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 廊下のリノリウムがきゅきゅと耳障りな音を立てる。翔太郎たちのもとへ、大成が一人で現れた。 「テツが来たぞ、玄関前に竜二たちといる」  そう言って大成は元来た方へと駆け戻って行った。誰が来た? 不思議そうな顔をする誠の隣で、翔太郎が両手を頭上高く持ち上げた。背中の筋肉を伸ばし、「さあ」、行こう。息を吐いた翔太郎の体温がどんどんと上昇していくのが、隣に座っていた誠には感じられる気がした。  現れたのは、上山鉄臣(うえやまてつおみ)という男だった。ダブルのライダースジャケットを着込んだ、背の高い男だった。大待合で話をしていた竜二と美央を見つけて、開かない自動ドアを外側から叩いた上山は、裏へ回れという竜二の指示に従ってぐるりと建物を半周し、緊急外来の受付を通って現れた。  携帯電話で連絡を受けた大成が翔太郎たちを呼びに向かい、全員が集合したのはそれから五分程してからだ。最後に姿を見せたのはアキラだった。上山はアキラの顔を見るなりぞっとしたように背筋を伸ばし、目を逸らして竜二へ視線を移した。曖昧な頷きで答える竜二に上山は息を呑み、事態が予想以上に悪い事を瞬時に悟った。  上山は今年、二十三になる。翔太郎たちにとっては高校時代の後輩にあたり、新永とオリヴィアの旧友でもあった。上山は中央玄関の自動扉の前に立ち、大成の足元に崩れ落ちているオリヴィアを辛そうな目で見やった後、自ら視線を切って話を始めた。  「エンジンて男の一派に連れ去られたっていう、関西弁の男が誰だか分かりました。名前は桐島清一。藤和会の子分です」  やっぱり、と竜二が呟いた。 「うす。でもちょっと面倒臭そうすね。形だけ見ればこっちでやらかしてるエンジンて野郎は、何年か前に自警団を名乗って山規組を潰してます。その山規が潜伏するのに頼った団体が、西の藤和会です。これ、エンジン一派が山規だけじゃなくて藤和会にも手を出した形に見えますけど、実際この一件は、藤和会にとっても旨味があるんです」  上山の説明に男達は首を捻った。しかし美央は興味がないのか、誰にも視線を合わせずにそっぽを向いて壁にもたれている。誠は何となく落ち着かない様子にも見て取れる美央の表情から、彼女がある程度事情を理解しているではないかと疑った。 「旨味って?」  と竜二。はい、と頷いて上山が説明を続ける。 「実は、なんで今藤和会の人間がこっちにいたのかっていうと、山規組がその藤和会に助っ人を借りてる状態だったらしいんです。要するに、エンジンに対抗するべくって事です」 「っは、助っ人が取っ捕まってりゃあ世話ねえな」  竜二がそう言うと、 「いや。そうでもないです」  と上山は首を横に振った。「山規組にしてみれば藤和会から借りた助っ人は客人扱いですから、状況によっては藤和が山規に賠償を迫る場面もありえます」 「え」  と思わず大成が首を前に突き出した。 「逆じゃねえの?」  竜二が問う。「 助っ人が助っ人としての価値を果たさなきゃ、普通は山規が怒るんじゃねえか。とんでもねえ不良品掴ませやがってって」  すると上山は一瞬、上手い例えを探して天井を見た。 「あー、なんつーか、あれっすよ。プロ野球なんかで助っ人外人が役に立たないと、そうやって雇った側が文句言って契約解除とかありますけど、そういう、なんつーか、衆人環視の元で公平に見られるスポーツじゃないですから。状況によってはってさっき言いましたけど、やりようによっては山規の誰かが下手打って、警察に取っ捕まる所を身代わりとして藤和会の人間突き出す事だって出来るじゃないですか。そうなったら普通、自分とこの子分傷物にされたっつって怒りますよね。というか、金取れるんなら多少の無理筋だって通そうとするのがヤクザですもん」  なるほどね、と一同は頷くも、すぐに翔太郎が手を挙げた。 「そもそもなんで藤和の子分がリッチにいんだよ。聞いた話じゃそいつ、手島さんと一緒んなってエンジンと事構えたらしいぞ」 「あー、はい。それは……ちょっと、待っててくださいね」  上山はそう言うと、両手で場を制した後、緊急外来の出入り口から外へ出て行った。やがて顔を見合わせる一同の元へと戻って来たのは、上山だけではなかった。 「この男っす」  そう言いながら戻って来た上山は、右手に三井を引き摺っていた。三井は『メリオスボール』の前で翔太郎たちと別れた時より更に汗をかき、なおかつ顔を腫らしていた。意識はあるようだが、ふてくされたような表情には覇気もなく、だらしなく足を投げ出してされるがままの状態だった。 「なんでそんなにボコボコの顔してんだ」  竜二が問うと、 「いや、だって、全然吐かないから」  と上山は答えた。  お前かよ、という空気が全員から発せられるも、死神のような顔で三井を睨むアキラの様子に、誰も軽口など叩けなかった。 「後輩を何人か動かして探したんすけど、今街に出てる山規の人間はこの男だけでした。この男が言うには、藤和会からはその桐島だけじゃなくて、もう一人これまた厄介な野郎が助っ人としてこっちに来てるらしいです」  上山の説明を聞いた途端、翔太郎が項垂れた顔を右手で押さえた。それを見た竜二と美央が、一瞬笑いかけた。 「……翔太郎さん?」  と、上山が首を傾げる。 「それって、もしかしてだけど」  言いかけた翔太郎に次いで、 「おーい、メバルー!」  壁際に立っていた美央が、おどけた調子でそう言い放った。 「お、正解っす、てかあれ誰?」  美央のノリに応じて答えた上山に、 「遊んでんじゃねえぞ」  とアキラが言った。それは『声をかけた』程度の声量でしかなかったが、深夜病棟の静まり切った空気がビリビリと震える程の気迫に満ちていた。 「すんませんす。え、翔太郎さん、何言いかけました?」  青ざめて頭を下げ、上山は軌道修正すべく翔太郎へと視線をやった。とてもじゃないが、アキラを見返す事は出来なかった。 「悪い。俺、潰したわ」 「え?」  上山は驚いて細い声を出し、もう一度「え?」と聞き返した。上山だけでなく、大成も、アキラまでもが目を丸くして翔太郎を見つめた。もしも上山の言うとおり、藤和会からの助っ人が傷を負う事で山規が追い込まれるとするならば、その原因の一つを翔太郎が作った事になるのだ。 「まじっすか。……え、メバルっすよ。あの名張ですよ、もう潰しちゃったんすか。あんたほんと、どこまで」  信じられないものを見る目で感嘆する上山の話を黙って聞いていた誠は、突然ゾクリと背中を駆け上がるものを感じて、視線を走らせた。美央と目があった。誠は美央の顔に浮かんだ、勝ち誇ったようなドス黒い笑みに、怒りと恐怖を同時に味わった。美央がこれまでに吐き出した言葉が、誠の脳裏を駆け巡った。 『今更どうしたって事実は覆らない』 『私は私の邪魔をする人間だけは許さない』 『それだけは絶対に我慢できないの』 『誰にも邪魔させない』 『やっぱり、私の勝ちだった』  ―――まさか、ここまで読んでたっていうの? 噓でしょ? 「でも、なんでまた?」  上山の問いに、竜二が美央を見やった。 「お前が雇ったんだろ、おい」  全員の視線を浴び、美央はだらしなく壁にもたれていた体をすっと伸ばした。誠は美央の表情が切り替わるのを目の当たりにし、嫌な予感に胸が苦しくなった。気性の荒い男たちの間で上手く立ち回って来た美央の、それは臨戦態勢だった。 「ええーっと、なんか怖いなぁ。えっと、その、何さん? か分かりませんけど、ライダースを着た、そう、あなたが仰ったような暴力団同士のややこしい筋書きは分かりませんけど、あのお肉の塊に手助けを頼んだのは、間違いないです」  美央は努めて上山だけを見るようにしながら、そう釈明した。 「なんのために?」  上山の率直な質問に、美央は満面の笑みを浮かべて翔太郎を指さした。 「薄情なこの人の代わりに、私の恨みをはらすためです。私、山規組の事務所でレイプされたんです」  
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