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 何度も一緒に通った喫茶店だったけど、ここに来るのは今日が最後だった。  五日も経てば仕事に戻らないといけないので、私は明日の朝空港を出て帰国することになっている。ここ数年の間、雇用先の都合で、毎年四月になるといったん退職して二十日間ほど離職しする、そんなことが続いている。離職期間は、自然と海外のどこかで過ごすのが習慣になりつつあり、今年訪れたのは、南米にあるボリビアという国だった。  今までで一番遠いところに来たというのに、ほとんど動きのない旅行だった。日本でこじらせてしまった風邪が完全に治っていなくて、高地なので酸素も少なくて、おそらく、普段よりも自然と呼吸の量も増えていた。極めつけには乾燥しているときている。湿気が多く標高の低い日本から突然そんな環境に来てしまったためか、だいぶ参っていた。せっかく遠くまで来たのに、おそるおそる日帰りで行けるようなところを選んで行ってみても、その程度の外出でも宿に戻ると咳が止まらなくなった。数日間安静にして少しよくなって、また咳が出て――そんな日々を繰り返すうちに、ほぼ近所をうろつくだけで終わってしまった。  南米に来た人の中では、私よりも長い一月の予定で来たのに、運悪く、初日に食中毒で入院することになり、帰国前日にようやく退院できた人もいたという。病院の職員さんに「無事退院てきてよかったわね!」と微笑んでもらえても、空しいだけだったという。私が不満気に見えると、彼はその話を持ち出して、「南米ではなにが起こるかわからないんだから」と言った。ある程度街中をうろうろできただけでも、運がよかったと思うべきなのかもしれなかった。  ここにいたのは正味二週間ほどで、長いようでいてあっという間だった。少し慣れてきたと思ったら、もう去らないといけない。寂しさを覚えながらも、少しほっとしている部分もある。  こんなことをあと何年続けるのだろう。むしろ、何年続けられるだろうと考えるべきなのか。もはや世間体は気にならなくなりつつも、私だってそういつまでも年をとらないままではいられない。今回、こんなにも動きのない旅行だったのに特にショックを受けていないのは、年をとって好奇心が薄れてきたからだともいえる。  もし二十代前半だったら、体調など二の次で、行けばどうにかなるとばかりに動き回っていたに違いない。もしくは六十代くらいになっていて、次はいつ来れるかわからないなどと思えば、もう少し頑張ったのだろうか。三十前後というのは、自分が思うよりも中途半端な年齢なのかもしれない。来ようと思えばまた来れると、つい気を抜いてしまう。機会があっても、そのときにはもう、私はこの国に対する興味を失ってしまっているかもしれないのに。  あれは去年のくれのことだった。晶子さんとお茶を飲みにいったときに、「今度はどこに行こうかな」などと言っていた。 「南米なんていいんじゃない?」 「なんでまた、そんな遠くに?」 「この間、テレビでウユニ塩湖を見たんだ。すっごく星がきれいなんだって」 「星なんて、プラネタリウムで見ればいいじゃん」 「湖に水が張って鏡みたいになってて、そこに星が映るとそこら中星だらけで、宇宙みたいなんだって。テレビの画面で見るんじゃなくて、実際行ってみたくない?」  言われてみれば、どこかでそんな噂を聞いた気もした。しかし、地図上でどこにあるかも即答できないような国に一人で行くのは、現実的ではない気がした。 「せっかく時間があるんだし、ひまなうちに行っときなよ。季節も関係あってね、一月から四月くらいが雨季だから、水が溜まっててちょうどいいんだってさ。ほら、四月に行くならちょうどいいじゃん」  ひまなうちに、という言葉にひっかかりを覚えながらも、少し心が動く。 「でも星見るのって夜でしょう? まあ、ツアーで行くんだろうけどさ、そんな、言葉も知らない国で夜出歩くのってどうなのかな」 「たしか今、青野君があっちにいるはずだよ。一緒に行ってもらえば?」  予期せぬ言葉に、思わず眉間にしわがよる。「いるはずだよ」と言われても、今は特にこれといって交流があるわけでもない。  晶子さんは「ちょっと連絡してみるね」と言うと、私の反応も見ずに、脇に置かれていたスマートフォンを手に取った。 「え、連絡先知ってんの? 私、行くなんて一言も言ってないよ」  彼女はそのころ、始めたばかりのSNSでせっせと友人を増やしていた。大学時代の友人らしき人に次々と接触し、ちょうど彼とも再会したばかりだったようで、時差を気にしつつも、「ま、いっか」などと言いながら、早くもメッセージの作成に取り掛かった。 「いいじゃん、候補の一つとして検討しといてよ。私が行くときいろいろ教えて欲しいし。むしろ私が行きたいくらいだよ」  実際に青野君がいたのは、ボリビアではなく隣にあるペルーだったようだ。翌日晶子さんから連絡があり、私が本当に行くのだったら、自分もボリビアへ行ってみるとの返事があったらしかった。そうして、四月はじめのころ、私たちはラパスのエルアルト空港で、かなり久々に再会したのだった。 55a94015-17c5-4ccb-9bfe-7ebb8a8f42ea
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