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駅前にある小さな喫茶店。私は大学の夏休み中、毎年ここでアルバイトをしている。
名物があるわけではないが意外と客入りは悪くない。午前中は夫や子供を送り出した奥さん方、昼頃になると近所の仕事場から昼休憩に来る方々などが主な客層だ。
午後になると客足は悪くなるのだが、この夏の時期であれば別だ。
この時期には夕立が降る。時にはゲリラ豪雨などと呼ばれる強い雨が降ると、帰宅途中の学生や外回り中の会社員などが雨宿りのためにやってくるのだ。その時間、一時的ではあるがこの店には人が集まりとても忙しくなる。理由は夕立時サービスの一環として濡れてしまった髪や物を拭くため、乾いたタオルを無料で貸し出しているからだ。これが意外と好評で、雨宿りイコールこの喫茶店という数式を近所の人は覚えてくれるようになっていった。
繁盛するため喫茶店としては喜ばしい夕立だが、私は夕立が嫌いだ。そもそも雨が好きではないし、一度夕立に降られ新品同様であった大学の講義書や辞書をダメにしてしまってから夕立嫌いは加速したと思う。
今日も一雨降りそうな天気であった。風が徐々に強くなり空には夏に似合わない黒い雲が現れ、空気は湿気を帯び始めていた。
そして予想通り夕立が降り始めた。ほとんど空席だった店内が徐々に埋まってゆく。今日は特に学生が多い日で、ボックス席はすぐに満席となった。
そんな中、一人の男性が来店した。私がタオルを差し出すと男性は感謝の言葉と一礼をして、レインハットと撥水コートに付いた水滴を丁寧に拭いた。
男性はタオルを返す足でそのまま、私が立っていた目の前のカウンター席へと腰掛けた。
「いや、助かりました。こんなところに喫茶店があるなんて知りませんでしたよ。」
帽子をはずした男性は初老に近い印象だ。白が多めに混ざった髪と髭、顔や手には何本かの深い皺が見られた。
「知っていただけてありがたいです。雨宿りの時間潰し程度に使ってください。」
「そうさせてもらいます。雨を待つ時間は退屈ですからね。」
初老の男はホットコーヒーを頼み、そして雨が小雨に変わった頃に店を出ていった。
それからしばらく、夕立になると初老の男はやってきた。男はいつも同じ帽子とコートを着て、そしていつもカウンター席に座った。カフェラテやココアを頼むこともあったが、最終的にはウインナーコーヒーを気に入った様子でそればかりを頼んでいた。
カウンター席に座るため自然と話す機会は増えていく。初めはまじめな初老の男性といった印象だったが、いまでは元気なおじいちゃんだ。私が何も言わずとも、自分の話を楽しそうに続けた。
仕事で来ている事。待ち時間が必要で退屈だったこと。一人での仕事なので話し相手がいなかった事など。聞かずとも情報はどんどん増えていった。
そして最後はいつも。
「おいしかったよ、ありがとう。」
そう言って小雨に変わった外へと出ていくのだった。
人が増える店内に遠慮しているのかと思い、一度だけ晴れてから外に出てはどうかと提案したこともあった。しかしこの時間が丁度良いんだと言われた事を覚えている。
夕立は連日続いた。珍しくもあったがそういう年も経験があったため別に気に止めるほどでもなかった。
ある日、いつものように小雨に変わった外へと出ようとした初老の男は足を止めた。
「どうされました?忘れ物ですか?」
カウンター越しに座っていた席を確認するが、忘れ物は見られなかった。
「いや、ずいぶんとここが気に入ってしまって。思わず長居をしてしまったなと思ってね。」
そういうと初老の男は振り返り、身に付けていたレインハットを私に手渡した。
「これはいつも話を聞いてくれた君にプレゼントだ、この店はいつでも私を受け入れてくれるかな?」
少し寂しそうに話す初老の男に私は冗談混じりで言葉を返した。
「ええ、いつでもお待ちしております。今度はこのレインハットが必要ない、晴れた日にでも来てください。」
初老の男はほほえみ、そして小雨から晴れへと代わりかけている外へ出ていった。
それ以降、初老の男は店に訪れなくなった。
夏が終わりかけ夕立も減った頃、人の少ない店内に3人の男が入ってきた。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ。」
ボックス席に座ると思ったが、3人は真っ直ぐこちらにやってきた。
「この男を知らないか?」
カウンターに一枚の写真を置く、写真には一人の男の横顔が写されていた。写真での顔はやや若いが夕立時に訪れていた初老の男に何となく似ている気がした。
「何となくお客さんの中に居たような気も・・・、この人が何か?」
ぼかしつつ質問を返す。
3人は顔を見合わせ、そしてポケットから警察手帳をとりだしてみせた。
「彼は晴れ男と呼ばれていてね、表だったことは言えないがこの人には感謝状を贈りたいと思っている国は多くあるんだ。」
晴れ男と言うよりはむしろ雨男だった気もするが。私はレインハットを思い出しながら黙って相手の言葉を待った。
「まるで夢物語みたいで私たちも理解できていないんだが、この人は雨が続いた国に晴れを呼ぶらしい。理屈や理論は分からないが彼はその国の雨と共に行動するとも言われている、凝縮やら晴れの転移やら色々な要素があるみたいだけれど彼が現れる場所は決まって一時的に強く雨が降る場所みたいなんだ。」
「雨を連れ出して、雨と晴れの天気を入れ替えているとでも?」
「たぶんそんな感じかと。実際私たちもこの近辺で夕立が頻発したと言う情報から突然駆り出された身でね、詳しい話しまでは回ってきていないんだ。現実感がなさ過ぎる話で、まるで夢物語みたいだよ。」
彼らは警察手帳をしまい、一礼した。
「お仕事中に失礼しました。」
そう言い残し彼らは店を出ていった。
突然の出来事に脳が追いつかず呆然としていると、外の風が徐々に強くなり夕立が降り始めた。
少しだけ晴れ男と呼ばれた初老の男が現れるのでは、と少し期待したがいくら雨が降れど男は現れなかった。
夢物語みたい、確かにその通りだ。しかし私はなぜかその夢を信じたいと思う。
この雨は異国の雨なのかもしれない、そう考えるようになると私は少しだけ夕立が好きになった。
そんな夏。ただそれだけの夏だった。
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