嫌いな場所

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嫌いな場所

 回転するパトカーの赤色灯。現場を取り囲むように貼られた黄色いテープ。駆け付けたけ捜査員たちの慣れた足運び。野次馬たちのざわめき。興奮した若者たちの笑い声。携帯電話のシャッター音。  騒然とする『リッチモンド』へと辿り着いた時、すでに現場は封鎖されて店の中に入る事は出来なくなっていた。野次馬の中へ勢いよく突っ込んで行く美央の背中を掴み、竜二がそれを止める。いや、と叫んで尚も体を前のめりに倒そうとする美央を抱えて、竜二はいったん現場から離れようとした。そこへ、 「マンタ!マンタ!」  名を叫び続ける声が、店内から出て来た。  オリヴィアだった。両手で顔を押さえながら泣き叫ぶオリヴィアを、『合図』から先に現場へ駆けつけた神波大成と善明アキラが両脇から支えている。警察の捜査員より先に到着した彼らは、事情を説明した後、促されて今まさに店内から出されるところだった。  竜二が声を掛け、三人を野次馬の外へと誘い出した。 「ニイちゃんは? ねえ、ニイちゃんは!?」  ハンカチで顔を覆ったままのオリヴィアに取り付き、美央が覗き込みながら体を揺さぶる。美央の頭上で「どうなんだ」と竜二が尋ねる声が聞こえる。分からん、と答えたのは大成だ。 「俺らが来た時にはもう救急車が到着した後でな。運ばれてくニイに声はかけたけど、意識はないように見えた」 「怪我の具合はどうなんだよ。刺されたのか?」 「それも分からん。頭をぐるぐる巻きにされてたのは分かったけど、他はよく」 「そうか」  竜二の問いに答えるのは大成ばかりで、アキラの方はぐっと口を噤んだまま宙を睨み付けている。考え事をしているのか、竜二の存在すら目に入っていない様子だった。そんなアキラに「おい」と竜二は声をかける。弾かれたようにアキラは顔をあげるも、 「ああ?」  と怒りの充満した唸り声を返すのみだった。 「手島さんは」  と竜二が聞いても、アキラは黙って首を横に振るだけ。 「そんなんで分かるわけねえだろ!」  竜二が吼え、周囲の野次馬たちが一斉に彼らを見つめた。その時だった。  あのー……。  無意味な衝突を起こす寸前だった彼らに声を掛ける者があり、見れば若い女性が携帯を握りしめて立っていた。その顔は蒼白く、頷くような動きで上半身がずっと揺れている。突然オリヴィアが彼女の前に立ち、早口に名前を呼んだかと思うと、その場で膝から崩れ落ちてしまった。若い女性はオリヴィアの頭に手を置きながら、涙を堪える表情で話を切り出した。 「私も、この後警察に呼ばれていて、話をしないといけなくて、あまり時間はないんですけど、あの、オリヴィアさんに連絡したの、私なんです」  泣き崩れて満足に口もきけないオリヴィアに代わって、彼女はそう言った。 「ニイちゃんがエンジンたちに襲われて、誰もお店から出られなくなりました。助けを求めた女の人が殴られて、その後で、マスターが一人で裏から出て来たんです。マスター、大分高齢のはずなのに手には刃物を持ってて、エンジンたちに立ち向かっていきました。その後、もう一人若い男が、マスターの出て来た部屋から出て来たんですけど、わーわー喚きながら、マスターと一緒になって戦ってました」  それで?  先を促す竜二に、女性は苦悶の表情を浮かべた。なんとか伝えねばと必死に記憶をたどるのだが、よほど怖い経験だったのだろう、話をするそばから涙が溢れ出て来た。 「エンジンたちは三人いて、子分みたいなあとの人間は入り口を遮って、誰も入れないように陣取ってました」 「手島のじいさんはどうなった」  と竜二。 「後ろから頭を殴られてそのまま動かなくなりました。ニイちゃんと同じ手口です。いきなり後ろから……。誰かが呼んでくれた救急車に乗って二人とも運ばれていきましたけど、どういった容体かは、私もこのあと警察に聞いてみようと」 「その、もう一人の若い男ってのは?」 「ぼこぼこに殴られて」  涙ながらに話をしていた女性は、その男の話になった途端両耳を塞ぐように頭を抱えた。そして振り絞るような声で、こう答えた。 「エンジンたちに連れ去られました……関西弁を話す人でした」  竜二、大成、アキラの三人は顔を見合わせるも、その男に全く心当たりはなかった。  深夜の病院は、自分が吐いた胃液の匂いを思い出させる。  誠は待合い廊下の長椅子に腰かけて、目を閉じながら何度も深呼吸を繰り返した。しかし思い起こされるのは辛い経験だけではない。意識を失くすまで自分の背中を摩り続けてくれていた、翔太郎の手のぬくもりが大切な思い出としてそこにはあり、今もまた、すぐ隣から静かな息遣いが聞こえてくる。  新永と手島の手術は終了した。しかし、命に別状はありませんと、執刀した医者は言ってくれなかった。頭部打撲による裂傷と大量の出血にくわえ、特に新永に関しては患部周辺と脳に腫れが見られるという。意識が戻ったとしても、なんらかの障害が残るかもしれないと言われ、容体が急変する恐れもあり、家族を呼んだ方が良いと、残酷な説明を受けた。  医者の話を聞いたのは竜二と大成の二人だった。普段から新永と仲の良いオリヴィアは、竜二からの説明を受けて取り乱して暴れた後、取り押さえられて離れた場所に大成と二人で移動した。  アキラは一人、新永と手島のいるICUの側を離れず、椅子に座ったまま俯いて一言も喋らなかった。誰かが声をかけても頷き返すだけで、聞こえているのかいないのかも分からぬ程、上の空だった。しかし果たしてそれが単なる上の空と呼んでいいものか、付き合いの長い竜二たちには不安だった。足を開いて椅子に腰かけ、両膝の上に肘を乗せて、深く頭を垂れている。静かなたたずまいに見えなくもない彼の背中にはしかし、立ち昇るような気迫が揺らめいていた。今にも爆発しそうな怒りを抱えていることは疑いようがない。アキラという男の性格を知っているからこそ、今こうして何もせずに座っていることが怖かったのだ。  やがて病院玄関の大待合にて、一人で座っていた美央の側へ近づく影があった。照明はついているものの、機能していない受付周辺はひどく暗い雰囲気で、廊下をこする靴底の音がやけに大きく響いた。 「えー、確か……池脇さん」  美央はそう言うと、歩みよる男を見上げてピストル型にした指を向けた。 「ニイの側にいてやんなくていいのか」  そう声を掛けながら、竜二が美央から二つ席を開けて座った。竜二の言葉に、泣きはらした顔に微笑みを浮かべて美央は首を横に振った。 「他のみんなは、どうしてますか」 「色々だな。手島さんの側についてたり、どっかよそで休んでたり」 「そうですか。誠は、どうしてますか。伊澄さんと一緒ですか」 「多分な」  竜二は短く言葉を切り、沈黙を挟んだ。しかし口を開いた竜二より先に、 「あの店にメバル置いてきちゃいましたけど、大丈夫ですかね」  と美央が言った。 「……さあな、よくある話なんじゃねえかな」 「そんなわけ」 「何があったのか、聞かせてくんねえか」  上から被せてくるように言った竜二の言葉に、美央は前を向き、目線の先にある誰もいない受付を見つめたまま、 「さっきロシア人ドライバーが運転するタクシーで話したことで全部です」  と早口に答えた。 「そっちじゃない」 「……」 「エンジンてのは、どんなやつなんだ」 「あーああ。関わらないほうがいいですよ?」  顔全体を向けるのでなく、上目遣いに横目で竜二を見つめて美央はそう答える。竜二は鼻から吐息を逃がし、 「そうかい。話したくねえなら無理にとは言わねえよ」  そう言って立ち上がった。 「助けてくれるんですか」  と、すがる思いを滲ませた声で、美央は言った。竜二はその場に立ったまま美央を見下ろし、 「いや。正直お前らのことなんかどうでもいい。けど、ニイや手島さんに手ェ出した野郎をこのままにはしておかねえ」  そんな辛辣とも言える竜二の答えに、美央は「ヒュー」と口笛を吹いた。 「強いんでしょうねえ、池脇さんも。だけどエンジンも、相当頭がイカレてますよ」  竜二は馬鹿にしたように鼻で笑い、再び座り直して溜息をついた。 「さっき、手島さんとこについてるって言った男な。あれ、アキラってんだよ。善明アキラ」 「はい。なんか怖かったんで、ここまで逃げてきました。……いいかぜの、ぜ」 「なんだよそれ。善明のぜか?じゃあ大成は、た?」  眉をハの字にして尋ねる竜二に、美央は思わず吹き出して、 「かっ!」  と突っ込みを入れた。だが笑った拍子にふくらんだ胸の内へ、どっと悲しみが押し寄せて来た。美央はせり上がって来る涙を歯を食いしばって堪えた。 「俺達がよく顔を出してるバーがあって、そこを切り盛りしてる、カオリって女がいてな」  聞かれもしないのに、竜二はそんな風に話を始めた。 「昔、アキラと二人で、手島さんには随分と世話になったそうだ」  美央は涙を気取られぬよう俯いているものの、竜二の話に頷きながら耳を傾けている。 「俺達はまだ高校に通ってたガキの頃からカオリと知り合いで、だから何かと面倒を見てくれたっていう手島さんとも、もちろん知らない関係じゃない。アキラは特に、カオリの恋人だから、そういう意味でも今回の事には大分参っちまってる。あいつは昔から、導火線が2ミリくらいしかねえダイナマイトみたいな奴だからよ。可愛がってた後輩がらやられて、世話になった人がやられて、それなのに大人しくこんな病院の廊下に黙って座ってるなんてことは、本当ならありえねえ。きっといろいろ、落とし前の付け方考えてんじゃねえかと思う」 「……落とし前って?」 「殺すと思う。そのエンジンって奴を」  竜二の横顔を見つめた美央は、思わずその目を背けて黙った。
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