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雪歩に相談を持ちかけられたのは、昨日の昼休みのことだった。中庭に呼び出された涼子は、木陰を選んでベンチに座り、購買のカレーパンを取り出した。
「雪歩と一緒に食べるの、小学六年以来だよね」
「うん……」
隣に座った雪歩は、弁当の包みの紐をもじもじと指先でいじっていた。悩み事があるのだとすぐに判り、色めき立った涼子は、身を乗り出す。
「また男子に意地悪されたの? 私がぶっ飛ばしてあげる!」
「ち、違うの。その男子も、最近は優しいし」
雪歩は、蝉の音に負けそうな声で言った。
「涼子は、好きな人いる?」
「えっ……いない、けど」
どきりとした涼子は、すぐに答える。雪歩は、ほっとした顔で囁いた。
「私に好きな人ができたら、協力してくれる?」
――協力? 涼子は、カレーパンを落としかけた。
「えっとね、名前は……」
俯いた雪歩が、弁当の包みを両手で握りしめた。ピンクの布地に落ちる木漏れ日を茫然と見つめる涼子へ、数年分の勇気を前借りしたような声で言う。
「同じクラスの、山科隼人くん……」
「転校生の?」
「そうなの。東京から来た山科くん! すごく頭が良くて、スポーツもできて……」
ぱっと顔を上げた雪歩は、山科隼人がどんなに素敵な男子なのか、涼子がカレーパンを食べ終えるまで熱く語った。俳優に入れ揚げている口調に、涼子は戸惑う。親友が、知らない少女に見えた。
「とにかく、教室まで見に来て!」
「え、今っ?」
食べかけのメロンパンを持ったまま、涼子は三組まで連行された。雪歩は廊下で喋るふりをしながら、小声で言う。
「窓際で、本を読んでる人」
「知ってるよ。全校集会でも紹介されたし」
涼子は雪歩のようにこそこそせずに、堂々と教室を見て言った。
読書をやめた転校生は、友人と雑談を交わしている。当たり障りのない態度は、深山の清水のように透明で、どんな環境にも合わせられる柔軟さと、決して道を曲げない頑固な側面を感じさせた。切れ長の目が、冷めた印象を与える所為だろうか。やはり個性は目元に出る。
「ね、格好いいでしょ?」
ミーハーな雪歩と違って、涼子には判断できないので「んー」と適当な返事をした。白シャツと黒いズボン姿の隼人が、先週は他校の制服姿だったことを覚えている。
その日、部活で校庭に出た涼子は、校舎に入る母子を見かけた。のちに近所の噂で有名になる母親は動きが硬く、遠目にも緊張が窺えた。
その分、少年は泰然自若として動じなかった。日向の校庭から昇降口の日陰に入るまで、見えない敵と対峙しているかのように隙がない。風に前髪を靡かせた横顔に、涼子は親近感を覚えた。
もし転校生なら、仲良くなれるかもしれない。
そう感じた人物に、親友が好意を抱くなんて思いもしない。
「雪歩は、山科くんに声をかけたの?」
訊いてみると、沈黙が返ってきた。奥手な雪歩らしい反応だ。涼子は呆れた。
「友達くらい、すぐになれるよ。雪歩が勇気を出すだけだよ」
「それが出来ないから、協力してほしいの!」
雪歩が、泣きそうな顔で訴えた。たじろいだ涼子は、言い返す。
「そんなことを言われても、困る。そもそも、協力って何をすればいいの?」
雪歩は、また黙り込んだ。名は体を表す白い頬が、薔薇色に染まる。涼子は、今度こそ本気でたじろいだ。
雪歩は、隼人と友達になりたいわけではない。
もっと親密で、特別な関係になりたいのだ。
「お願い、協力して!」
手を合わせた雪歩は、瞳を潤ませた。恋をしている顔を、初めて間近で見てしまった。少女漫画のヒロインみたいに、涼子を頼る雪歩は可愛かった。
なのに、胸がざわつくのは何故だろう。
返事をする前にチャイムが鳴り、雪歩は小声で「お願いね!」と言い残し、三組の教室に戻っていく。涼子もメロンパンを袋に戻し、一組の教室へ急いだ。
廊下の窓に映った自分は、雨に打たれた子犬のような目をしていた。
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