俺と言う存在

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俺と言う存在

俺は一体何者なんだろう・・・ 小さい頃から、そんな事を常に考えていた。 最初はその気持ちがどう言う事なのかさっぱりわからなかったが、男同士で遊ぶよりも三つ離れた姉とその友達とでままごとやお人形さんごっこをして遊ぶ方が、自分は楽しいと感じている事は分かっていた。 小学校の時まではそれで良かったのだが中学に入いるとそうはいかない。男女問わず遊びまわっていた小学生とは違い、男子は女子を、女子は男子を意識する多感な時期に入るからだ。その頃には、自分の中の本当の自分に薄々勘付いていた。周りの友達も例外ではなかったようで「お前女みたいだな。気持ち悪い」と言われ軽いいじめのようなものを受けるようになる。 一人になるのなら、面倒な男付き合いをしなくていいので気が楽なのだが、何かにつけ「おかまちゃん」や「明日からスカート履いてい来いよ」などと言われるのは鬱陶しい。やっぱり自分は変わっているのか・・他の男子と同じようにしなきゃいけないのか・・混乱と戸惑いの気持ちを抱えながら中学校生活を送っている時、初めて人を好きになった。 相手は同じクラスの男子。野球部のキャッチャーをやっている人でがっしりとした体格にとても優しい顔つき。実際に性格も優しかった。他の男子が俺をからかうのを見て辞めるように注意してくれたり、何かと気遣ってもくれた。自分という存在が一体何なのか。心と体が一致しない宙ぶらりんの俺にとって、その人の優しさはオアシスのようにホッとするものだった。 でも、こんな事誰にも言えない。それでなくても馬鹿にされているのに、こんな事が知れたら今度は何て言われるか・・第一、相手にも迷惑がかかってしまう。そんな思いをずっと胸に秘めながら中学を卒業し高校へ。 高校でも、普通に男として振舞い学生生活を送るが俺にとっては苦痛だらけの生活だった。一番嫌だったのは、女子からの告白。 俺の恋愛対象は女ではないのだ。もうこの時には自分の中にあるモノが何なのかがはっきりと分かっていた。身体は男でも心は女なのだという事。 色々調べてみると、俺のような性同一性障害の人間は戦国時代からあったというから驚きだ。勿論昔は中々理解されなかったようだが、今の時代は性同一性障害じゃなくても「女になりたい」と言う気持ちを持つ男の存在が少しは受け入れられやすくなっているような気がする。 もしかしたら有名人などの影響や「日本男児はこうあれ」と言う意識が薄れているのかもしれないが、俺にとっては良き時代と言える。 そして大学に入った時数あるサークルの中から少し気になる名前を見つけた。 「オカルト研究会」 よく聞くネーミングだが、俺が気になったのはその名前の下に小さく「ダイアモンド」と書かれているのだ。オカルトとダイアモンド。どう考えても接点が見えない。どう言ったサークルなのか。怖いものを調べながら鉱物の研究も兼ねているという事なのか・・・ でも、俺はダイアモンドは大好きだ。キラキラして、それに見合った化粧をし服を着てみたい。自分の奥底にあるモノを、沸々と盛り上がらせてくれるその言葉に惹かれた俺は「ダイアモンド」のドアを叩いた。 「いらっしゃ~い!」 ドアを開けると待ち構えていたように少々野太いが陽気な声が飛んできた。 (いらっしゃい?) その言葉と共に、ドアの所で驚き立ち尽くす俺に近づいてきたのは一人の男。いや・・見た目は女だ。その女はサラサラな髪を金髪に染め顔にはどぎついほどの化粧をしていた。 黒が好きなのか、全身黒ずくめの服で身を固めスレンダーな体がより細く見える。その姿を見た時、悪いと思ったが、あの名探偵イシンの犯人役を思いだした。 「ようこそ。ダイアモンドへ」 今度は、身体にしなを作り両手を差し出しながら近寄てくる男。こちらも見た目は女だ。 (一体ここは何だ?) 後から来た男は少しぽっちゃりとした奴だった。愛嬌のある顔の上には見事なアフロが乗っている。顔の化粧は、初めに出迎えた痩せ男に負けず劣らずどぎつい。それ以上に目を引くのは服だ。上から下まで全てヒョウ柄なのだ。まるでこてこての大阪のおばちゃんスタイルである。
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