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【書籍化のお礼SS】その心の名は (天祐視点)
***
書籍化のお礼と告知をかねてSSを書きました。
そちらの出版社での規定により、兄弟での恋愛描写はアウトだということで、「天祐は従兄弟だけど、養子に迎えたので義弟」という設定に変更しています。
そのため、こちらのSSからは、「天祐は従兄弟で、義弟」にしています。ご承知おきくださいませ。
※天祐=青炎の弟の息子(叔父の息子)となってます。
以下、SS時期は、碧玉16才、天祐12才です。
新規用語解説
・侍女の青鈴…書籍のほうで追加したサブキャラです。
(P1ラストにさりげなくいる洗濯女のこと。加筆するにあたり、モブからサブサブくらいに昇格させました)
・白月室…追加した設定。12才での元服後に、天祐が青炎から移るように言われた、黒雲室よりも良いお部屋。ただの記号みたいなものなので覚えなくていいです。
***
「天祐様、灰炎様がご訪問です。もう夜も遅いですが、お取次ぎはいかがいたしましょうか」
侍女である青鈴がひかえめな声をかけたので、居室である白月室で一心不乱に書き物をしていた白天祐は、パッと顔を上げた。
その動作で、文机に置かれた燭台の火がゆらぐ。すっかり夜がふけ、窓の外は漆黒に染まっていた。
「灰炎殿が? すぐにお通ししてくれ」
「かしこまりました」
久しぶりに聞く灰炎という名に、天祐の胸は期待で騒ぐ。
灰炎は、敬愛する義兄・白碧玉の側近だ。何か碧玉からの伝言があるのかもしれない。
灰炎を迎えるべく茶几のほうへ移動すると、灰炎が戸口で拱手をし、礼儀を示した。天祐も目上の相手への礼儀として、拱手を返す。
「灰炎殿、どうぞこちらへ」
天祐は茶几の向かいの席を示す。
灰炎が座に落ち着くと、すでに青鈴がお茶を用意して、茶几に配膳する。青鈴は天祐の侍女となって以来、天祐への敬いと親しみを忘れない。本当に良い人が侍女になってくれたと思う。
「兄上から何か伝言がおありですか?」
先代の宗主夫妻が地震に巻き込まれて急逝し、およそ二ヶ月。碧玉がたった十六歳で新宗主として後を継ぎ、仕事に追われ、義弟である天祐ですら滅多と会えない日々が続いている。両親の死が碧玉を打ちのめし、彼は寝食を忘れて仕事をすることで、どうにか心の均衡をはかっているようだ。
その有様に、白家の門弟や使用人らは、碧玉を心配していても、遠巻きに見守るしかない。余計なことを言ったら、碧玉の怒りが向けられるだけだと分かっているせいだ。
「いえ……、実は、さしでがましくも、天祐殿にお願いがあって参りました」
碧玉からの連絡ではないことに、天祐はひそかに落胆した。
その一方で、灰炎の顔色の悪さに気づく。
「灰炎殿、休息が足りておられぬのでは?」
「私はまだ休んでいるほうですよ。碧玉様のように無茶な仕事をしては、とっくに倒れております」
灰炎はため息をこぼす。その顔に陰がさした。隠しきれない疲労と心配がにじんでいる。
「先代の葬式以来、碧玉様はあまり眠れていないご様子で。少しでも休んでいただきたく、天祐殿に手伝っていただけたら……と」
天祐は眉を寄せる。
「兄上が俺の言葉を聞いてくれるなら、とっくに休んでおられますよ」
「正攻法ではいけないんです。あの分からず屋には、策で挑まねば」
「ええと……?」
灰炎の目の奥で、静かに炎が揺れている。唯一、気難しい碧玉の側近であり続けているこの男でも、碧玉の強情さに手を焼いているようだ。
「もちろん、宗主となったばかりですから、多少の無茶は必要でしょう。ですが、代替わりをして二ヶ月。そろそろ休息を入れるべきです」
「それは分かりますが、俺に何をせよと?」
天祐とて、碧玉のことが心配だ。だが、余計な真似をして、義兄に嫌われることのほうがずっと気がかりなのだ。
自分の卑怯さに気づいて、天祐は苦笑する。
灰炎はすっと茶を差し出した。
「簡単なことです。元服したので酒を教えてほしいと、誘っていただきたいのです。ある程度飲まれましたら、口直しにと、私がこの茶を淹れて持ってまいります」
「……このお茶は?」
「多少、寝つきやすくする程度のお茶ですよ。ですが、今のあの方にはこれで充分でしょう。普段でしたら拒否されるでしょうが、酒で味覚がにぶっている時なら気づかれないかと」
――なるほど、正しく「策」である。
ここで灰炎は後ろ頭をかく。
「あの方を酒でつぶしていただければ、それでも構わないのですが」
「何かあるのですか?」
「ええ。白家の方は、酒豪ぞろいなので無理かと思い」
「酒豪?」
天祐は目を白黒させる。
あの白皙の美しい碧玉と、酒豪の字がなじまない。
「しかし、兄上は酒よりも茶をたしなまれるようですが……」
「ああ、それは、何杯飲んだところで酔いませんから、酒の良さが分からないそうで。茶のほうがおいしく感じられるようです。恐らく、天祐殿もうわばみですよ。あなたのお父上がそうだったと聞いております」
「父が……」
思わぬ親族事情を知り、天祐は驚いた。
天祐も宴では酒を飲むことがあるが、まだ子どもだからと周りが遠慮して、さほど飲んだことがない。
「酒はこちらで用意しますので、ご協力願えますか? もしもの時は、私が責任をとって叱られますので」
「分かりました」
天祐はそう返事をしながら、碧玉と灰炎の間にある信頼関係をうらやましく思う。
碧玉は冷酷な人柄で、ミスをした使用人に手厳しい罰を与えることもある。灰炎は碧玉ににらまれはしても、白家を追い出されることはないと確信しているらしい。
侍女には先に休むように言い、さっそく碧玉の部屋に向かうことにした。
「酒を教えてほしい? それは今でなくてはならぬのか?」
執務室を訪ねると、案の定、不機嫌そうな顔をした碧玉ににらまれた。
灰炎が心配して行動に出るのも、当然だ。碧玉の目の下にはくっきりと隈ができ、疲れがにじんでいる。それでも、元来の容姿のせいで、陰のある美しさがあった。そしてそれは迫力につながる。
怖気づきそうになった天祐だが、後ろから灰炎がさらりと言う。
「碧玉様、三日休んでも充分な量の仕事を終えております」
「灰炎」
「弟君の滅多とない願いごとくらい、叶えてさしあげては?」
灰炎の説得を聞いて、碧玉にも何か思うところがあったらしい。しばらく黙りこんだ後、ため息をつき、書類を几に置いた。
「……しかたがない。今日だけだ」
「ありがとうございます、兄上!」
天祐は明るい笑みを浮かべる。
碧玉をだますようで心苦しい一方、彼に相手をしてもらえることがうれしい。
白家では、夕食だけは家族そろって食べるという暗黙の決まりがあり、先代の宗主夫妻が存命の頃は、天祐にはその時間は息が詰まるだけのものだった。
だが、今ではあの時間さえない。
一日に一度でいいから、碧玉と席を共にしたかった。つまるところ、天祐は寂しかったのだ。
「灰炎、青領の銘酒を持ってこい」
「とっておきをですか?」
「良いものから学ぶべきだ」
碧玉は茶几に落ち着き、天祐に向かいに座るように示す。
「青領の水は澄んでいてな。あの地では良い酒が造られる。それから、布染めや紙作りなどもあるな。どの地においても、水を制するものは強い」
「それなのに、緑家が帝に選ばれることが多いのですか?」
「青家が選ばれることもある。緑家が選ばれるのは、あの家が持つ異能ゆえだ。緑家の者が帝になれば、七璃国全体に豊穣の力が行き渡るからな。食を満たすほうが重要なのだ」
飢えと病が恐ろしいのだと、碧玉は語る。
そこへ、灰炎が酒やつまみを運んできた。黄色味がかった玻璃の水差しと酒杯を、茶几に置く。炒った豆や肉、果物といったつまみを並べると、灰炎は水差しを取り上げて、碧玉と天祐に酌をする。
「灰炎、お前も飲むか?」
「いえ、私は後で、口直しの茶を用意しますから」
「そうか。まだつまみが残っているなら、食べるといい。お前も小腹が空いただろう」
「かたじけのうございます」
灰炎は礼を示すと、うれしそうな足取りで退室する。さっそく食べに行ったようだ。
「ほら、つまみを食え。酒だけ飲んでは体に悪い。私は猪肉を好まぬから、お前が食べよ」
やわらかく煮込んだ肉は、猪肉のようだ。碧玉は小皿を天祐のほうに押しやった。
「ほろりとほどけておいしいですよ?」
「そうか」
天祐は碧玉をうかがうが、彼が肉に箸をつける様子はない。干した杏を手に取って、上品に端をかじる。
碧玉はどういう種類の酒で、青家が帝にささげるほど良い酒だと説明し、天祐に飲むようにうながす。
「わ、おいしい」
喉を焼くだけの酒と違い、なめらかでするりと喉を落ちていく。香りが良い。
「一番良い酒はこういうものだ。覚えておけ」
「はい」
「これは度数が高いが、気分は悪くないか」
「いえ、まったく」
「そうか、お前も酔わぬたちか。まったく顔色が変わらぬな」
碧玉も酒杯を傾けるが、様子に変化はない。
従兄弟とはいえ、同じ血が流れているのだとうれしくなった天祐は、それから最近のことについて、あれこれと話し始める。
碧玉はそれをどこか面倒くさそうに聞いているが、やめるようには言わない。
それで調子に乗って、おしゃべりを加熱させていると、唐突に碧玉の目からぽろりと涙が零れ落ちた。
驚きのあまり、天祐は凍りつく。
「あ、兄上? ご気分でも悪いのですか?」
茶几を回りこみ、天祐は碧玉の腕を支える。すると、碧玉が天祐の頬をがしっと両手でつかんだ。近距離で碧玉の美貌を拝むことになり、天祐の頬に朱が差す。
「父上」
「……え?」
「お救いできず、申し訳ありません……」
そう言うと、碧玉はふらりと倒れこんだ。慌てて、天祐は碧玉の上半身を抱きとめる。
「兄上!?」
さすがに、四歳差の体格では、天祐もどうしようもない。困惑しながら、茶几を見る。水差しの中身がほとんど減っていた。
そういえば、天祐はおしゃべりに夢中で大して飲んでいなかったが、碧玉は水でも飲むような勢いで、酒をかぱかぱと飲んでいたではないか。
「どうなさいましたか。ああ、さすがの碧玉様でも、お疲れの時だと酔われるのですね」
どこか感心したようにつぶやき、灰炎は碧玉の体を支える。なんの苦もなく抱き上げると、碧玉を寝室のほうへ運んだ。
戻ってくるなり、天祐に拱手をする。
「ありがとうございます、天祐殿。碧玉様を酔いつぶしていただきまして」
「いや、兄上が勝手に酒を飲みすぎただけで……」
「あの方の気が緩んだのは、ご家族の前だったからですよ。そうでなければ、こんなふうに飲まれませんから」
「家族……」
灰炎のその言葉が、天祐の心にじんわりと響く。
碧玉を支えられない年少の身が、天祐には悔しくてしかたがない。碧玉に守られる立場という事実がつらく、せめて迷惑をかけまいと、大人しく修行や勉学に明け暮れていた。
碧玉にとって家族は特別枠だ。その中に入れてもらっているのだと知って、胸が震えた。
――そしてなぜか、そのことにもやっとしたものも感じる。
「お休みなさいませ」
灰炎にあいさつをされ、天祐はぼんやりしていたことに気づく。あいさつを返し、部屋を辞した。
そして翌朝、天祐は碧玉のことが心配になって、執務室まで様子見に来た。
「兄上、大丈夫ですか」
一晩眠ったおかげか、碧玉の顔色は良くなって見えたが、天祐は問いかける。碧玉は仕事の手を止め、ちらと天祐を見た。
「天祐か。昨夜はすまなかったな。実は途中から覚えておらぬ。何か粗相でもしたのではないか?」
「いえ、お疲れになっていたようで、途中でお眠りになったのです」
一瞬、亡き青炎に謝って泣いていたことを思い出したが、本人が忘れていることをわざわざ口にするのは気が引ける。それに碧玉のことだから、弱いところをさらけだしたと知ったら、意固地になってしばらく天祐を遠ざけるかもしれない。
ただでさえ会う時間が減ったのに、これ以上なんてごめんだ。
「はあ、まったく」
碧玉は眉間にしわを刻み、灰炎をじろりとにらむ。
「お前が突然、酒を教えてくれなどと思いつくわけがない。どうせ灰炎の入れ知恵だろう?」
「申し訳ございません。罰はいかようにでもお受けします」
「こざかしい真似は嫌いだが、お前がそんな真似をするほど、私がみっともない有様だったのだろう。罰は免じる」
「ご慈悲に感謝いたします」
碧玉は灰炎の策など、とっくにお見通しだった。
(なんだかんだ、灰炎殿には甘いのだよなあ、兄上は)
天祐の胸に嫉妬が湧く。
天祐も碧玉とこのような信頼関係を築きたい。
(でも、配下になりたいわけでもない。なんだろう?)
昨夜の碧玉の姿を思い浮かべるたびに、気持ちが奮い立つ。
(俺は兄上を守りたいんだ)
家族としてだけではなく、天祐個人として。
「兄上と飲んだお酒は大変美味でございました。しかし、あれほど飲まれて、体調に問題は……?」
「ない。飲んでいる途中で寝たのは初めてだが、私は二日酔いとは無縁でな。お前はどうだ?」
「まったく問題ありません」
「叔父上も酒豪だったからな。祓魔の才だけでなく、そこまで受け継いだか」
何かを思い出すように、碧玉は目を伏せる。その横顔に痛みがにじむのに気づいて、天祐はわざと明るい声を出す。
「兄上、また酒席を共にできればうれしく思います」
「否」
あっさりと拒絶され、天祐はしょんぼりとうなだれる。
「……酒ではなく、茶ならば構わぬ。だが、次からは事前に申し入れをせよ。私はお前が思うよりも忙しいのだ」
「分かりました!」
うれしさのあまり大きな声で返事をすると、碧玉ににらまれた。
「騒がしい。用事が済んだのなら、帰りなさい」
「はい、失礼します」
これ以上いては、雷が落ちる。天祐はお辞儀をして、退室した。
扉を閉めると、天祐は走り出したい気持ちをおさえて、廊下を静かに歩いていく。
碧玉の一言に一喜一憂する、この心に名前を見つけるのに、大して時間はかからなかった。
終
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