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 チビは散歩が嬉しいのか、 はしゃぎ回っていた。  天気は良いが暑くはない。  夏も終わりに近づいた、 もう少しで夕刻になろうという時分だった。  佐原さんは 一生懸命僕に話しかけていた。  学校のこと、 好きな食べ物のこと、 スポーツのこと、 僕が好きなアニメのこと。  全く母の話をしないのは 彼なりの気遣いだったのだろう。  僕は上の空で 短い返事を返しながら、 初めて感じる心の暗い渦を 消化しようと努めていた。  話題も尽き、 ふたりの間に数秒の沈黙が流れ、 チビの荒い息と虫の鳴き声、 足音だけがそこに残った。  隣には田んぼが並び、 畦道の先には竹林があった。  そんな景色を眺めながら 佐原さんが 意を決したという表情で唾を飲み、 こちらを向いた。  彼の顔には 明らかに緊張が張り付いていた。 「ユウスケくん、 お母さんのことなんだけど......」  そう言いかけたところで チビが吠えながら、 佐原さんの持つリードを 強く引っ張った。  遠くに見える 他の散歩中の犬に反応したのだ。  佐原さんはチビに引っ張られ、 妙にかくかくとした ぎこちない走りで 前へと向かっていった。  僕はそれとほぼ同時に走り出した。  田んぼの間を通る かたい畦道を 一心不乱に踏みしめた。  佐原さんの言葉の続きが 怖くて仕方がなかった。  心の整理が 追いつかないまま 母が別人になっていくのを 見る勇気が 僕にはなかった。  感情を言葉で 伝えることのできない 他人の僕は、 精一杯のわがままを 行動で示すしかなかった。  遠くで佐原さんが 呼び止める声が聞こえる。  僕はそれを無視して 竹林へと飛び込んでいった。  
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