をとるつもりだ?」 「あ、兄上……」  碧玉が見せる色香に惑わされ、天祐はふらりと手を伸ばす。その手を、碧玉は閉じた扇子(せんす)でペチンとはたき落とした。  なぜという顔をする天祐の前に、碧玉は書類の山をばらまく。 「これが何か分かるか?」 「民からの陳情書(ちんじょうしょ)です」 「そうだ。白雲の民が困っているというのに、放置するとは何事か。まったく、嘆かわしい。それらは全て、お前の得意な祓魔業だ。それを全て終わらせるまで、私に触れることは許さぬ」 「そんなあ!」  天祐は情けない声を上げ、恨めしそうに碧玉を見る。碧玉もにらみ返した。しばし見つめあい、負けたのは天祐だった。  陳情書の山を腕に抱えて立ち上がる。 「分かりました! ですが、帰ってきたら覚えておいてくださいよ!」 「楽しみにしていよう」  碧玉が唇に笑みをのせると、天祐は顔を赤くする。 「ずるいんですから。灰炎、兄上が無茶をしないように見張っていてくれ」 「畏まりました、宗主」  返事をして、灰炎は拱手をする。天祐は急ぎ足で書庫を出て行った。  碧玉は再び書き物をしようとして、灰炎を見る。 「お前はさぞ複雑であろうな。まさか兄弟でこんな関係になるとは」 「驚きましたが、碧玉様がお幸せならば、この灰炎は何も申し上げることはございません」  そう言って目尻にしわを作り、灰炎はうれしそうにする。  幸せに見えるのかと、碧玉は口元に手を当てる。無意識に微笑んでいたようだ。 (まあ確かに、幸せかもしれぬな……)  両親が死んでからは精彩(せいさい)に欠いていた世界が、いつの間にか色鮮やかに見えている。しかしそれをそのまま口にできるほど、碧玉は素直ではない。 「まったく、困った弟を持つと大変だ」  憎まれ口を叩く碧玉を、灰炎は微笑ましげに見るだけだった。  非業の死をとげた白碧玉が怨霊となり、天治帝やその一派にとりついて殺したと、世間ではまことしやかにささやかれている。  一方で、白雲の地でもまた、白碧玉の幽霊が出た。彼は弟である宗主の前にたびたび現れては助言をし、長らく民を見守っていたという。  以来、白碧玉は怨霊と恐れられる一方で、白雲の民には敬いと親しみをこめて白仙人と呼ばれたのだった。    終
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