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浜野家というもの
小さくなっていくヘリを自宅の窓から見ていた浜野は大きくため息を付いた。
「浜さん!いるかい?」
近所に住む義男がやって来た。まだ三十代の男で筋肉質の体はこんがりと小麦色にやけ逞しい。一時古里島を出て都会に行っていたのだが、上手くいかなかったのか島に戻り親の漁の手伝いをしている。
「なんだ」
「今晩また頼みたいんだと。ほら、北川のとこの婆さんいるだろ?もうボケちまって収拾がつかんらしい」
「・・・分かった」
「じゃ、頼んだよ。お礼は後日だってさ」
そう言って白い歯を見せ笑うと、義男は出て行った。
浜野は大きくため息を付き、鴨居に掛けられている遺影を見る。
「わしは、これでいいんだろうか・・爺ちゃん・・・多喜三爺ちゃん。本当にこれでいいんだろうか」
浜野はまた窓の外に目を向け、あの日の夜の事を思いだした。
あの夜、多喜三爺ちゃんがいよいよ駄目だという日の夜。
多喜三爺ちゃんは幼いわしを部屋に呼んだ。
「爺ちゃん。なぁに?」
「これから爺ちゃんが話す事をちゃんと覚えておくんだぞ」
「え?」
「お前はこの島を出ちゃいかん。何があってもだ」
「どうして?」
「やらなくてはいけない役目があるからなんだよ」
「役目?」
「たき島を知ってるな?そのたき島に年寄りを連れて行くんだ」
「年寄り?なんでたき島に連れて行くの?」
「爺ちゃんの大切な人がそこにいるからなんだよ。もし、連れて行かなかったらその大切な人が死んでしまう。それに、海が荒れこの古里島もたき島のようになってしまう。いいな。爺ちゃんが死んだら、お前の父ちゃんがその役目をやる。父ちゃんが死んだらお前がやるんだ。約束だぞ」
「・・・うん」
あの時は、多喜三爺ちゃんが何を言ってるのか全く分からなかった。
あの数珠は、いつも爺ちゃんが腕にしていた数珠だった。それを(きっとお前を守ってくれる)と言って貰った物だった。
その翌日多喜三爺ちゃんは死んだ。
数年が経ち、そんな約束を多喜三爺ちゃんとした事なんて忘れていた青年時、あのたき島に入りアレを経験する。本当によく戻って来れたものだ。
命からがら島に戻ったわしは父ちゃんに話すと、怒られるどころか神妙な顔をして話し始めた。
「爺ちゃんが死ぬ前に、お前に話してくれたこと覚えてるか?」
「なんとなく・・」
「爺ちゃんはな、昔あのたき島に住んでいたんだよ」
「え!たき島に?」
「そう。まだ小さかった爺ちゃんは村が日照りにあい大変な時、島から出る穴を見つけた。その穴を通ってこの古里島に来たんだ。古里島の人達に、たき島にいる村人達を助けてくれと訴え続けたが、当時の人達はたき島の事を「神の島」と呼んで近づけなかった。いや、近づいちゃいけなかったんだ」
「神の島?」
「人が上陸できない島だからじゃないかな。人が行けない場所は神様がいると信じていたんだろう・・爺ちゃんは諦めずに訴え続けたんだが、誰も爺ちゃんの話に耳を傾ける人がいなくなった。爺ちゃんはそれならたき島へ戻ろうと考えた。だが、あの潮の流れだ、子供が船を漕いで簡単に行けるような場所じゃない。下手すれば沖に流され漂流してしまう」
「・・・・・」
「そんな時夢を見たそうだ。自分の双子の妹の妙子の夢だ」
「妙子・・俺、その女の子に会ったぞ!日照りもソイツのせいなんだ」
「知ってる。爺ちゃんから聞いた。爺ちゃんは島にいる時から全て知ってたそうだ」
「そんな・・・それで?爺ちゃんの夢の内容はどんなんだ?」
「妙子が言ったそうだ「帰って来るって約束したのに嘘をついた。やっぱり人間は嫌いだ。お前がいる島もたき島と同じようにしてやる」ってね」
「そんな・・・」
「爺ちゃんは焦った。ちゃんと助けてくれるように頼んだんだって妙子に言うが聞く耳を持たなかったそうだ。最後に妙子はこう言った「私の力となるモノを貢物として持ってくれば許す」とね」
「力になるモノ?何だ?それは」
「人間さ」
「人間⁈」
「そう人間。勿論爺ちゃんは驚いた。何故、人間を連れて行くのか」
「生贄・・・」
「・・そう。妙子はあの島の神。天変地異を起こさせることが出来る神。神は願いを叶えてくれる事があるが、それに見合う同等の物を必要とする。妙子にとってはそれが人間なんだ・・・」
「まさか・・」
「爺ちゃんは悩んだ末、この島で亡くなった人をたき島の方へ運ぶ事にした」
「な、な、何でそんな事を⁈そんな事、遺族の人が許すはずないだろう⁈」
「それがそうでもないんだ。さっき言っただろ。この辺りの人達は、あのたき島の事を神の島だと思ってるって。だから、その島に行けば神様が極楽浄土へ連れて行ってくれるとか言えば遺族は何の疑いもなく差し出す」
「・・・・・」
「その橋渡しをする役目がこの浜野家の役目なんだ。俺の後はお前が引き継ぐんだぞ。分かったな」
窓の外の景色が夕闇に染まって来た。
そろそろ船を出さなくてはいけない時間だ。大きくため息を付いた浜野は部屋の隅にあるある物をチラリと見た。この古い家には似つかわしくないパソコンが置かれている。
「今では、神の島なんて言ってるのはごく一部で他の奴らは姥捨て山のようにたき島を利用してやがる。まだ、昔の方がわしの気持ちも少しは違ったのにな・・・」
パソコンの画面にはたき島の都市伝説というサイトが開かれている。
浜野は、慣れない手つきでマウスを持ちカーソルを操るとゴミ箱のマークに合わせクリックした。
「・・・これでいい・・なぁ爺ちゃん。もうこれでいいよな」
そう言うと、パソコンの隣に置かれている黒い蝶の髪飾りとボロボロになった茶色い帯、原形をとどめていない飴玉が入った小さな袋に目をやった。
浜野はまた大きくため息を付き立ち上がり家の外に出る。ゆっくりと歩き浜辺に行くとぼろ船の用意をする。
「爺さん、連れて来たぞ」
義男が北川の婆さんを連れてやって来た。婆さんは、自分がどうしてこんな所に連れて来られているのか分からないらしく、浜野にニコニコとした笑顔を向けている。
「さ、婆さん。浜野さんが船に乗せてくれるってよ。じゃ、爺さん頼んだぜ」
そう言うと義男はさっさと行ってしまった。
浜野はため息を付き
「北川さん。ここから乗ってくれ。ほら、手を貸すから」
手を貸しながら婆さんを船の上に乗せる。ふねはゆっくりゆっくり沖へと進んで行く。
「浜野さん。船は気持ちがいいねぇ」
にこにことした笑顔を浜野に向けながら、婆さんは言う。
「そうだな」
浜野は、なるべく婆さんの顔を見ないようにして言葉少なに返した。
船は、たき島に行く航路を外れドンドン沖の方へ向かって行く。
自分の生まれた島。古里島が豆粒のように小さく見える場所まで来ると、浜野はオールを海へ捨てた。
「北川さん。一人じゃ寂しかろう。わしも一緒に逝ってやるからな」
そう言って北川の前に座る。北川は、ニコニコした表情を向けるだけで何も言わない。
浜野は古里島の方を指さし
「ほらあそこ見えるかい?古里島があんなに小さくなって見える・・暫くしたら、この南の島にも雪が降ってくるぞ」
と言うと、こぼれるような笑顔を見せた。
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