たとえばなし

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たとえばなし

   事件後、誠は再び日常生活を取り戻した。本人曰く学校は楽しくないらしいが、それでも高校受験に備える必要がないくらい成績は良い、というのだから人の中身は外から見ただけでは分からない。  一見誠には事件の影響らしきものは見られなかった。しかし、そもそもが両親を亡くしたばかりである。翔太郎はあまり気遣いが得意な人間ではなく、多くを語らず優しい言葉もかけたりはしなかった。それでも、事件後も翔太郎の部屋に足繁く通っては、よく分からない冗談を言って困らせたり、他の女の影に苛つき嫉妬に身悶えする誠を他人事のように面白がって見ていた。  新しい出会いもあった。伊藤織江といって、神波大成の恋人なのだそうだ。翔太郎たちとは幼馴染であるという織江を見た瞬間、誠はまさしく電撃に打たれ、挨拶もそこそこに「翔太郎さんは渡しません」と高らかに宣言した。  いつもの煙草と調整豆乳が入ったコンビニ袋。その中には誠が食べたいと言ったオリヴィア特製の肉まんが入っている。豆乳が温くなるから自分で持ちます、と誠は遠慮したが、 「どーでもいいわそんなこと」  と言って翔太郎は取り合わなかった。誠は、翔太郎の手首で揺れているコンビニ袋を後ろから眺め、その中で煙草と肉まんが重なり合う光景を見ているだけで心が満たされるのを感じていた。  ここ最近ずっと曇り空が続いている。風が本格的に冷たくなってきた。もうすぐ季節は冬になる。 「翔太郎さん」 「……ん」  線路沿いの道を歩いた。  翔太郎が前を歩き、誠は少し後ろを歩く。  翔太郎の部屋へと向かうこの時間が、誠にとって最も幸せな時間だった。 「たとえば、もしもこの世界で、一人っきりで生きていかなければならないとしたら」 「……」 「どんな風に毎日を過ごしますか?」 「……ふうん」  翔太郎は考え、二人は少しの間、黙ったまま歩いた。 「別に変わらないと思うけど」  と、前を向いたまま翔太郎が答えた。 「変わらない?」  意外な答えだな、と誠は思った。  両親を亡くした人間に向かって、「いやー、あいつらのいない人生なんて考えられないな」とは、いくら翔太郎でも言い出せなかったのかもしれない。ただそれでも翔太郎の口調はあくまでも普段通りで、遠慮や噓などはどこにも感じられなかった。 「いつもと変わらない生活を、送、る……?」 「それしか出来ないしな。飯食って、酒飲んで、煙草吸って、寝て、死ぬまでそれを繰り返すんじゃない。多分」 「でも、それって……寂しいですよね」 「寂しいだろうねえ」 「でも、変わらず、その生活を続けていく」 「多分だけどな」 「……」 「変わったのは周りであって、俺じゃないから」 「え?」 「環境が変化しただけだろ。人がいなくなって」 「はい」 「でも俺が変わったわけじゃない。いなくなった人間だって、別に変わったわけじゃないだろ、いなくなっただけで。なら、昨日と同じように今日生きるだけだろ」 「どうして環境が変わっても、翔太郎さんはそのままでいられるんですか?」 「さあ、そう思うだけ」 「……」  誠は目尻を指先で拭い、話題を変えた。「この間カオリさんに聞いたんです、翔太郎さんのこと」 「何」 「あいつは変わってるって」 「ふ」 「どこがですか、って聞き返したんです」 「ん」 「そしたらカオリさん、分かんない? なら、お前もそうか、って。笑って」 「ふふ」 「私、変わってますか?」  翔太郎は立ち止まって、振り返ることなく煙草を咥えて火を点けた。誠も立ち止まって、派手なペイントが施された革ジャンの背中を見つめた。 「あの、美央って女」  と、翔太郎が歩き出す。 「はい」 「俺あいつのこと、すげー面白いなって思って」 「……はあ」  ――― 今ここで別の女の話をする所が、もう、ね、そういう所なんですよ。皆さん分かりますか。こういう所ですよね。こういう所だと思いませんか。言ってやってくださいよ。 「けどあいつの面白さってさ、あー、馬鹿だなーっていう、そういう面白さだったんだ」 「いや、美央は馬鹿ではないと思うんですよね」 「でもお前の面白さってさ」 「……はい」 「分かんねーのよ」 「わ」  翔太郎は立ち止まり、誠を振り返った。 「分かんねえんだなぁ。俺にはお前の底が見えない。いや、この場合天井っていうのかな」 「……あ」 「何にせよ変わってるよお前は。俺が出会った中で一番変わってると思う」  ――― これはなんだ。褒められてるのか、馬鹿にされてるのか、どっちだ。 「った!」  誠は声を上げ、 「た?」  翔太郎は右の眉を下げた。  ……馬鹿で生意気で経験不足の私があの人と話をしたいと思った時は、いつも、たとえばなしをするしかなかったんだよ。  最初は正直面倒くさそうに見えたし無表情な時もあったけど、それでもきちんと私の目を見ながら話を聞いてくれた。学校で授業受けてる間中ずっと、今日はどんな話をしようかなって、話のネタばかり考えてたの覚えてる。創作してたんだよ、ただあの人との会話が欲しくて。まだ私には、私の話を聞いてくれる人がいるって思いたかったの。その頃の私にとってそれがどれほど救いだったか。  全然未来を思い描けなかった。明日のことなんか考えたくもなかったし、毎日朝起きるのが嫌だった。そんな私がさ、あの人と出会ってから、世界がぐわーっと広がっていくのを感じたんだよ。  別に何かを期待したとかじゃないんだ。何かが欲しいとか、これをしてほしいとか、そういうものもなかった。何て言ったらいいのかな……上手い表現は出て来ないけど、多分、当時から私の答えは全部、あの人だった。  答えは全部「翔太郎」だった気がする。  生きてく理由だった気がする、あの人が。  あの人の話し声が、あの人の煙草の匂いが、あの人の笑い声が。  どうやったら一緒にいられるか。  どうやったらもっと話が出きるか。  どうやったらもっと大声で笑ってくれるか。  それってさ。  それって、今思えば何よりも優れた、違うな、何よりも強い……強い?  んーにゃああ、何よりも、幸せな。  そう、うん、何よりも幸せな、私の我がままだったんだよね。  それを、その我がままを全部あの人は受け止めてくれていた。 「た、たとえばですけどね。十年後は二人ともいい年した大人じゃないですか。その時私たちは、どんな風になって、どんな風に生きてるんでしょうね」  って、聞いたことがあるの。そしたらさ、あの人、笑って煙草の煙吐き出してさ、こう言ったんだ。 「知るかよ。十年経ってから聞いてくれよ」                                          『狂えや星屑』、了 
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